三国志ライターkawausoが魏を斬る!蜀が中華統一をする方法

2016年10月10日


 

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kawauso

 

三国中、最弱の国力だった蜀漢、事実として五度に渡る(六回とも)

諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)の北伐でも遂に魏を倒せず、

西暦263年に蜀は滅亡の憂き目にあってしまいます。

では実際、蜀は魏を倒す事は出来なかったのでしょうか?

今回はkawausoが大胆な仮説を連ねて蜀漢、必勝の策を提案しますよ。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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北伐失敗の原因を追えば、欠点は自ずと明らかになる

空腹の兵士

 

・失敗の原因1 ・・・食糧補給の困難

 

北伐失敗の大きな原因は、初っ端の街亭での馬謖(ばしょく)の失敗もありますが、

より長期的な原因としては、食糧不足があると言えるでしょう。

第四次、第五次北伐では、それも木牛・流馬を活用したり屯田を使う事で

解消できましたが、その頃には司馬懿(しばい)が魏軍の前面に出てきていて、

持久戦を決め込み、三十六計、逃げるに如かずになってしまったのです。

 

・失敗の原因2・・・呉との連携不足

 

劉備(りゅうび)の時代にこじれた呉との関係も孔明と鄧芝(とうし)の尽力で、

なんとか修復できたのですが、双方の連携と言えば蜀の北伐に合わせて、

呉に合肥を攻めるように要請するとか、石亭の戦いでの魏の敗戦に乗じて、

北伐の軍を起こすなど消極的な協力に終始しました。

折角の同盟ですから、ここは共同軍で行くべきだったと思います。

 

・失敗原因3・・・第三局の活用に乏しい

 

どうも、孔明は独力で魏を倒すという意識が強すぎて、

魏の背後にも敵はいるという事を失念しているようです。

例えば、幽州の奥には遼東の公孫淵(こうそんえん)という油断ならない野心家がいます。

また、烏桓(うかん)族のような精強な騎馬民族もいます。

 

さらに西には涼州という、これまた呂布(りょふ)馬超(ばちょう)を出した

最強の騎馬民族、羌族の生息地があるではあーりませんか?

これらを孔明が上手に活用すれば、戦局は大きく変化したでしょう。

 



蜀漢必勝プラン1 孔明江水を渡り、呉軍と共同戦線を張る

三国時代の船 走舸

 

では、kawausoが、蜀の必勝プランを提案します。

まず、食糧補給の観点から、漢中から秦嶺山脈を通過して魏領に出るのは

不採用にし、巴郡から大船団を組んで江水を遡るプランを採用します。

江水は、そのまま遡上すれば、長江に合流、呉の帝都である建業まで行けるからです。

 

しかも途上には、白帝城、夷陵(いりょう)、長坂、赤壁、合肥(がっぴ)、

石亭という、、呉、蜀の主要な主戦場が並んでいます。

 

三国時代の船 楼船

 

つまり、何が言いたいのか?と言えば、孔明は蜀軍を率いて江水を遡上し

実際に呉と共同戦線を張るという事なのです。

 

これで遠距離ゆえの連携不足を解消する事が出来ます。

どうだい?ワイルドだろォ~

 

江水遡上プランは、キングダムの時代、司馬錯も採用し楚を撃破

三国時代の船 蒙衝

 

江水の遡上は荒唐無稽ではなく、キングダムでは六大将軍の一人

秦の司馬錯(さく)大将軍が巴から船団を組んで江水を遡り

楚の黥中(げいちゅう)を討った記述があります。

 

唯一の問題は、敗戦した時の撤退の困難ですが、呉と共同して戦う事にすれば

呉の食料及び城をアテに出来るので困難は解消できます。

 

呉が協力を渋るようなら、合肥を共同で攻めるように持ちかければ

あのポイントは、魏から建業に突き付けられた匕首ですから、

孫権(そんけん)は必ず大喜びで賛成すると断言できます。

 

陸遜

 

ついでに戦下手の孫権を引っこませ、陸遜(りくそん)と手を組んでの

共同戦線なら難攻不落の合肥も落とせるかも知れません。

 

蜀漢必勝プラン2 姜維を使い、涼州の羌族を纏める

姜維

 

姜維(きょうい)は天水の名門豪族の出身で、自身が北伐をやるようになってからは、

もっぱら、涼州で戦端を開き食糧調達や兵力の調達をしていますから、

羌族の信頼が厚い人物であると考えて疑いありません。

 

魏延と姜維

 

