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白眼視の元になった竹林の七賢の阮籍、三国時代の故事成語

2015年1月8日


 

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馬良(眉白)

 

現代でも使われることのある故事成語の多くが中国に由来していることは、皆さんもご存知かと思います。『白眼視』という言葉はいまでも良く使われる故事成語のひとつです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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白眼視ってどういう意味?

白眼視

 

相手のことを軽蔑するという意味で、『白い目で見る』などと言ったりもしますよね。

この『白眼視』という言葉、実は三国時代に生きたある人物が元になっています。

 

白眼視の元になった竹林の七賢の指導者、阮籍(げんせき)

 

三国時代末期、魏に『竹林の七賢』と呼ばれる人たちがいました。

今で言う知識階層の人たちで、酒を嗜み、歯に衣着せぬ言動で社会批判をしたことで知られる人物たちです。

 

その『竹林の七賢』の指導的立場であったとされる阮籍(げんせき)という人物がいます。

役職に進んで就こうとはせず、親類から叱責を受けてやむなく仕官したこともありましたが、病気を口実にしてすぐに辞めてしまいました。

 

司馬懿が魏の実権を握っても阮籍はやる気なし

司馬懿

 

司馬懿が魏の実権を握ると、阮籍を役職に就かせますが、彼は殆ど給料泥棒と言われるほどの働きしかしませんでした。

酒を大量に貯蔵している役所の職に自ら望んでなり、酒を飲んで過ごしたと言います。

 

 

当時の中国には、喪中の者は酒や肉を断つ習慣がありましたが、阮籍は母親の葬儀に際しても酒を飲み、肉を喰らいました。

 

司馬昭

 

見かねたある人物が、当時阮籍が使えていた司馬昭に阮籍の左遷を進言しますが、

結局司馬昭はやせ衰えた阮籍を憐れみ、彼の罪を不問に付しました。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

晋の時代の歴史書『晋書』の記述によれば、阮籍は司馬氏の簒奪行為と政争に明け暮れる様を目の当たりにし、

自らに一切政争には関わらないと決心して、酒を飲んで過ごす生活を選んだとされています。

数多くの著作や詩を残し、特にその詩は李白(りはく)にも影響を与えています。

 

『白眼視』は阮籍が客人に対する態度を使い分けていた

竹林の七賢

 

『白眼視』は、阮籍が客人に対する態度を使い分けたという逸話が元になっています。

阮籍には青眼と白眼、二種類の目つきを使い分ける特技がありました。

偽善と礼儀を嫌っていた阮籍は、儒教を重んじる=礼儀を重視する儒家の人間に対しては軽蔑を隠さず、白眼を向けて応対したと言います。

その一方で、自分の気に入った人物に対しては青眼で応対しました。

 

他人を軽蔑することを『白眼視』

 

この阮籍の逸話から、他人を軽蔑することを『白眼視』と言うようになったということです。

また、『白眼視』ほどには使われることはありませんが、『青眼』も“親しい人を迎える際の喜びの眼差し”、という意味で用いられることがあります。

 

 

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