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霍弋(かくよく)とはどんな人?蜀の滅亡まで司馬昭に屈しなかった隠れた名将

2016年2月7日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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司馬昭は霍弋の覚悟に感銘を受ける

 

司馬昭は霍弋の言葉を部下から聞き、感銘を受けます。司馬昭は霍弋に南中都督の職を与え、引き続き雲南地方の統治を任せます。

 

ベトナム制圧へ

三国志のモブ 反乱

 

呉の交州太守(こうしゅうたいしゅ)呂興(りょこう)は反乱を起こします。その際、霍弋に援軍を送ってくれるように依頼します。霍弋は援軍を派遣しようとしますが、呂興は部下にすでに討たれており、援軍を送る事はできませんでした。その後彼は呂興が反乱を起こした交州・九真・日南三郡を平定します。この三郡は現在のベトナムがある場所です。こうして三郡を領土に加えた功績が認められ、列侯に封じられます。彼はこうして雲南地方を長い間統治し、民衆や異民族からも慕われており、彼が亡くなった時大勢の人が、悲しんだとされております。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

蜀の滅亡後、劉禅の安否を気にして、降伏を進んでしなかった霍弋は見事としかいいようのない人物ですね。魏の帝位が司馬氏に簒奪された際や呉の滅亡時にこのような人物は出てきませんでした。蜀の後半は人材が不足しており、厳しい状況でしたが、霍弋はそんな中、蜀の国内に隠れた名将と言っても過言ではありません。しかし残念なのは彼が中央から遠く離れた雲南地方の統治を任されていた事です。姜維の北伐に雲南地方の軍勢を率いて一度でも参加させていれば、中々面白い戦いが見る事ができ、彼の名前ももっと有名になっていた事でしょう。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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