広告

これはキツイ!健康が回復するかで刑罰が決まる保辜(ほこ)

2016年9月24日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

劉備

 

後漢の時代には、髠(こん)刑のように、髪をそり落とす刑があったり、

刺青を入れる刑があったり、現代とは違うものがありました。

また、その中には、保辜(ほこ)という、これまた現在にはない刑罰もあります。

ある意味では、合理的とも言うべき保辜とはどのような刑罰だったのか?

現代の刑法と比較して紹介してみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



犯罪の結果責任を負わせる刑罰 保辜

劉備 曹操

 

現在の日本の刑法では、相手を殺すつもりで傷を負わせても、

相手が死ななかった場合には、傷害罪ではなく殺人未遂罪が適用されます。

殺人未遂罪と言うと、なんだか殺人よりは軽そうな刑罰ですが、

実際には刑の重さは殺人罪と変わらず、死刑または5年以下の懲役です。

 

一方、漢の時代の刑法は、これとは少し違っています。

加害者と被害者の間でトラブルがあり、一方が相手を殺してしまった時は

もちろん殺人罪ですが、殺すまでには至らず、傷を負ってしまった時には

保辜という刑罰が適用されていたようです。

 

被害者の容体を見て死亡したら殺人罪、回復したら傷害罪

朝まで三国志 劉備

 

保辜は加害者が被害者を殺そうとしても死なず、

重傷を負った場合に、10日間治療しながら様子を見て、

治療の甲斐なく被害者が死んだ場合には、賊殺人の刑、

相手が死ななかった場合には賊傷害の刑に処すという決まりです。

 

「賊」というのは一方的に手を下すという意味で、

お互いに殴り合うようなケースでは「闘」という文字が使用されます。

 

加害者は、10日間に渡り拘束され、被害者の容体を見ます。

そして、回復力次第で、殺人罪か傷害罪か決定するのです。

 

現代の殺人罪に比較して幅があった後漢の刑罰

三国志 牢獄

 

こうして、考えると、後漢の時代の刑罰は、殺意がある場合には、

未遂だろうが、殺してしまおうが同程度の罪になってしまう

現代刑法よりは、量刑に幅があったと言う事が出来ます。

 

ただ、殺意があったかどうかに量刑がよらないという事は、

殺すつもりがなくても、結果死んだ場合には賊殺人ですから、

殺意の有無には関係なく、被害者の状態による事になります。

 

もし、殺意がなく、保辜を受ける事になったら、

加害者は「どうか助かってくれ」と祈らずにはいられなかったでしょうね。

逆に言えば、加害者が殺すつもり満々の場合はどうなるのでしょう。

相手が助かって、賊傷害になった場合、刑期を終えたら、

さらに被害者に襲い掛かるというような事にならなかったのでしょうか?

 

もっとも、現代の刑法でも、殺人未遂罪は重いとはいえ、

被害者を殺す事を加害者が思いとどまったような場合には、

情状酌量が下される事になっています。

 

関連記事:こんなの絶対に入りたくない!三国志の時代の牢獄は酷すぎた…当時の刑罰も合わせて紹介

関連記事:三国志時代のセキュリティはどうなっていたの?何でもかんでも機密保持じゃい!

 

判決が決まっていない容疑者に武器を与えた場合

三国志 武器

 

保辜には、もう一つの規定があります。

それは、罪が確定していない未決囚に自殺可能な武器や、

縄を与えその武器で、容疑者が自殺ないし、他人を傷つけたりして、

保辜20日の間に死亡した場合には、武器を与えた者は、

髠刑に処した上で強制労働の刑に処すという決まりです。

 

このような刑罰があるという事は、容疑者に武器を差し入れ、

脱獄の手助けをしたり、或いは自殺を促したりするような人が

いたという事でしょう、なかなか、闇が深そうな話ですね。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

このような、賊殺人、賊傷害の原因は、

多くの場合、金銭トラブルだったようです。

中国では、2000年以上前から貨幣経済が発達していて、

人間関係のトラブルの大きな要因になっていたとか・・

 

当時の木簡を見ていても、今と変わらず、

やれ金を貸しただの、金は返しただの、借りた覚えはないだの

双方が認識の違いを、やいやい言うような事になっています。

 

人間は2000年経過しても、あまり変わらないものなのかも

知れませんね。

 

関連記事:三国志時代に降伏や降参するときはどうやってサインを出していたの?

関連記事:【素朴な疑問】三国志時代はどうやって兵士を集めていたの?

 

一騎打ち

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
はじめての三国志 プロフィール画像

はじめての三国志

「ゆるく、たのしく、わかりやすく」をコンセプトにした 歴史エンタメメディアです。
(®登録商標:第5800679号)

-三国志の雑学
-