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戦国時代の人質生活とはどんなモノ?【どうする家康】

2023年1月27日


人質として今川家で暮らしていた幼き徳川家康(松平元康)

 

戦国時代は裏切りが日常茶飯事でした。しかし、いかに裏切りが当たり前にあっても、365日、警戒してばかりでは人間生活は営めません。そこで、重要になったのが人質だったのです。今回は戦国時代の信頼を担保した人質を解説します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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身内の命を預かり信頼を担保する

名古屋城

 

戦国時代でも、一番大事なものは血縁者です。特に武士階級の場合には、家を継ぐ嫡男が大事にされていました。逆に言えば、同盟相手や配下の嫡男を人質に取る事が出来れば、相手はそう簡単に裏切れないわけです。こうして血で血を洗う戦国時代、人質は安全保障として重要視されるようになりました。

 

人質のタイプは2種類

真田昌幸

 

人質のタイプは2種類ありました。1つは他国の大名から人質を取って同盟や和睦するもので、今川義元の人質に出された徳川家康は、こちらに該当します。もう1つは主君が有力家臣から人質を取るもので、武田信玄の奥近習に任命された真田昌幸はこれに該当します。

 

人質は基本大事にされた

今川義元

 

戦国時代の人質は、相手が叛いたり裏切ったりしない限りは基本大事に扱われました。特に家臣から人質を取る場合は次期当主と一緒に養育して主従の絆を育み、将来的には重臣者宿老への道が開ける重要なポジションでした。ライバル大名から人質を取る場合でも、人質が幼少の時にはシッカリと教育を施し、いつか本国に帰還する時に恥ずかしくないように十分な対応をしています。

 

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人質のデメリット

時々諜報活動を失敗する服部半蔵

 

 

丁重に扱われた人質ですが、通信や移動については監視の目が光っていました。人質は必然的に自国にとって都合の悪い情報も耳にするので、そんな情報を敵国に流さないため、警戒を厳重にする必要があったのです。そのため、里帰りなどは簡単には許されませんでした。

 

ちょっとしたことでブチ切れる織田信長

 

 

また人質を送っている国や家臣が裏切った場合、人質はほぼ100%見せしめに処刑されました。可哀想という気持ちはありましたが、裏切れば容赦なく人質を殺すという姿勢を見せないと、なめられてさらに裏切りが続発するリスクがあったためです。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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