曹操孟徳特集
黄巾賊




はじめての三国志

menu

三国志の雑学

五丈原の戦いの裏側で活躍した魏の満寵とは?後編

この記事の所要時間: 242




 

ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志プレイバックPartⅡ」のコーナーです。

 

さて前回から、西暦234年の蜀と魏の衝突「五丈原の戦い」の裏側、

同時期に行われた呉と魏の戦いに注目してお伝えしています。

それまで魏の呉方面の司令官であった曹休が病没し、

西暦229年に満寵が都督揚州軍事に任ぜられました。

孫権を封じる役目です。

さてこの満寵がどのような活躍をするのでしょうか。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

前回記事:五丈原の戦いの裏側で活躍した魏の満寵とは?前編




満寵は読みが鋭い

 

西暦230年には満寵は明帝(曹叡)によって征東将軍に任じられました。

孫権は様子見で合肥に出兵します。あくまでも様子見ですぐに撤退する気配でした。

満寵は近郊の州から兵を集めていましたが、敵の戦意を聞いて明帝は解散するように命じます。

しかし満寵は孫権の撤退が偽装であることを見抜き、警戒を怠りませんでした。

そして予想通りに孫権は攻めてきましたが、満寵の備えを破ることはできませんでした。

さらに西暦231年に孫権は偽りの投降をさせて満寵を誘き出そうとしますが、

その偽装も満寵は見抜いています。

ただ、王凌だけは抜け駆けし孫権に叩かれています。

このとき王凌は抜け駆けするために明帝に満寵の老いが心配だと上奏し、

満寵は都に呼び出されていました。

西暦232年には盧江へ呉の陸遜が侵攻してきますが、

満寵はここでも孫権の陽動を見抜き、救援には向かわず陽宜口に陣を布いて備えます。

呉軍は成果を出すのは難しいと考え撤退します。

このように満寵は実に読みが鋭い将軍でした。

そこには大将軍になった司馬懿のアドバイスもあったともいわれています。




合肥新城の築城

 

これに関しては諸説あります。

西暦230年に築城が完了いたというものと、西暦233年だという説です。

どちらにせよ呉の水軍の威力を殺すために満寵はもとの合肥城よりやや北に新しい城を築城したのです。

西暦233年に孫権はまたも合肥を攻めます。初めての合肥新城攻めです。

しかし上陸してから遠くになったので様子見状態です。

魏兵らは孫権が攻めてこないと油断していましたが、

満寵は油断を誘ってから攻めてくると読んでいました。

その通りに孫権は兵を上陸させて攻め込みます。

しかし満寵はすでにそれを見越して伏兵を配しており、これを打ち破ります。

 

西暦234年の戦い

 

諸葛亮孔明が万全の準備で4月に第6次北伐に出兵します。

盟約を交わしていた孫権は巣湖から10万の兵を自ら率いて合肥新城を攻めます。

さらに陸遜諸葛瑾には襄陽を攻めさせ、孫韶・張承に広陵を攻めさせます。

魏は多方面から一気に攻め込まれたのです。

魏の明帝は果敢な決断をします。満寵からの合肥新城を撤退し、

寿春まで前線を下げるという作戦を却下します。

そして援軍のため自ら親征するのです。

さらに諸葛亮孔明の抑え役の司馬懿にも援軍を出し、絶対に守りに徹することを厳命します。

こうして魏VS蜀・呉の一大決戦となったのです。

 

満寵の活躍

 

このとき満寵は明帝が到着する前に孫権軍を奇襲し、火攻めを敢行します。

そして合肥新城を落とすための攻城兵器を焼き尽くすのです。

さらに孫権の甥の孫泰を討ちます。

孫権は満寵から受けた損害の他に陣中で疫病が流行ったことと、

明帝が直々に出征したことで合肥の攻略を諦めて撤退しました。

 

 

 