ただ、北伐開始時の年齢は、27歳と若輩なので戦闘能力は未知数、

ですので、ここはベテランの魏延(ぎえん)を上司に付けてバランスを取ります。

こうして、西涼で羌族を募兵して精強な騎馬兵を組織し、

あとの運用は魏延に一任してしまいます。

 

魏延は人の指図ではなく、武人の本能で動く男ですし、

漢中の防衛ラインの構築なども非凡なので、攻めも守りも

曹真(そうしん)には引けを取らないと思います。

 

これにより、蜀は南では呉との共同戦線、北では魏延と姜維が、

羌族の騎馬兵を組織して、長安を窺うという二正面作戦が出来ます。

 

漢中は、王平を配置して、万が一にも安心

王平 四龍将

 

万が一、窮地に立った曹真が漢中を突破して成都を陥れない

とも限らないので、ここは、後に曹爽(そうそう)を興勢(こうせい)の役で

撃破する王平(おうへい)を守備軍隊長としてガッチリ配置します。

おまけで劉敏(りゅうびん)と鄧芝と馬忠(ばちゅう)も念の為に付けておきましょう。

これで、漢中の守りは万全だと言えるでしょう。

 

関連記事:王平(おうへい)ってどんな人?馬稷の山登りを止めようとした蜀の武将

関連記事:【ポスト五虎大将軍】蜀の四龍将が生きていれば蜀は魏を倒せた?

 

蜀漢必勝プラン3 公孫淵に使者を送り、背後の鄴を狙わせる

三国時代の船

 

呉と蜀の共同戦線が動き始めたら、海路を通って襄平に使者を出し、

野心家の公孫淵に、魏の背後にあたる鄴(ぎょう)を襲うように誘いを掛けます。

あの男の事ですから、どうせ言を左右にしてグズグズ言い見返りを吊上げます。

面倒くさいので、最初から鄴から以北の地を全て与えると言っておけばいいでしょう。

 

本当に公孫淵が動くか未知数ですが兵を整えて、進軍の真似事でもしてくれれば、

大成功、曹叡(そうえい)は背後に気を取られて、迂闊に親征も出来なくなります。

ま、公孫淵に関しては、魏を料理してから、返す刀でバッサリいけば、

それで済む事ですから、褒美の大きさは問題にはなりません(悪)

 

最後の隠し玉、袁燿を使い烏桓族を味方に・・

烏桓

 

公孫淵はイマイチですが、かつて袁紹(えんしょう)に手を貸して

北方四州の平定に功績があった烏桓族は、どうしても味方につけたい所です。

 

光武帝劉秀part1 04 劉秀

 

後漢の光武帝(こうぶてい)も烏桓突騎(うかんとっき)を味方につけて

河北平定の力にしました。

それくらいに、烏桓を味方につけるのは重要なのです。

え?それが出来たのは袁紹の一族で、袁家が滅亡した今、

烏桓族は容易に従わないだろうって?

 

何を寝ぼけた事を言っているんです、いるじゃあないですか!

 

袁術(えんじゅつ)が滅びた後、孫策(そんさく)を頼って郎中まで出世した

袁家の御曹司、袁燿(えんよう)が!彼を上手い事操縦して、

ゆる~く袁家の直系の血を引く人物として烏桓族に送りこみ、

袁家の遺恨を晴らすと宣言させれば、きっと烏桓族だって、

もう一度、力を貸してくれるでしょう。

 

え?同じ袁家でも、袁紹と袁術が同じじゃない事くらい、

烏桓族は、見ぬいてしまうだって?

 

・・・ちぇっ! じゃあ、いいよ、ケチ!!

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

さて、このようにすれば、魏は、北は公孫淵+烏桓突騎の襲撃の脅威、

南は、呉蜀連合軍の北上、西では、姜維と魏延の西涼騎馬軍団の東進という

トリプルの脅威に曝される事になります。

 

いかに司馬懿が名将でも、一度に3つの戦場に出現できる筈もなく、

これで長安なり、洛陽なり鄴が陥落すれば、日和見をしている魏領内の

儒教官僚の反曹勢力の内乱も期待できます。

 

こうして、魏を滅ぼした後は、蜀が長安を呉が洛陽を根拠地にして、

中華を二分して、雌雄を決するも良し、東西王朝を続けるも良しでしょう。

 

本日も三国志の話題をご馳走様です。

 

・三国志ライターろひもと理穂が考える

どうやったら蜀は魏を滅ぼして天下統一を果たせたの?【ろひもと理穂の考察】

 

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