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中国三代悪女・西太后(せいたいこう)は実は優秀で素敵な女性だった?

この記事の所要時間: 642




 

突然ですが中国三代悪女を皆さんご存知でしょうか。

一人目は劉邦の奥さんで知られることになる呂雉(りょち)

二人目は中国歴史上初の女帝となる則天武后(そくてんぶこう)。

そして最後の一人が中国の歴史上最後の帝国となった清の西太后(せいたいごう)。

この三人が中国三代悪女といわれているのですが、

西太后に関してはたった110年前の人物であり、

意外と最近の人物で彼女が活躍した時代とあまり離れていません。

 

 

 

なぜこのようなことを今回はじさんで述べているのかと言うと

4月1日がエイプリルフールだからです。

去年、はじめての三国志ではエイプリルフール企画を行いましたが、

今年もやることが決まりました。

そこで今年のエイプリルフール企画としてはじめての三国志のライター・レンは、

蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)の続編が発刊されたことを記念して、

西太后の話をお伝えしようと考えました。

皆さんは蒼穹の昴をご存知でしょうか。

この本の話は清の時代が舞台となっており、

三国志にも登場する宦官(かんがん)・李春雲(りしゅんうん)と言う超ド貧民の

青年が宦官となって西太后に仕えるお話です。

このお話はNHKのドラマになっておりますので、

機会があれば一度ご覧になってください。

そしてこのお話ですが、李春雲だけのお話で終わるわけではなく続編があります。

続編はレンの大好きな張作霖(ちょうさくりん)が登場する「中原の虹(ちゅうげんのにじ)」、

現在でも近代中国の歴史におけるミステリーのひとつである張作霖爆破事件の謎に迫る

「マンチュリアンレポート」。

そして今回発刊されたのは、

張作霖の息子である張学良(ちょうがくりょう)と清のラストエンペラー溥儀(ふぎ)が

主人公となっている「天子蒙塵(てんしもうじん)」です。

いったいどのようなお話になっているのかはまだ分かりませんが、

感動するお話に仕上がるのは間違いないと思います。

なぜなら上記で紹介したお話は

すべて涙を流すことなく読み終えることが不可能だからです。

すいません。

つい好きな作品であったので無駄話が過ぎました。

さて中国三代悪女にラインナップされている西太后ですが、

レンの推測ですが、実は悪女と呼ばれるような人物ではなく、

情厚い人物でいいやつだったのではないかとレンは考えております。

彼女が本当は優秀でいいやつだったのかもしれないので教えて行きたいと思います。




西太后が権力を握ったのはいつ

 

悪女と呼ばれているからには権力がなくてはなにもできません。

一般市民が殺人を起こした程度ではただの凶悪犯どまりです。

また西太后が最初から権力をふるっていたわけでもありません。

ではいったい彼女はいつごろから西太后は権力を握ることになるのでしょうか。

彼女は清の皇帝である咸豊帝(かんぽうてい)の側室として宮殿に入ることになります。

彼女のほかにも多くの側室がいて、有名なのは東太后(とうたいこう)と呼ばれる人物です。

西太后が咸豊帝の息子を産んだことで発言力が増加することになります。

しかしこれだけでは彼女が政治に口を挟むことの理由をすべて解明したことにはなりません。

彼女が政治に口を出すことができた原因は何なのでしょうか。

それは彼女が当時の中国人の女性ではほとんどありえないほど頭のいい女性だったことです。

当時の中国人の民衆達はほとんど字が読めないような人が多くいて、

字が書けたり公文書を読めるような人達は役人がほとんどでした。

彼女もこの例に漏れることなくはじめは字や公文書が読めるわけではありませんでした。

ではなぜ読めるようになったのか。

それは勉学に励んだからです。

普通後宮に入ることができれば勉学などをする必要はなく、

お菓子を食べたり、麻雀したりなどで一日の時間をつぶすことができます。

勉学なんてしなくてもお金に困ることもなく、命じれば宦官が何でもやってくれるからです。

では西太后は何で勉強なんてしたのでしょうか。

それは不明です。

しかし彼女は四書五経などの本を読んで字が読めるようになり、

字が読めるようになった後は自ら字を習って勉学に励んでいきます。

そして咸豊帝が政治に厭きて執務を取らなくなると彼女が咸豊帝の元に届いた

公文書などを読んで聞かせており、

現在で言うならば秘書のようなことを行っていたようです。

その結果、政治に対しての知識が深くなっていくことになるのです。

こうして咸豊帝の息子を産んで、

咸豊帝の秘書のような役割を果たしていた西太后は重宝されていくことになるのです。




咸豊帝死す…そして表舞台に秘書が名をあらわす

 

