黄巾の乱以降、後宮の中で絶大な力を誇った宦官と対立を深めた外戚。
皇后の親族である彼らもまた中国史王朝の中で重要な存在でありました。
日本史の中でも、皇后の親族が権力を握り、朝廷の中で多大な影響力を占めたと
いうと、平安時代の藤原摂関家が思い出されますが、三国志の中でもたびたび
登場するように中国王朝の権力争いというものは血しぶきで視界が煙るような
なかなかのハードモードであります。
後継者争いや、権力闘争などが熾烈を極めるという背景には儒教の影響というものが深くかかわっています。
今回はその儒教と外戚との関係についてふれてみましょう。
今更過ぎて聞くに聞けない~そもそも儒教とは?
孔子(紀元前552~479)を始祖とする思考・信仰の体系で儒家思想とも呼ばれます。
周の時代に確立されましたが、三国志の舞台ともなる前漢・後漢の時代に勢力を強め
現代においても特に中国、韓国ではその思想の影響が人々の生活の根幹に色濃く
残っています。日本でも4~5世紀ごろに王仁(わに)によって伝えられましたが、
宗教的な位置づけがされた中国や韓国と違い「学問」として紹介された背景があるせいか
一般の庶民にまで広く根強く影響を及ぼすには至っておりません。
外戚が権力をもつのには儒教思想の影響が大!
さてではなぜ外戚が権力を持つ背景に儒教が関係しているのでしょうか?
それは儒教思想の中にある「孝」という概念。親孝行の「孝」ですね。
古代中国では家父長制度が社会の基礎となっているので父親が一家の主であり絶対的な存在であるわけですね。だから子供は親には絶対服従です。
「百善孝為先(親孝行ができない人はどんなこともできない)」という言葉があるように、
儒教の「孝」は道徳の中心にある概念と考えてもよいのではないでしょうか。
神のもとに人は平等であり親は親、子供は子供。といったキリスト教圏の考え方は全く
異なる下地があるのですね。
そうなると人々が敬意を表すべき対象というものはやはり「親」になるわけです。それは自分の親だけにはとどまりません。
君主に仕える者であれば当然その君主の親にも最高位の敬意を表さなくてはなりません。
そういった精神的・社会的背景によって引き立てられていったのが外戚たちなのです。
「俺は○○の親なんだけど~」といえば大いばりできちゃうわけですものね。
野心に燃える者たちは権力を手に入れるために自分の子供たちを利用して皇帝の親戚になろうとするわけです。
基本的に相いれなくて当たり前。外戚と宦官。
以上のことを鑑みましても、親戚関係をバックに権力を手に入れた外戚と、いわば一念発起して単独で地位を手にした宦官とでは、
出発点が違うわけですから相いれず反発しあって当然なのかもしれませんね。
どちらにしても、彼らの中で熱くうごめく野心と欲望が中国史を複雑怪奇に興味深くさせたことは間違いないでしょう。