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三国志の雑学

幻の必殺陣形・八卦の陣とは?三国志演義と諸葛亮孔明の八陣図

この記事の所要時間: 241




 

ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志の守備陣形」のコーナーです。

 

 

戦場において陣形というものは大切です。

攻撃重視の陣もあれば、守備に徹する陣形もあります。

例えば諸葛亮孔明が考案したといわれる「鶴翼の陣」。

敵を包み込んで叩く陣形ですが、敵よりも兵数が優っているときに使用します。

この鶴翼の陣を破るのに適しているのが「魚鱗の陣」です。中央突破の攻めの布陣です。

こういった陣形を変形させながら戦うのが戦場という場所なのです。

今回はこの陣形について触れていきます。

 

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日本で有名な「車掛の陣」

 

日本の戦国時代では、三方ヶ原の戦いで徳川家康の鶴翼の陣に武田信玄は魚鱗の陣で戦い、

武田信玄が勝利を収めています。

川中島の戦いでは逆に武田信玄が鶴翼の陣を敷き、上杉謙信の「車掛の陣」を防ぎました。

この車掛の陣というのは車輪が回るように次々と新手の部隊が敵にぶつかっていく陣です。

実際に上杉謙信がこの陣を用いたのかは定かではありません。伝説的な陣形です。

日本の武将は勉強家が多く。諸葛亮孔明が伝える「八陣図」を応用させて様々な陣を編み出しました。

他にも「偃月の陣」「雁行の陣」や「鋒矢の陣」「長蛇の陣」「方円の陣」「衡軛の陣」

などがあります。

一般的に「八陣の法」などと呼ばれています。




諸葛亮孔明の「八陣図」

 

状況に応じて柔軟に変化させられる諸葛亮孔明が考案した陣形といわれています。

32小隊からなる方陣を正方形に八陣配した陣形です。中央には大将の陣が入ります。

敵の攻撃や地形だけでなく、調練や行軍、野営、

戦闘に臨機応変に対応できる万能の陣形とされています。

しかし、諸葛亮孔明がこの陣を布いて戦った話はほとんど聞きません。

映画「レッドクリフ」では、諸葛亮孔明が「八卦の陣」を布きます。

かなり迫力のある陣形で、映画を観ていて圧倒されました。

八陣図と八卦の陣は同じような陣形だったのでしょうか。

 

三国志演義に登場する八陣

 

三国志演義にはさらにこの八陣図そっくりの陣形が登場します。

映画に登場する八卦の陣とほぼ同じ陣形です。名前は「八門金鎖の陣」です。

諸葛亮孔明の八陣図と異なるのは、中央がすっぽりと空いている点です。

三国志演義でこの陣形を布いたのは、曹操配下の曹仁(そうじん)です。

荊州の劉表の客将だった劉備は最前線である新野を守っていました。

そこに荊州平定のため曹仁が送り込まれるのです。

曹仁の先鋒が劉備に撃破されます。すると曹仁はこの八門金鎖の陣を布きました。

曹仁自信の必殺の陣形です。

 

軍師・徐庶の見せ場

 

このとき劉備の陣営には徐庶がいました。

徐庶は曹仁の陣が八門金鎖の陣だと気が付きます。

八門金鎖の陣は北より時計回りで「驚門」「開門」「休門」

「生門」「傷門」「杜門」「景門」「死門」とされています。

徐庶は劉備に「生門、景門、開門から攻め込めば吉、傷門、驚門、休門から攻めれば負傷し、

杜門、死門から攻めれば壊滅する」と伝えました。

そして趙雲に500の兵を率いさせ、東南の生門から攻め込み、

そのまま中央を通過して西の景門を突破するように指示します。

趙雲はその通りに突撃し、さらに景門から生門に取って返し、曹仁軍を見事に混乱させたました。

曹仁の陣形はまだまだ隙があったということです。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

西暦229年に諸葛亮孔明が八卦の陣を布き、司馬懿仲達に対峙しています。

司馬懿はやはり生門、景門、開門から兵を突撃させますが、陣は崩れません。

諸葛亮孔明は陣に改良を重ねており、門にも動きを加えることで弱点を克服していたのです。

突撃した兵たちは全滅したそうです。

諸葛亮孔明の凄さを物語るエピソードですね。

さすがは無敵の天才軍師です。これは誰も真似ができないでしょう。

まさに諸葛亮孔明ならではの幻の必殺陣形です。

 

皆さんはどうお考えですか。

 

 

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ろひもと理穂

ろひもと理穂

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