【晋の文公亡命旅行がすごい】中国大陸を横断していた亡命生活

2017年3月4日


 

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古代中国の春秋の五覇の一人晋の文公(ぶんこう)。

彼は父王のせいで晋の国を追われることになってしまいます。

その後晋の君主として返り咲くことができるのですが、晋の国を脱出してからなんと19年後も

後になってからです。

さて彼は晋の国を脱出してから色々な国に亡命することになるのですが、

彼の亡命旅行がとんでもないことになっているのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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晋の国から狄へ逃亡

 

晋の重耳(ちょうじ=後年の晋の文公)は父王に殺害されそうになると晋の首都から脱出して、

狄(てき)へ逃亡します。

狄とは春秋時代に存在していた異民族のことを指しております。

重耳は狄へ逃亡しこの地でなんと12年もの月日を過ごすことになります。

 

狄の地で富を貯めてから・・・・

 

重耳はこの狄の地で12年もの間亡命生活を続けておりました。

その間狄の王や重臣達から色々な支援を受けており、

亡命貴族であるにも関わらずそれなりに富を蓄えることに成功します。

そして彼の重臣である狐偃(こえん)の進言によって狄の地を脱出して、

春秋五覇の一人である斉の桓公(かんこう)に助けを求めるべく斉へ向かいます。

重耳は狄の地を離れる時に一緒に暮らしていた女性に

「25年立って私が戻ってこなかったら誰か違う人と結婚してくれ」と述べたそうです。

このことから重耳は晋の国主になるまでに25年ほどはかかるのではないかと考えていると

思っていたのです。

 

斉へ行くも・・・・

 

斉に到着した重耳は桓公(かんこう)に優遇され高い地位を与えられることになります。

また彼は重耳に自らの娘を与えて彼の世話をさせます。

至れり尽くせりの状態であった重耳は斉にいることが居心地がよく

「この地にずっと居ようではないか。」と狐偃や趙衰(ちょうし)らに述べておりました。

その度に彼ら重臣は「公子。当初の目的を忘れてはなりません」と幾度も注意しておりましたが、

重耳は聞く耳持たずでした。

そんな平和な日々を送っていた重耳ですが、

桓公が亡くなると彼の跡を継ぐべく後継者争いが勃発。

重耳の重臣達はこのまま斉にいれば後継者争いに巻き込まれてしまうと考え、

重耳にたらふく酒を飲ませて酔っ払わせてから馬車へ放り込んで、

そのまま斉から逃げ出すことにします。

 

楚へ到着し、この地でも優遇される

 

重耳は斉を無理やり脱出させられてから各地の小国へ亡命するのですが、

当てにすることはできませんでした。

そして重耳は南方の超大国である楚へ亡命することになります。

楚王は名君と言われた成王の時代で重耳が亡命してくると彼を優遇してもてなします。

しかし成王は「楚は晋まで行くには遠い国である。そこで重耳殿。

秦を味方につければ晋へ帰ることができるであろう。

いま秦君は晋に恨みを持っているので、必ず力になってくれるはずである」と重耳へ提案し、

彼を秦の国境まで送り届けることにします。

 

秦君の力を借りて晋の君主に返り咲く

 

重耳は秦へ到着すると秦君から大いにもてなされることになります。

そして秦君の力を借りてついに晋の君主に返り咲くことに成功するのです。

 

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戦国史ライター黒田レンの独り言

 

晋を追い出されてから19年もの間亡命していたことになるのですが、

回った国々は9カ国になり、河北から中原、そして江南へ行ってから関中である秦にに入って、

再び晋に帰ることになります。

中華を横断した亡命旅行をした重耳でしたがこれだけの国々を回り、

中国大陸を横断したのは晋の文公である重耳だけではないのでしょうか。

 

参考文献 講談社 覇者への道 尾崎秀樹著など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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