※こちらの記事は「シミルボン」専用オリジナルコンテンツです。
いつ果てるともしれない戦乱のイメージしかない三国志の時代ですが、
その傍らでは、とあるスポーツが大ブームになっていました。
今回は、忘年会の余興に使えるかもしれない?
超ホットでクールなスポーツ、撃壌(げきじょう)を紹介します。
撃壌のルールとプレイスタイルを解説
撃壌とは、遥か堯(ぎょう)帝の時代から中国人の心を捉えて離さないスポーツです。
前置きは、兎も角、まずは、そのプレイスタイルについて説明しましょう。
撃壌をプレイする上で必要なもの
①服装 :動きやすいラフな格好でよい
②使用するアイテム:壌という木製の沓(くつ)の形をしたアイテムを複数
※沓形のアイテムがないなら、室内で自分の靴を利用しても可能です。
撃壌のルール
① 地面に、壌を立てて置いておく
② 壌を立てた場所から、30歩から40歩離れた地点から、
別の壌を投げ、地面に立てた壌を撃ち、倒す事が出来ればポイント
※壌を撃つ、だから撃壌というんですね。
撃壌のプレイ人数
プレイ人数は、2~6名程度が盛り上がる。
1投ずつ壌を投げていき、投げ終わった人は列の一番最後に再び並ぶ。
こうして壌を倒した回数がより多い人が勝ちとなるシンプルルール。
※今風にいうと、玉を投げないボーリングみたいな感じですかね?
本当にあったスポーツだったのか?
こうして書くと、あまりに適当に見えて、実在したスポーツなの?
と疑りたくなりますが、撃壌は後漢初期の合理主義者であり
反儒教的な思想家として有名な王充の著作である「論衡」の
芸増編に出てくるような由緒あるスポーツだったりします。
正直、なんだか、ヒマ人が酔った勢いで始めた悪ふざけが、
そのままスポーツ化したようなイメージなのですが、
王充がわざわざ書いた位ですから、広く当時の名士が、
楽しむような紳士なスポーツだったのだと推測されます。
※出典 論衡 著者王充
【シミルボン】忘年会の余興にいかが?三国志時代に流行したスポーツ撃壌
の続きは、「シミルボン」内のページで読めます。
続きが気になる方は、「シミルボン」にアクセスしよう!
※本稿はシミルボンに掲載された記事をはじめての三国志用に再編集したものです