はじさんの皆さんは中国四大美女って知ってますか。
まず一人目は、
越王(えつおう)・勾践(こうせん)の復讐の道具として使われた悲劇のヒロインである西施(せいし)。
二人目は項羽の愛妾として最後まで彼に仕えた虞美人(ぐびじん)
三人目は三国志の董卓暗殺で活躍した美女連環の計で有名な貂蝉(ちょうせん)。
そして最後は唐の玄宗皇帝(げんそうこうてい)のお妃として国を傾けた美女楊貴妃(ようきひ)。
この四人が日本で中国四大美女として言われている四人です。
中国では虞美人ではなく王昭君(おうしょうくん)がランクインしております。
そして今回は越王勾践の復讐の道具として使われることになったヒロイン・
西施をご紹介したいと思います。
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呉軍の猛攻によって降伏
越王・勾践は呉王である闔廬を討ち取ったことで大いに気をよくして、
呉を滅亡させるために攻撃を仕掛けようと考えておりました。
しかし天才軍師・范蠡(はんれい)は勾践に対して
「王よ。どうか呉軍に攻撃を行うことはおやめくだされ。
呉にはまだ孫武と伍子胥(ごししょ)がおります。
もし今呉へ攻撃を仕掛けたら必ず反撃されてしまいます。」と諫言を行います。
勾践は范蠡の進言を聞かずに呉へ攻撃を行ってしまいます。
その結果孫武と伍子胥率いる呉軍の猛攻撃を受けてしまい大敗北。
呉軍は越軍を追撃して会稽山(かいけいざん)へ追い詰めることに成功します。
勾践は自らの責任を認めて范蠡に謝まり、今後の方策を尋ねます。
すると范蠡は「ここは呉軍に降伏するのが最良の策でしょう。」と進言。
勾践は范蠡の進言を用いて呉軍に降伏の意思を示します。
すると呉王・夫差(ふさ)は伍子胥や孫武の猛反対を振り切って、
越王の降伏を認めることにします。
苧蘿村の美人
越に苧蘿村(ちょらむら)と言われる村がありました。
この村には西施と言われる女性が住んでおり、
彼女は胸の病が原因で発作が発生してしまう場合がしばしばありました。
そんな時に彼女は胸元を抑えて眉をひそめてうずくまっていたそうです。
この姿を見た村の人々は彼女の美しさに見とれてしまいます。
范蠡はこの村の噂話を聞きくと彼女を見に行くと非常に美しかったので、
早速宮殿に招いて宮女に礼儀作法を学ばせます。
なぜ范蠡は彼女を後宮に招いたのでしょうか。
越の領土を取り戻すための作戦
范蠡は呉を打ち砕いて再び越が国土を回復するために、
呉王に見つからないようにひっそりと富国強兵を行っていました。
しかし呉王にバレないようにしなければならなかったので、
大々的に富国強兵策を行うことができずに少しずつ兵士を集めて、呉軍増強に努めておりました。
また彼は富国強兵を行うだけで呉を倒すことができないと考え、
次なる策を考えます。
そのひとつの策として美女を呉王へ送って、
呉の国力を低下させる策を実行する作戦でした。
范蠡は美女を捜すために色々な噂を聞いて、美女を各地でもとめておりました。
この時、彼の耳に入ってきたのが西施です。
彼女を呉王に献上することで、呉王が彼女に夢中になり国の内政・軍事に目を向けなくなれば、
国力の低下を招くことになるであろうと期待して彼女を後宮へ送り込んだのです。
しかしこの作戦が失敗してもいいよう、違う作戦も同時に行っておりました。
それは呉国の国力低下を望むために、
呉王の側近へ大量の賄賂を渡して重臣である伍子胥を除くことも怠らずに行っておりました。
そして後宮では呉王の好みになるように西施へ色々な教育を数ヵ月行います。
こうして西施はすっかりと呉王の好みに合致する女性へと変貌を遂げて、
呉の国内に送られることになるのです。
呉王夫差に気に入られる
呉王・夫差は越から送られてきた美女の中でも一際綺麗であった西施を見つけると
早速彼女を側室として後宮へ連れて行きます。
そして夫差は彼女に夢中になり、
彼女のために豪華な宮殿や彼女を喜ばせるために豪華な料理を作る厨房、養殖場を作り上げていきます。
こうして范蠡の作戦通り内政をだんだんとおろそかにしていきます。
呉滅亡とともに歴史からその名が消える
その後呉は越王勾践の攻撃によって滅亡し、夫差の名前は歴史の中から消えることになりますが、
この時西施の名前も一緒に消えてしまいます。
彼女のその後は不明ですが、国家を禍に陥れる悪女として殺害されてしまったという伝説や
越の天才軍師范蠡とともに越の国外から脱走して、
中原で幸せに暮らした話など色々な伝説がありますが、
果たして彼女がその後どうなったのかは歴史に残っていないためわかりません。
春秋戦国ライター黒田廉の独り言
国を滅ぼした美女はいっぱいいますが、
今回紹介した西施は国に利用されてしまったかわいそうな美女です。
呉滅亡後に亡くなってしまったのであれば非常に可哀想な最後を迎えております。
しかし彼女が呉の滅亡とともに亡くなったと記されていないため、
もしかしたら幸せな家庭を作って生き延びていたのかもしれませんね。
「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ
じかいもまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃあまたにゃ~」