壮大なスケールで語られる中国史の中で常に暗躍し、
三国志の中にも登場する宦官(かんがん)。
後漢が衰退する原因ともなった彼らとは、いったい何者で、
なぜこれほど大きな存在感をもっていたのでしょうか。
今回はそんなミステリアスな宦官(かんがん)について考察していきましょう。
この記事の目次
そもそも宦官(かんがん)とはどんな人たちなの?
中国史がお好きな方ならすでにご存知かもしれませんが、宦官(かんがん)というのは去勢をされた官吏(かんり)のことで、
ざっくばらんな言い方をすれば男性の大切な部分を外科手術によって除去した役人のことです。
日本の歴史では馴染みないがヨーロッパ・中国史ではよく歴史に登場
日本の歴史の中ではこのタイプの人たちはほとんど登場しないのですが
中国はもちろん、ヨーロッパや朝鮮半島の歴史上にはよく登場します。
もとをたどれば異民族や献上奴隷などが王へ使えていたのが始まりで、
去勢され宮中で妃の身の回りの世話などをしていくうちに信頼され、後々には権力を手にするものも出てきたのですね。
宦官(かんがん)になるのは命がけ!でも出世したいからなりたい人続出!!
十分な医療体制も整っていない時代です。
去勢のための外科手術なんて大きなナイフのようなものを使って
施術されるだけですので感染症で亡くなる人もとても多かったのですが、
隋の時代に役人の検定試験(科挙)の制度ができるまでは、
王家の血筋でもない限り立身出世は望めない社会でしたので
リスクを冒してでも宦官(かんがん)になりたがる人は後をたたなかったようですね。
歴史用語での宦官になることを●●
ちなみに歴史用語で宦官になることを浄身、自宮などと言います。
かつて刑罰の一つで宮刑というのがあって、一生宮廷で働かせる罰だったのですが男性の場合は不祥事を起こさぬよう
去勢するのが前提だったため宮刑は去勢を連想させる言葉でもあります。
なので自ずから宮にはいるので自宮なんでしょうね。(ちなみに去勢をさせる刑罰自体は腐刑と呼ばれます。)
去勢されたからって油断ならない!王たちに寵愛される宦官もいた
宦官(かんがん)が重用される理由のひとつは
「去勢しているから王妃と万が一でも間違いを起こせないから」という部分だと思うのですが、
それが裏目に出たというか実際に王妃と良い仲になってしまったケースもありましたし、
王自身と良い仲になってしまうこともありました。
日本でいうとお殿様にお仕えするお小姓との関係のようなものでしょうか。
権力争いや後継者争いでドロドロした王族にとって、
肉親には心は許せなくてもいつも側に仕えて身の回りの世話をしてくれる他人である宦官(かんがん)たちは
唯一心を開ける存在になり得たのかもしれません。
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