本多忠勝の子孫は現在でも続いているの?【どうする家康】

2023年1月21日


 

イケメンすぎる本多忠勝

 

 

徳川四天王の1人で生涯に五十回以上も出陣し、かすり傷も負わなかったと伝わる猛将本多忠勝。その勇猛果敢ぶりに、豊臣秀吉も惚れ込んで、陰に陽にヘッドハンティングしようとしたそうですが、忠義者の忠勝は決して靡こうとはしませんでした。

 

三河武士の鑑と称えられた本多忠勝の子孫は現在でも継続しているのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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本多忠勝の嫡男の子孫は最後の将軍

大政奉還した徳川慶喜

 

 

本多忠勝の子孫は令和の現在まで継続しています。本多忠勝と正室於久の方の間に生まれた本多忠政の長男は本多忠刻と言い美男で有名でした。この忠刻が豊臣秀頼と死別した徳川秀忠の娘千姫と再婚し、その子孫が最後の将軍徳川慶喜です。本多忠勝の子孫が主君が開いた幕府を終わらせる事になるとは歴史の皮肉ですね。

 

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本多忠勝の次男の子孫は楽天社長

徳川家康と共に武功を重ねる本多忠勝

 

一方、次男の本多忠朝の家系は上総国大多喜藩主から播磨国明石藩主を経て、播磨国山崎藩主となった所で廃藩置県を迎え、最後の山崎藩主本多忠明は子爵を授けられました。この子爵本多忠明から本多忠銓と続き、三木谷昌子、三木谷良一と続いた子孫が楽天創業者の三木谷浩史だそうです。勇猛な本多忠勝の子孫が、あの三木谷社長だったとは、歴史って面白いですね。

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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