五丈原では司馬懿がなんとか自制し、

防衛に徹したために諸葛亮孔明は病没し蜀も撤退することになります。

一大決戦は特に大きな成果もなく終了しました。

明帝はそれを見届け、戦場で活躍することなく悠々と都に引き上げたのです。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

呉はこの満寵の活躍によって何度も口惜しい思いをしています。

特に孫権は満寵の名前を聞くのも苦々しかったのではないでしょうか。

張遼以上に呉に効果的なダメージを与えた人物・満寵。

つわもの揃いの魏の将軍たちのなかでも燦然と輝く実績をあげた名将のひとりに間違いありません。

 

皆さんはどうお考えですか。

 

 

■記事の内容に関するお問い合わせ(誤植等のご報告など)はこちら

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:合肥の戦いで張遼が孫権を討ち取っていたら三国志はどうなった?

関連記事:三国志を否定するのは呉の張昭?三国間の不毛な争いを終わらせようとした政治家

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 怪談話のルーツは中国にあり!オカルト集、捜神記とは?
  2. 夏侯覇(かこうは)の妻は誰だったの?蜀に亡命した魏の夏侯一族
  3. 情報も貴重な戦力!天候は戦場の勝敗の行方を左右する天候事情
  4. 袁術大助かり!漢の時代に盛んになった養蜂を分かりやすく解説
  5. 三国志時代の楽しい農村!当時の農業とはどんなのがあったの?
  6. 孔子・孟子・筍子?儒教(儒家)ってどんな思想?
  7. 何で曹操はあれだけ関羽を愛していたのに配下から逃がしたの?
  8. 【第5回 幻霊物語~爆裂三国バトル~】総括します!愛着の湧く三国…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 袁術はそんなに悪くない、自叙伝で袁術を庇っていた曹操
  2. 民話の中の三国志がカオスな件!関羽が作者羅漢中にブチ切れる
  3. 献帝(けんてい)とはどんな人?後漢のラストエンペラーの成人期
  4. 美濃大返し炸裂!織田家の覇権をかけた柴田勝家(アゴ)と羽柴秀吉(サル)の戦い
  5. 韓馥(かんふく)とはどんな人?三国志一被害妄想が激しく袁紹に怯え自殺してしまった武将
  6. 三国志の故事成語『苦肉の策』(くにくのさく)って何?

三國志雑学

“はじめての三国志150万PV" “広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

これは意外!?三国志時代では戦争の必需品だった短刀 どうして呉は同盟国の蜀・関羽を裏切ったの? 曹操が皇帝に即位していたら三国志はどうなったの? 【コラボ企画】はじめての三国志 x レキシズル 3月25日開催決定 禁断の比較!蜀の五虎大将の忠義・実行力・容姿を比較してみた 【衝撃の事実】劉備と同郷の簡雍(かんよう)がいなければ三国志がなかったかも!? 第4話:袁術くん、時間の使い方を上手くなるため「タイムマネジメント」を学ぶ 【孟徳新書】曹操の兵法書は敵の手に渡らなかったの?

おすすめ記事

  1. 劉焉(りゅうえん)ってどんな人?益州に独立国を建国した漢
  2. 戦国時代最大のミステリー・本能寺の変の謎に迫る!!
  3. 旧約聖書の創世記に出てくるノアの方舟の元ネタは古代中国にあった?
  4. 【はじめての君主論】電子書籍出版のお知らせ
  5. 【祝】はじめての三国志!月間50万PVを達成!
  6. 孫静(そんせい)とはどんな人?兄貴、孫堅とはゼッコーモン!ひたすら故郷を守った孫一族
  7. 鍾繇(しょうよう)とはどんな人?関中の守備を任され、西方の憂いを絶ち、曹操の勢力拡大に貢献した文官
  8. 孫権のツンデレ外交に蜀の天才外交官・鄧芝の能力炸裂!蜀呉同盟を復活させたお話

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“西遊記"
PAGE TOP