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どうして大草松平昌久は家康の命を狙うのか?【どうする家康】

2023年1月22日


 

徳川家康と共に武功を重ねる本多忠勝

 

 

NHK大河ドラマ「どうする家康」第二話「兎と狼」で最新鋭の連発式火縄銃を駆使し家康を窮地に陥れた松平一族、大草松平昌久、しかし、どうして彼は家康を殺そうとするのでしょうか?今回は大河が説明しなかった家康と大草松平の確執を解説します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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大草松平氏は元々岡崎城の主だった

名古屋城

 

大草松平昌久が家康の命をつけねらうのは、家康の本拠地である岡崎城が元々、大草松平氏の居城だったからと考えられます。簡単に経緯を説明すると元々、岡崎城は西郷頼嗣という人物の居城でしたが、そこに松平の祖である松平信光が自分の五男である光重を養子に入れて、岡崎城を乗っ取ります。こうして誕生したのが光重の子である信貞で、彼が大草松平の初代当主となりました。

 

 

岡崎城が家康の祖父に奪われる

炎上する城a(モブ)

 

 

その後、松平一族は宗家の岩松松平が伊勢宗瑞の軍勢に攻められるなどして没落し、分家で安祥城を拠点とする安祥松平氏が当主となりました。この安祥松平から家康の祖父である松平清康が登場し、岡崎城を守る松平信貞を追い払って城を奪い、さらに本拠地まで岡崎城に移転してしまったのです。

 

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信貞の子、昌久が復讐に燃える

日本戦国時代の鎧(武士・兵士)

 

 

信貞の後を継いだのが大草松平4代目である松平昌久でした。ドラマとは違い昌久は自分の孫である松平正親を桶狭間の戦いに従軍させていますが、正親は討ち死にしたようです。昌久は1563年三河一向一揆が起きると、反家康派に味方し、吉良義昭の本拠地である東条城に籠城していましたが、家康が戦いに勝利すると行方を晦ましました。

 

 

 

家康との対立は宗教無関係

徳川家康の馬印と徳川家康

 

 

三河一向一揆に、反家康で参加した昌久ですが、宗派は家康と同じ西山浄土宗で宗教的な対立はなかったようです。だとすると、やはり松平清康に奪われた岡崎城を奪い返したいという気持ちが、昌久を反家康に駆り立てたのかも知れません。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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