戦国時代は裏切りが日常茶飯事でした。しかし、いかに裏切りが当たり前にあっても、365日、警戒してばかりでは人間生活は営めません。そこで、重要になったのが人質だったのです。今回は戦国時代の信頼を担保した人質を解説します。
身内の命を預かり信頼を担保する
戦国時代でも、一番大事なものは血縁者です。特に武士階級の場合には、家を継ぐ嫡男が大事にされていました。逆に言えば、同盟相手や配下の嫡男を人質に取る事が出来れば、相手はそう簡単に裏切れないわけです。こうして血で血を洗う戦国時代、人質は安全保障として重要視されるようになりました。
人質のタイプは2種類
人質のタイプは2種類ありました。1つは他国の大名から人質を取って同盟や和睦するもので、今川義元の人質に出された徳川家康は、こちらに該当します。もう1つは主君が有力家臣から人質を取るもので、武田信玄の奥近習に任命された真田昌幸はこれに該当します。
人質は基本大事にされた
戦国時代の人質は、相手が叛いたり裏切ったりしない限りは基本大事に扱われました。特に家臣から人質を取る場合は次期当主と一緒に養育して主従の絆を育み、将来的には重臣者宿老への道が開ける重要なポジションでした。ライバル大名から人質を取る場合でも、人質が幼少の時にはシッカリと教育を施し、いつか本国に帰還する時に恥ずかしくないように十分な対応をしています。
人質のデメリット
丁重に扱われた人質ですが、通信や移動については監視の目が光っていました。人質は必然的に自国にとって都合の悪い情報も耳にするので、そんな情報を敵国に流さないため、警戒を厳重にする必要があったのです。そのため、里帰りなどは簡単には許されませんでした。
また人質を送っている国や家臣が裏切った場合、人質はほぼ100%見せしめに処刑されました。可哀想という気持ちはありましたが、裏切れば容赦なく人質を殺すという姿勢を見せないと、なめられてさらに裏切りが続発するリスクがあったためです。
▼こちらもどうぞ
つらく苦しい人質生活は嘘?今川義元に大事にされていた家康【どうする家康】