司馬懿のクーデターによって司馬家が魏の政権を運営していくことになり、
司馬家の権力は魏の朝廷内にあって並ぶ者がないほど増大していくことになります。
司馬家の権力増大に伴い、
魏の朝廷が司馬家に取られてしまうのではないかと不安に感じた人々がおりました。
不安に感じた人々は司馬家を除くために反乱を起こします。
まず王凌(おうりょう)が司馬懿に反旗を翻して反乱を起こそうとしておりましたが、
失敗に終わってしまいます。
その後、文欽と毌丘倹が孫呉の国境で反乱が勃発。
司馬懿の跡を継いでいた司馬師(しばし)は目のコブを手術していたため、
伏せておりましたがある人の進言を受けて文欽・毌丘倹の反乱を鎮圧するために、
出陣することにします。
文欽・毌丘倹の反乱
司馬懿の跡を継いで司馬家の棟梁になった司馬師。
彼は皇帝曹芳が自らを除こうとしていた計画を知ります。
このことがきっかけで司馬師は曹芳を皇帝の位から降ろして、
曹髦(そうぼう)を新しい皇帝として向かえ入れることにします。
曹爽一族や彼の側近らが処断されたことに不安を感じていた毌丘倹ですが、
この皇帝入れ替え事件が発生したことによって司馬師を信頼することが、
できなくなってしまいます。
そして彼は曹爽と仲のよかった文欽を仲間に率いれて反乱を起こします。
司馬師の対応
司馬師は毌丘倹と文欽が反乱を起こしたことを知ると父の弟である司馬孚(しばふ)に
彼らの反乱を鎮圧させようと考えておりました。
この事を配下や魏の臣下達に相談すると「司馬孚殿が出陣されればまず間違いなく、
反乱を鎮圧することができるでしょう」と賛成意見が続出。
そのため彼は司馬孚を反乱鎮圧戦の総大将として出陣させようとしますが、
ある人物が反対してきます。
その人物の名は傅嘏(ふか)です。
傅嘏の進言
傅嘏は司馬師の元に来ると「殿。毌丘倹や文欽が率いている兵は非常に強力です。
また文欽の息子は一騎当千の強者であると噂されており、
彼らに諸将が万が一敗北してしまった場合、
態勢を立て直すことはできなくなり反乱軍を勢いづかせることになります。
また殿がここまで積み上げてきた物はその敗北によって一挙に崩れ去ることになるでしょう。
どうか。殿には毌丘倹らの反乱討伐軍を編成して自ら出陣していただきたいと思います。」と訴えます。
司馬師はこの傅嘏の言葉を聞いて立ち上がり、
「分かった。お主がそこまで言うのであれば、自ら出陣して反乱を鎮圧することにしよう」と
述べて出陣することになります。
三国志ライター黒田レンの独り言
傅嘏の進言によって毌丘倹らの反乱は一気に鎮圧されることになります。
しかし司馬師は家に帰ることができずに亡くなってしまいます。
その原因を作ったのは文欽の息子である文鴦(ぶんおう)です。
彼は父・文欽と一緒に夜間出撃して魏軍へ夜襲を行います。
この作戦は失敗に終わってしまうのですが、
彼の攻撃によって司馬師の本陣は大きく乱れることになってしまいます。
この騒ぎによってコブを手術していた方の目が飛びて出てしまい
反乱鎮圧後に亡くなってしまいます。
傅嘏の進言によって司馬師は亡くなってしまいますが、
反乱軍に一度も劣勢になることなく見事鎮圧することに成功し、
司馬家の権力はますます増大していくことになるのです。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書3 今鷹真・井波律子著など
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