咸豊帝は北京が連合軍によって攻め込まれることになると首都を捨てて逃走。

西太后は首都放棄に大反対したそうですが、

大臣たちの説得によって結局逃走することになり、

彼女も皇帝に従って逃亡することになるのです。

彼は逃亡する前に弟である恭親王を北京に残して、

連合軍との外交交渉を行うように指示を与えた後逃亡先である熱河に向かいます。

皇帝は北京奪還の作戦を熱河で行うのではなく趣味である演劇にふけっていたそうです。

気分転換に演劇を見るのではなく、

一日5時間ほど見ていたそうで亡くなる間際も演劇を見るほどの

演劇中毒症状に陥っておりました。

そんなポンコツ皇帝もついに亡くなる時ががやってきますが、

ひとつの不安がありました。

それは大臣達が強い権力を持っていたことです。

彼の跡継ぎはまだ幼く権力を持った大臣たちに利用されてしまい、

うまく政治を行うことができない可能性を危惧。

そこで彼は秘書であり次世代の皇帝の母である西太后や東太后らを幼い後見役とすることで、

権力者達から皇帝を守ってもらおうと考えます。

政治に関する決定をすると気には太后達のサインと

皇帝の印鑑があって初めて効力を出すものと決められることになります。

このことを西太后達に伝えた後彼は亡くなります。

彼が亡くなると東太后と西太后の二人は協力して幼い皇帝の後見役として、

政治の舵取りを行っていくのですが、

主に政治の舵取りを行っていくことになるのは西太后です。

東太后は公文書にサインをしたり、字を書いたりすることができる人物ではなかったため、

彼女が行っていくことになるのです。

さてここから西太后のすごいところや優しい一面をご紹介していきたいと思います。

 

西太后のすごいところその1:政治の素人がクーデターに成功

 

西太后のすごいところその1として政治の素人がクーデターに成功です。

もちろんこれは西太后のことを指しております。

彼女は咸豊帝の時代に秘書として公文書を読んだりしておりましたが、

政治に関しては素人同然の人物です。

もちろん東太后も当然政治の素人でした。

そんな彼女達の前に野心に満ち溢れた政治家である一人の人物を打倒してしまうのです。

その人物の名は粛順(しゅくじゅん)と言います。

彼は咸豊帝の時代に大臣となって政治に関しては玄人でやり手の敏腕政治家でした。

そんな彼の政治のやり方を見ていた東西の皇后は、

このままでは皇帝が殺害されるか清王朝が乗っ取られる可能性があると判断。

そのため彼女らは咸豊帝の弟である恭親王(きょうしんのう)に

「このままでは粛順の思うままに清王朝が操られてしまう。

その前に粛順を除きたいと思うのだが協力してくれないか」と相談。

彼は彼女らの相談を聞いて粛順を倒す計画を打ち立てますが、

このことはすぐに粛順へもれてしまいます。

しかし彼は彼女らにクーデターができるとは思っていなかったのか、

まったく警戒することなくクーデターが決行される日を迎えることになります。

咸豊帝の棺を北京に連れて行くため両皇后と粛順達は北京へ帰還することになります。

両皇后や恭親王らは粛順よりも北京に向けて先に出発し、

彼らが北京に到着する一日前に紫禁城へ入ることになります。

そこで彼女と恭親王は粛順の役職をすべて奪う詔を作成。

彼らが北京にやってくると詔を見せ逮捕。

そして処断してしまいます。

こうして政治の素人であった両皇后らのクーデターは成功することになるのです。

政治の玄人を倒すことなどほとんど不可能に近いですが、

彼が無警戒だったことが幸いしたのでしょう。

粛順を倒せたのはラッキーに近いですが、運も実力のうちといいますからね。

 

西太后のすごいところその2:民衆に神様と呼ばせていた

 

