三国志補完計画・どちらが本当の三国志?正史と演義

2017年4月3日


 

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ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志補完計画」のコーナーです。

 

 

三国志が好きになって、いろいろな事件や

いろいろな人物のことを知っていくと、一つの壁にぶつかります。

え!?三国志って二つあるの!?どういうこと!?どっちが真実なの!?

という不安と疑問です。突如パニックに襲われます。

これを三国志の「セカンドインパクト」と呼びます。

下手をするとこのセカンドインパクトで三国志を嫌いになるひとや、

三国志から遠ざかってしまうひともいるのです。

恐るべしセカンドインパクト。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義

 

一般的に三国志の小説はこの「三国志演義」が下地です。

14世紀の羅貫中というひとが書きました。そして今なおベストセラー作品になっています。

問題なのはノンフィクション作品ではないという点です。

それはそうです。三国志は3世紀。羅貫中は14世紀。1100年も時代は離れています。

日本で例えると今から1100年前といえば917年ですから、平安時代中期です。

醍醐天皇の時代ですね。って言っても何もわからないでしょう。

その時代の話を正確に書けるわけがありません。

だから時代考証もはちゃめちゃです。仕方ないですよ、細かい点なんてわかんないんだから。

14世紀と同じかなーっていうところがあっても仕方なし。

三国志演義では羅貫中によって勝手に殺されちゃったっていう人物もいるくらいです。

 

 

関羽を捕らえた呉の朱然(しゅぜん)とかは趙雲に討たれますが、

本当は生きてたくさん実績を積んでいます。

そこは突っ込んじゃダメなんです。だって羅貫中は大の蜀ファンなんですから。

絶対にケチをつけてはいけません。ジャニーズファンの前で「嵐」の悪口言うようなもんですよ。

 

 

なんか曹操って織田信長っぽいなとか、

司馬懿って徳川家康っぽいなとか(思わないか)感じてしまうのは、

羅貫中が14世紀のひとだからです。

雰囲気が現代に近いので受け入れやすいんです。

では羅貫中はどうやって三国志演義を書いたのでしょうか。

 

正史

 

それが正史「三国志」です。これは陳寿というひとが書きました。

さらに裴松之が注釈をつけています。

 

 

陳寿は3世紀に生きていたひとですからほぼリアルタイムで書いていますね。

それを羅貫中は参考にしたのです。

問題なのは陳寿が晋の臣下だったということです。

晋は三国志で天下を統一した国です。

だから晋が正統な国家という前提です。するとその前身である魏が正統という話になります。

しかも陳寿は晋の前は蜀にも仕えていたので、やや蜀びいきです。

「魏書」「蜀書」「呉書」などに区分されています。

本紀として扱われているのは魏の皇帝のみで、劉備や孫権は列伝で扱われます。

陳寿は晋にとって不都合な記録はすべて抹消しました。これが正史というものです。

その後の天下に都合よく書かれているので別に真実とは限りません。

その150年後くらいに裴松之が陳寿と同じ文量の補完をしました。

抹消されていた部分を調べるだけ調べて記載したのです。

 

 

ここで誕生した英雄が趙雲(ちょううん)です。

裴松之がいなければ誰も趙雲に注目したりはしませんでした。

 

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ゲームはどっち?

 

正史と演義で描かれ方がまったく異なる人物がいます。

王朗(おうろう)などはその類ですが、現代のゲームはどっち寄りなのでしょうか。

それは、そのゲームに寄ります!(ほとんど演義寄りだと思いますが)

別にどっちに寄ったからいいとか悪いとかはないのです。

どっちでもいいのです。

あ!この言い方だと語弊があるな。

どっちもその人物の側面を映し出しているからOKなのです。

人間にはいろいろな側面がありますからね。

で、劉備は演義では主役だし、正史でも陳寿から尊敬されているのであまり悪くは書かれないのです。

少しずるいと思いませんか。

 

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三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

結局どっちを信じればいいのかという不安と疑問ですが、

まあ、解消の仕方はひとぞれぞれですね。私はどちらも話半分だと思っています。

問題はそこから何を学ぶかです。何を感じるかですね。

義の尊さは演義を読んで学びました(だから演義っていう名前なわけではないですよ)

三国志に興味を持てたのも演義のおかげです。

だから「どっちも受け入れよう!!」

すると三国志は補完し合い、さらに奥の深い面白い世界になります。

 

皆さんはどうお考えですか。

 

 

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ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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