レンが考えるに魏は天下統一することができたチャンスが二回ほどありました。
一つ目は赤壁の戦いです。
この戦いで曹操軍が敗北していなければ魏が天下統一することができた可能性が、
かなり高かったと言えるのではないのでしょうか。
二つ目は漢中制圧戦の後です。
陽平関の戦いで張魯(ちょうろ)を降して、漢中を占領することに成功した曹操軍。
この時益州は劉備が政権を打ち立てておりましたが、
劉璋を追い払ったばかりで政権は安定しておりませんでした。
この時に曹操が全力を上げて益州へ攻撃を仕掛けていれば劉備軍は間違えなく敗北して,
益州は曹操の物になっており、
そのまま荊州・揚州を占領することも難しくはなかったと思います。
魏には何回か天下統一することができるチャンスが訪れておりましたが、
呉には天下統一することができるチャンスが訪れていたのでしょうか。
今回は呉が天下統一することができたチャンスが訪れていたのかどうかを探ってみたいと思います。
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この記事の目次
呉にも二回天下統一することができるチャンスが訪れていた
天は魏にばかりチャンスを与えていたのではありませんでした。
呉にもちゃんとチャンスを与えております。
さてそのチャンスはレンが考えるに二回ほど訪れております。
一度目は赤壁の戦いの後に周瑜(しゅうゆ)が打ち出した孫呉による益州攻略戦です。
そして二度目は関羽の樊城(はんじょう)攻略戦の時であると考えております。
今回は上記2点に的を絞って考えていきたいと思います。
一度目のチャンス:孫呉による益州攻略戦と天下二分の計
周瑜は赤壁の戦いの後、
一年あまりの激戦を繰り広げて荊州のど真ん中である江陵(こうりょう)を攻略することに成功します。
周瑜は江陵攻略戦が完了すると益州を攻略して魏を打倒する計画を孫権に提案。
その作戦とは孫呉によって益州を攻略した後張魯を従わせて、
涼州の関中十部軍と連合して西から魏の長安めがけて軍勢を出陣。
そして荊州方面から樊城へ軍勢を北上させると共に合肥(がっぴ)からも軍勢を出陣させる
三方面連動作戦を展開することでした。
孫権はこの作戦を聞いて大いに喜び周瑜にこの作戦を積極的に行うように指示を出します。
しかしこのチャンスを孫呉は活かすことができませんでした。
その原因は周瑜が亡くなってしまったからです。
こうして一度目のチャンスは流れてしまいます。
二度目のチャンス:荊州を攻撃しないで合肥へ全力を向けていれば
関羽が樊城へ攻撃を仕掛けている時、
孫呉は魏の司馬懿(しばい)からの提案により劉備との同盟を破棄して魏と同盟を結びます。
そして孫呉の軍勢は関羽がいなくなった荊州へ軍勢を進めて占領することに成功。
上記は史実の動きですが、レンが考える二度目のチャンスがこの時だと考えます。
もし関羽軍と連動して合肥方面へ全力で攻撃を仕掛けていれば合肥を占領することは
あまり難しくはなかったのではないのでしょうか。
また張遼が怖くて合肥方面へ進行できないのであれば盧江方面から全力で攻撃を
仕掛けて北上していくパターンもありだったのではないしょうか。
もしどちらかの作戦をとって北上することができれば、
蜀軍と連動して魏の領土を奪うことができたでしょう。
そして魏が滅亡して後に蜀と決戦して天下統一を果たしてもいいですし、
南宋と金みたいに天下を二分して統治するのもいいのではないのでしょうか。
しかし上記のチャンスも孫権は荊州と言う土地に執着してしまったために失うことになります。
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三国志ライター黒田レンの独り言
レンの疑問なのですが、果たして孫権は天下統一する意思があったのか。
それとも江南で力を蓄えることに終始して、天下統一する意思は余り無かったのか。
一体どちらなのでしょうか。
レンの勝手な予想ですが、孫権は天下統一する意思が無かったのではないのでしょうか。
もし天下統一する意思があるのであれば、
荊州を取るよりも北上して魏の領土を脅かすことが最優先事項であったはずで、
孔明が北伐作戦を展開している時に、
しっかりと彼と打ち合わせをして連動するなどの動きがあっても良いのではないのでしょうか。
上記を根拠にレンは孫権が天下統一する意思があまりないのではないかと思うのですが、
皆さんはどのように思いますか。
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