西太后のすごいところその2は民衆に神様と呼ばせていたことです。

西太后は山東地方で発生した民衆反乱である義和団を利用して、

自国にいる外国人や外国の軍隊を中国から追い払おうと考えます。

この民衆反乱に清軍を加えて外国人の家や公使館などへ攻撃を仕掛けます。

しかし各国の軍勢が義和団を蹴散らして北京を占領。

西太后は皇帝を連れて北京から脱出して地方へ逃亡していきます。

だが彼女は一年ばかり地方に非難すると再び清王朝の首都である北京に戻ってきます。

彼女が北京に戻ってきたとき、道端には中国人や外国人が大勢彼女を出迎えていたそうで、

口々に「老仏爺(ラオフォイェ)」や「老祖宗(ラオズーゾン)」などと呼んでおりました。

この二つの言葉にはこのような意味がありました。

それは「老仏爺(ラオフォイェ)」はみ仏様という意味が有り、

「老祖宗(ラオズーゾン)」ご先祖様という意味です。

どちらも神を意味する呼び名であり、彼女は民衆から神様のように敬われておりました。

民衆から神様とあだ名された皇后は中国史上初ではないのでしょうか。

民衆から神様とあだ名されていた西太后はとんでもない存在感を表しており、

彼女の死後西太后に匹敵する存在感を持った人物は一切清王朝から消えてしまい、

清王朝の滅亡理由の一因となってしまうのです。

 

西太后の優しいところ:孫と別々の場所で一緒に亡くなる

 

最後は西太后の優しいところをご紹介して終わりたいと思います。

中華三代悪女と呼ばれていた西太后ですが彼女も優しい一面もありました。

それは孫である光緒帝と別々の場所で起居していながら一緒の日に亡くなったことです。

光緒帝は西太后の息子であった同治帝(どうちてい)の次の皇帝として擁立されます。

彼は古い体質の中国ではいずれ列強諸国に国が奪われてしまうと考え、

戊戌の政変によって中国を生まれ変わらせようと革命を決行。

しかしこの革命は失敗に終わってしまいます。

西太后は光緒帝の革命を苦々しく思っており、

彼が革命を起こした際に激怒して皇帝の位から引きずり下ろそうと考えておりました。

だが群臣の反対によって皇帝廃位は行われることはありませんでしたが、

彼は幽閉されることになります。

こうして皇帝の位でありながら幽閉生活を行っていた彼は、

肺結核にかかってしまいいつ亡くなってもおかしくない状態になってしまいます。

また西太后も70歳を超えていたことと政治の世界に身を投じていたことによる疲れからか、

病にかかってしまいます。

そして1908年10月光緒帝が亡くなってしまいます。

また西太后も彼が亡くなってから数時間後に亡くなってしまったようです。

別々の場所に住んでいたふたりが同日に亡くなることなんてほとんど不可能でしょう。

中華人民共和国が建国されると清の歴史を編纂委員会は光緒帝の遺髪を調査。

その結果、ヒ素が検出されたそうで彼が毒殺されたことが明らかになりましたが、

犯人は一切分かっておりません。

では誰が殺したのか。

レンの予想では西太后ではないのかと思っております。

西太后は清王朝が先祖代々のルールを守って天下の政治を運営していたため、

光緒帝が戊戌の政変を行って革命を起こそうと行動したことに激怒。

しかし自らが幼い頃から育てた皇帝であり可愛さはひとしおで

自らに楯突いた人物であったとしても彼が亡くなれば悲しいでしょう。

また光緒帝も幼い頃から育ててくれた西太后に対して孝行息子であり、

西太后が亡くなるかも知れないと考えると自らヒ素を飲んで自決を図ったのではないのでしょうか。

母親一人だけをあの世に行かせては可愛そうだと考えてこのような行動に移ったとすれば、

別々の場所に居たふたりが同日に亡くなった辻褄が合うような気がするのですが、

いかがでしょうか。

 

清朝ライター黒田レンの独り言

 

今回は西太后のことを長々と書きつられねてきました。

彼女は色々なあくどいことも行ってきましたが、

列強に支配されない中華を作ろうと考え、

女の人でありながら最後の王朝を必死に支えていた人物ではないのでしょうか。

どんなに悪女と罵られていながらも彼女が居なければもう少し早く清王朝は滅亡していたか、

もしくは群臣が力を合わせて何とかしていたかの二択しかありませんが、

彼女がかんばっていたおかげで清王朝は週末気においてあれだけ、

延命することができたのではないのでしょうか。

最後に彼女の名言を残して終わりにしたいとも思います。

西太后は亡くなる間際に「以後二度と女性が政治に携わることを禁ずる。

これは清王朝が定めたルール違反である。

また宦官に権力を持たせることもダメである。

この事をしっかりと守るように」と述べていたそうです。

三国志や春秋戦国時代などの歴史でも女性や宦官が権力を握って、

ダメにした場合は数多く多くありますが、

彼女もしっかりと女性や宦官が権力を握ってしまえば政治が腐っていくことを

自覚していたのではないのでしょうか。

 

 




 

黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

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