遅れてきた呉の英雄・孫権の才能とは?

2014年12月29日


 

孫権 冠

 

三国志、呉の初代皇帝として、天下争奪に鎬を削った孫権ですが、

そのキャラクターの地味な事は皆さんご存じの事だと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



孫権の生い立ち

暴れる黄巾党008

 

それもその筈で、孫権が生まれたのは、西暦181年で黄巾の乱の3年前です。

 

更に、西暦189年の袁紹を盟主とする反菫卓連合軍が起きた時でさえ、

孫権は僅か8歳、確かにこれでは活躍しようがありません。

 

天才軍師・ 諸葛孔明と同じ年に生まれた

孔明南東の風

 

あの天才軍師、諸葛孔明が同じ西暦181年の生まれで、

彼が、三国志に出現するのが、西暦208年の事

劉備に三顧の礼を持って迎えられた時です。

 

つまり、孫権は、諸葛孔明と同期(タメ)という事になり、

三国志の英傑達とは、一世代程、下に当たっている事になります。

 

曹操・劉備との違い

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

おまけに、曹操や劉備が、徒手空拳で自分の地位を掴んだのに対し、

孫権は、父が死に、兄、孫策が刺客に襲われて病が癒えず憤死した

その後を受けて、西暦200年、19歳で呉の地を任されています。

 

そこにドラマチックな話を期待できる筈もなく、

何の苦労もなく、指導者の地位についたボンボンという印象は

拭えない部分があるでしょう。

 

しかし、だからと言って、孫権が何の苦労もなく、

呉を統治したという事は全くありません。

 

2代目・3代目の苦悩

孫晧

 

実際には、創業者の二代目、三代目には、

恵まれているからこそ、生じる苦難というものがあります。

 

その第一は、自分が当主になる前から仕えている古参の武将達

文官達の存在があります。

 

 

創業者ならば、共に戦場を駆け抜けたという連帯感がありますが、

二世には、そんな共通体験が存在しません。

 

そこで若い自分を頼んで、強権的に振る舞うと、古参の有力武将の

離反を招いて、国が分裂したり内乱状態に陥る恐れがあります。

 

さりとて、全てを古参武将の言いなりにすると、

いつまで経ってもリーダーシップを発揮できず、

最後には侮られ、指導者の地位を追われる恐れもあります。

 

日本史でも同じような史実がある

真田丸02(武田信玄)

 

日本の戦国時代でも、偉大な戦略家、武田信玄の跡を継いだ

武田勝頼は、古参の武将達を纏める事が出来ず、

結果、度重なる敗戦で武田家を滅亡に追いやります。

 

決して勝頼が無能だったわけではありません、、

それだけ、創業者が興した事業を継ぐというのは、

難しいという事なのです。

 

孫権は難しい舵取りを巧みにやり遂げた

遅れて来た孫権 英雄

 

ところが、孫権は、二代目特有の難しいかじ取りを

巧みにやり遂げました。

 

孫権が指導者の地位にあったのは、西暦200年から、

80歳で没する、西暦252年まで52年間という長期に及びます。

 

若き孫権は、そうでなくても、自己主張が激しい時期に、

身を低くして、低姿勢で振舞い、張昭や、程普、黄蓋というような、

先代、先々代からのウルさい古参の名将の諫言を良く聞きます。

 

それは演技だけで出来るわけではなく、真剣に耳を傾けて、

採用すべき意見は採用したので、古参の武将達も孫権を

「若造」と侮らず一致協力して、これを助けたのです。

 

外交の先を読む能力にも長けていた

 

また、そればかりでなく、外交の先を読む能力にも長け、

赤壁では、家臣に曹操に降伏すべきという意見が多かったにも関わらず、

周瑜や、諸葛孔明の主戦論に理があると見ると、大勢を覆して、

これを支持しています。

 

この記事を書いた人:

kawauso

HN:

kawauso

自己紹介:

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-三国志の雑学
-