徳川四天王の1人で生涯に五十回以上も出陣し、かすり傷も負わなかったと伝わる猛将本多忠勝。その勇猛果敢ぶりに、豊臣秀吉も惚れ込んで、陰に陽にヘッドハンティングしようとしたそうですが、忠義者の忠勝は決して靡こうとはしませんでした。
三河武士の鑑と称えられた本多忠勝の子孫は現在でも継続しているのでしょうか?
本多忠勝の嫡男の子孫は最後の将軍
本多忠勝の子孫は令和の現在まで継続しています。本多忠勝と正室於久の方の間に生まれた本多忠政の長男は本多忠刻と言い美男で有名でした。この忠刻が豊臣秀頼と死別した徳川秀忠の娘千姫と再婚し、その子孫が最後の将軍徳川慶喜です。本多忠勝の子孫が主君が開いた幕府を終わらせる事になるとは歴史の皮肉ですね。
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本多忠勝の次男の子孫は楽天社長
一方、次男の本多忠朝の家系は上総国大多喜藩主から播磨国明石藩主を経て、播磨国山崎藩主となった所で廃藩置県を迎え、最後の山崎藩主本多忠明は子爵を授けられました。この子爵本多忠明から本多忠銓と続き、三木谷昌子、三木谷良一と続いた子孫が楽天創業者の三木谷浩史だそうです。勇猛な本多忠勝の子孫が、あの三木谷社長だったとは、歴史って面白いですね。
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