戦国日本にやってきてキリスト教を布教した宣教師としてはフランシスコ・ザビエルが有名です。ザビエルは日本人にすぐれた資質を認め、キリスト教の布教は可能として、以後、多くの宣教師が日本に渡ってきます。しかし、中には全然フレンドリーじゃなく本当に布教する気があるのか分からない宣教師もいました。
頑迷固陋な元軍人カブラル
カブラルはスペイン貴族の子で宣教師になる前は軍人でした。神の教えを説くというより大航海時代の冒険者の典型という男で考え方も柔軟性を欠き、日本人に対してもヨーロッパ人に比較して下等で悪徳に塗れ、不安定で傲慢、貪欲、欺瞞的な連中と悟空に負ける前のベジータが地球人を見下すような偏見を持っていました。
適応主義のトーレスの指示で軌道に乗る布教
カブラルの前任者は、コスメ・デ・トーレスという人物でザビエル同様に日本人を評価、力で押し付けても聡明で勇敢な日本人は反発して布教が妨げられるとして、宣教師達に日本語を習得し、日本の慣習に慣れるように命令を出していました。これを適応主義と言います。
当時、宣教師は清貧を強調するために、あえて貧しい身なりをするのが普通でしたが、トーレスは「日本人は身なりを重んじるので清潔な良い服を着ないと侮られる」として宣教師にも絹の衣服を身につけさせ、その甲斐もあり布教は次第に成功していきます。
すべてをぶち壊すカブラル
このトーレスの後を継いで日本にきたのがカブラルでした。もちろん、日本人を下等生物と蔑むカブラルが適応主義を評価するわけはありません。「下等人種である日本人の野蛮な文化に我々が合わせるより、連中を進歩的なヨーロッパの文化に慣れさせるべきだ」として、宣教師には従来通りの粗末な衣服を着せると、宣教師たちが日本語を習得する事を禁止。さらに、スペイン語やポルトガル語を日本人に教える事も禁止します。「日本人が我々の言葉を覚え、我々の会話を理解したら我々を尊敬しなくなる」というのが理由でした。
ヴァリリャーノによりあっさり解任
カブラルのやり方で布教が進んだら正に奇跡でしたが、当然、結果は日本人信者と宣教師の間に溝が生まれて大失敗でした。カブラルは自分のやり方が悪いとは微塵も思わず、視察にきた上司のアレッサンドロ・ヴァリニャーノに「日本での布教は絶望的です」と報告します。当初はカブラルの報告を信じ絶望に目がくらむヴァリニャーノでしたが、畿内に滞在して素晴らしい日本のキリシタンと出会い、交流するうちに「カブラルがオカシイんじゃね?」と思うようになり、カブラルを布教の責任者から解任してしまいました。
いっそ清々しいカブラル
日本を去ったカブラルは1583年にインドのゴアに渡り、そこで教官区長として布教につとめ、1609年にゴアで死去しました。確かに日本人への悪意に満ちたカブラルですが、ここまであしざまにボロクソに叩かれると返って清々しささえ覚えます。個人的に付き合う分には裏表がない、いいやつだったんじゃないですかね?カブラル
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