ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく「ろひもと理穂の三国志・みんなの書道」のコーナーです。
字をキレイに書ける女性はそれだけで美人度が×2.5になります(独断偏見)。有名な女子アナウンサーでも書道の心得がある方は多いですね。顔が美人で、指がキレイで、字も上手い。これはひとつの女子力です。
モテる女子というのは可愛くて、料理が上手いだけではありません。字もキレイなのです。それでは、三国志の時代の字体ってどんなものだったのでしょうか。
漢王朝の時代ですからやっぱり「漢字」ですよね。ということは、私たちでもこの時代の文章は読めるのでしょうか。今回は三国志の文化、書について触れていきます。
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漢字の字体
漢字には字体があります。それは書道に心得がある人にとっては当たり前の話かもしれません。でもど素人の私はそんなの学校で習った記憶がありません。
・・・習っているのかな?
何か聞いたことがあるけど。それは「篆書」「隷書」「行書」「草書」「楷書」です。微妙に聞いたことのある単語があります。いつも私たちが使っている漢字の字体が「楷書」ですよね。
「真書」とも呼ぶそうです。崩さないで書く漢字です。読みやすいです。それに対するのが「行書」や「草書」です。楷書を少し崩したのを行書、さらに崩したのが草書。こんなイメージでしょうか。「篆書」は印章や額などに使用されているとか。素人には見分けがつきませんね。
三国志の時代の字体は?
漢の時代の通用字体は「隷書」だったそうです。絶対に読めなさそうですね。後漢末期(お!三国志の時代かな)には「隷書」から「行書」が生まれました。そして「行書」から「楷書」が生まれたのです。
なんということでしょう。今、私たちが使用している漢字の「楷書」は三国志の時代に生まれているのです。なんか共通点が見つけられて嬉しいですね。
曹丕の即位したときの碑はかなり楷書化していたそうです。「受禅碑」や「上尊号碑」などですね。発掘された呉の武将・朱然の名刺は隷書風の楷書だそうです。この名刺は読めそうですね。ちなみに草書は行書よりも早い時代に隷書から生まれたそうです。
誰の字が上手いのでしょうか
では三国志の時代に達筆だったのは誰なのでしょうか。曹操は草書が上手かったそうですね。なんでもできるのが曹操の凄いところです。ちなみに先ほど紹介した「受禅碑」や「上尊号碑」の筆者は、魏の鍾繇(しょうよう)だと伝わっています。
一番達筆だったのがこの鍾繇だったようです。ゲームにはあまり反映されていない情報ですね。鍾繇の作品である「墓田丙舎帖」を読んでみました。漢字はとても読みやすいですね。まさに楷書です。
「宣示表」というものもあり、実はこれもすべて後世の模本なのですが、完全に読める漢字です。楷書の最も古い作品といわれています。
呉にも達筆はいます
呉の芸術家、皇象(こうしょう)。彼も達筆だったそうです。作品を私は見ていませんが、「八絶」に数えられていた凄腕だったようです。「急就篇」という模本が後世に伝わっています。
ただしこの頃の草書は「章書」と呼ばれていて、現代の草書とは少し異なっていたそうです。現代の草書は区別するために「今草」と呼ばれています。皇象の作品は章書で書かれています。きっと私には読めなさそうですね。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
あの有名な鍾繇の字が1800年後の私たちも普通に読めるというのは感動ですね。書家として歴史に名前を遺していくひとたちはこの三国志の時代からどんどん増えていくそうです。
三国志は漢字の革命の時代でもあったのですね。はたして張飛は読めたのでしょうか。
皆さんはどう感じましたか。
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