キングダムの信、王賁(おうほん)、蒙恬(もうてん)、王翦ら将軍達や李斯、尉繚(うつりょう)、
王綰(おうわん)ら文官達の力を結集して秦王政は天下統一を行います。
皇帝と名乗った始皇帝政は真の皇帝のみが許される事に成る封禅の儀式(封禅の儀式)を
執り行います。
この封禅の儀式ですが、
三国志の時代ではこの封禅の儀式を行った人は誰ひとりとしておりません。
また前漢・後漢時代でも数十人の皇帝が居たにも関わらずたった三人しかいませんでした。
この超レアな儀式である封禅の儀式とは一体どのようなものであったのでしょうか。
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封禅の儀式とは
そもそも封禅の儀式とは一体何なのでしょうか。
上記で少し触れましたが、真の皇帝が中国の華北平原にある泰山(たいざん)の頂上まで登って、
天上にいる神様とお話をする儀式だそうです。
真の皇帝の基準ですが、
偉業である天下統一を成し遂げた点と徳が高い事が
封禅を行う上で非常に重要な事柄だそうです。
ではこの儀式はいつごろから行われていたのでしょうか。
いつごろから封禅の儀式は行われていたの?
封禅の儀式は中国の神話時代の皇帝達である五帝時代に行われていたそうです。
しかし彼らが封禅の儀式を行っていたのかは不明です。
なぜなら封禅の儀式は秘技とされるもので、どのようなことを泰山の頂上で行っていたのかは
記録に残していたなかったからです。
そのため博士と言われる人物達でも全くわからない儀式でした。
始皇帝も封禅の儀式を行おうとするが・・・・
始皇帝・政も天下統一という偉業を成し遂げた後、泰山で封禅の儀式を行おうと考えます。
その前段階として秦の偉業をたたえた石碑を嶧山(えきざん)と言われる山の麓に建築して、
祀らせることにします。
その後色々な政策をもって天下の統治を行った事で天下が平和な状態を出現させます。
こうして始皇帝・政は自らの偉業が天下統一と諸々の政策で偉業を成し遂げたと考え、
儀礼に関してのスペシャリストである儒者を大勢連れて泰山へ向かいます。
しかし儒者達は封禅の儀式がどのようなものであったのか知っている者は一人もいませんでした。
そのため彼は色々な意見を始皇帝・政へ進言してきます。
始皇帝・政は色々な意見を出してくる儒者達の言葉を聞いているとイライラしてきたのか、
彼らをすべて追っ払ってしまいます。
そして周王朝の時代に祭祀の儀式を執り行っていた者を見つけ出して、
周王朝風の泰山の儀式を行うことにします。
封禅の儀式は行われたのか
始皇帝・政はこの祭祀の儀式を執り行っていた者と二人で泰山の頂上へ向かって登って行きます。
彼は自らが封禅の儀式を行った証として、自らの名前を彫った石碑を建造。
この石碑は泰山の南側の道に建造したのですが、頂上に登った帰りは北側から下山して
諸葛孔明が青年時代に歌った梁父吟(りょうほぎん)で有名な梁父山で禅の儀式を行ったそうです。
しかし始皇帝・政もこの封禅の儀式を記録に残すことをしないで秘技としてしまいます。
そのため泰山の頂上でどのような封禅の儀式を行ったのかは一切分かっておりません。
また始皇帝が泰山へ登ろうとした時に暴風雨に襲われたとの記録が残っており、
始皇帝は実は泰山に登っていないのではないのかということも当時は囁かれていたそうです。
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戦国史ライター黒田レンの独り言
封禅の儀式は始皇帝の跡を継いだ馬鹿皇帝・胡亥(こがい)も執り行っており、
胡亥以降封禅の儀式を執り行った者は前漢時代ですと武帝。
後漢時代ですと光武帝・劉秀を含めて三人の皇帝しか行われておりません。
超レアな儀式である封禅の儀式はキングダムで描かれることになるのでしょうか。
参考文献 史記 司馬遷著 丸山松幸・守屋洋訳など
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