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三国志演義には、酒を煮て英雄を論ずという回があります。
曹操(そうそう)と共に食事をしていた劉備(りゅうび)が曹操に
「この乱世に英雄と呼べる人物は誰か?」と質問され、様々な群雄の名前を挙げるも、
曹操に反論され、最期に曹操に「この世に英雄は君と余だけだ」とに言われ、
内心を見透かされた劉備は思わず箸と匙を落してしまいます。
ここで、劉備は、折よく鳴った雷鳴にかこつけて蹲り、「私は雷が怖いのです」と嘘をつき
首尾よく曹操の警戒心を解くという有名なお話です。
しかし、いかにも分りやすく、それだけに「本当にこんなので欺かれるか?」と感じる
バカっぽいこの話、正史三国志では、もう少し知的な話として紹介されています。
この記事の目次
元の話は、裴松之が引いた華陽国志・・
この話は、陳寿(ちんじゅ)の三国志にはなく、裴松之(はいしょうし)が補完した
資料である華陽国志(かようこくし)に出ている資料が元になっています。
そこでは、劉備が雷に怯えて箸と匙を落したという単純な内容だけではなく、
劉備は以下のようなセリフを発しているのです。
その時、ちょうど雷鳴が鳴り響き、劉備は曹操に言った。
劉備「聖人は、迅雷風烈は必ず変ずと言いましたが良言であります。
一震の威がこれほどの物であろうとは」
さて、皆さん、劉備の言った意味が分るでしょうか?
恐らくピンとこないと思います、無理もない話で、これは論語に出てくる言葉で
論語を読まないと分らない話なのです。
参考文献「華陽国志」 中国古代女性の生き方
著者: 下見 隆雄 出版社: 明徳出版社
この話の元ネタは孔子に由来する論語に関係している・・
論語は、孔子の言行録を弟子が記録したものです、その中には、
「斉衰の者を見ては、狎(な)れたりと雖(いえど)も必ず変ず」
という言葉が残っているのです。
ここにある「変ず」とは態度を改めるという意味になります。
孔子は、公私のケジメがしっかりした人であり、それが親しい友人であっても
冠婚葬祭の行事の時には、慣れ合いをせず、ピシッと敬意を払いました。
同じ理由で、孔子は雷鳴や暴風雨のような自然現象も、何らかの天の意志であると考え
わざわざ正装に着替えて、姿勢を正し敬意を払ったのです。
参考文献 論語を知っていますか
著者: 現代論語研究会 出版社: ベストセラーズ
劉備は雷鳴の威力を孔子の故事に引っ掛けて茶化した
劉備は、雷鳴にびっくりして、思わず箸と匙を落して照れ隠しで
「いやあ、孔子が敬意を払うだけの事はあり、
さすがは雷の威力は凄いですな」
等とおどけて見せたのです。
劉備は、自分の臆病さを孔子の故事に引っ掛ける事で矮小化しようとし、
そんな英雄のような大それた事が出来る人間ではないと演じています。
華陽国志では、曹操は自分の臆病さを孔子の故事に引っ掛けて茶化す劉備を見て、
一種の小利口者の雰囲気を感じて(どうやら見込み違いか・・)と考えて
劉備への警戒心を解いたという話になっているのです。
単純に、雷に驚き、うずくまるだけでなく、それを孔子の故事を用いて
臆病なのではないですよ、孔子が敬うだけあり、雷の威力の凄さに驚いただけです
とする事で、小心さを認めない小者感を劉備は演出したという事でした。
三国志演義として広まる間に劉備の複雑な演技は邪魔になり雷怖いになった
三国志演義は、この華陽国志を下敷きに酒を煮て英雄を論ずの回を産みだします。
しかし、文盲が多い当時の一般の大衆が論語を読んでいるという事は余りなく、
「聖人は、迅雷風烈は必ず変ずと言いましたが良言であります。
一震の威がこれほどの物であろうとは」
というセリフは、論語を引いて説明を入れる面倒な事になったのです。
講釈として発展した三国志演義は、そこにクドクドと説明を加えるとテンポが
かなり悪くなってしまいます。
そこで、ある段階で劉備が演じた小利口者をPRするセリフをバッサリ切り、
ただ、劉備が雷に驚いたフリをして、箸と匙を落すというシンプルな展開にします。
この判断は、大当たりしていると言えるでしょう、だからこそ酒を煮て英雄を論ずは、
数ある三国志の名場面の中でも印象に残るシーンになったのです。
【シミルボン】バカっぽい?酒を煮て英雄を論ずは、もう少し知的だった
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