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滅びゆくものへの郷愁劉備という生き方

2014年12月31日


 

劉備 曹操

 

長い物には巻かれろというのは、世の中を渡っていく上でどうしても

頭の片隅に置かないといけない処世術ですよね?

 

「ああ、こいつに使われるのなんか、嫌で仕方がないのに、、」

 

でも生活の為に顔で笑って心で泣いて頑張る、ああ俺なんか小者だな

そう思った時に、眩しく見える存在が劉備玄徳という生き方です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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熾烈な生存競争で勝ち残った劉備

劉備玄徳が眩しい理由 三国志

 

端的に言うと、三国志における勝者は曹操が率いた魏です。

劉備は、熾烈な生存競争に最後まで勝ち残りはしました。

 

それは、奇跡的な事で、志半ばで戦乱に散った三国志の群雄の中では

とても幸運な人生であったと言えます。

 

しかし、彼が興した蜀は、国力においても人材においても

魏はおろか、呉にさえ敵わず、諸葛孔明が逝去した後は、

誰が指導者になっても、呉か魏に吸収される運命でした。

 

敗者、劉備玄徳に心惹かれる理由

劉備 関羽 張飛

 

では、どうして日本人は、そのような敗者、劉備に心惹かれるのか?

それは、最後まで劉備が自分の信念を曲げなかったからでしょう。

 

曹操は強い、確かに強い、その圧力をはねのける事は出来ても

曹操の首を取るのは、至難の業だ。

 

そのような時流から曹操に媚びて、その支配下に入った群雄は

沢山いました。

 

その中で、劉備は、曹操が後漢王朝を喰い物にして、

献帝を蔑ろにしているのは許せないとして、

西暦200年以降は、曹操と敵対し目の敵にされて、

何度も、戦争で敗れては命からがら逃げのびてします。

 

曹操に目の敵にされて常に逃げまわっている劉備

劉備 黒歴史

 

このような経緯から劉備はいつまで経っても自分の勢力という

ものを持つ事が出来ず、40歳を超えても人の世話になり、

荊州の劉表の下に居る時は、毎日宴会漬けで、日に日に太っていき

トイレで着物をまくり上げて、太ももに肉がついているのを見て

ショックを受けています。

 

「戦乱の中で大した事も出来ないまま、年ばかりを取り、

気がつけば、40を超え、安穏の中で太ってしまった。」

 

かと思えば、劉表配下の重臣、蔡瑁には、曹操に降伏するのに

劉備がいるのは邪魔だと思われて、暗殺の危機にも瀕します。

 

どんなに逆境でも劉備は掲げた漢王朝の再興と打倒曹操の旗を降ろさなかった

三国志 歴史

 

しかし、そのような逆境でも、劉備は自分が掲げた旗印である、

漢王朝の再興と打倒曹操の旗を降ろしませんでした。

 

そのど根性がやがて、諸葛孔明という希代の天才軍師との

出会いという幸運を引き寄せます。

 

根なし草だった劉備は、やがて孔明の知略により、荊州を得て

さらに、赤壁の敗戦で疲弊した、魏と呉の隙を突いて、

凡君の劉璋が治める益州を制覇して辛うじて三国の一角に

昇り詰めていくのです。

 

 

劉備がスゴイ理由

陸遜 劉備

 

どうして劉備が凄いのか?

それは最初の信念を曲げなかったから

 

どうして劉備に人気があるのか?

それは中国最強の男、曹操についに屈服しなかったから

 

長い物には巻かれろを、どこまでも拒否して、

一匹の硬骨漢として生きたその人生に憧れるからです。

 

 

関羽を討たれ怒りのあまり呉に対して戦争を起こした劉備

関羽神様

 

元々、皇帝になるには、人間が熱すぎる劉備は、

孔明が制止するのも聞かず、関羽を打ち破って殺した

呉に立腹して戦争を起こして敗れてしまいます。

 

 

それも、生まれた時は違っても願わくば同年、同月、同日に

死せんと誓った義兄弟への愛情からの暴走でした。

 

 

それを孔明も強いてまでは止められず、誰も制止できませんでした。

それは、ひとえに、そうでなければ劉備ではない、

という劉備なればこその熱さなのでしょう。

 

信じた仲間たちと歩む事によって生きがいを感じていた劉備

関羽 神様

 

劉備は、本当は皇帝になる事などどうでもよく、

ただ、自分の信じた道を歴戦をくぐり抜けた仲間と共に歩む事に

生きがいを感じていたのではないでしょうか?

 

 

そして、それを貫いた結果、自分に滅びの時が訪れても、

その時は満足し笑って死んでみせる、、

 

この滅びの美学が、戦略的には負け犬に与した劉備の

勝者にも決して劣らない生き方なのです。

 

私達凡人が、劉備のように生きるのは困難でも、

「長い物に巻かれるだけが、男の生き方ではない」という模範をしめした

劉備に多くの人が心情的に惹きつけられるのは無理もない事でしょう。

 

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この記事を書いた人:

kawauso

HN:

kawauso

自己紹介:

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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