【はじめてのセンゴク】織田家に反旗を翻した荒木村重・別所長治の最後

2017年4月11日


 

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荒木村重

 

毛利家は織田家と敵対すると調略を用いることにします。毛利家はまず織田家に味方していた播磨(はりま)の別所氏を工作し、織田家に反乱を起こさせることに成功。その後摂津(せっつ)一体を信長から任されていた大大名である荒木村重(あらきむらしげ)を調略。村重は毛利家の説得に応じて織田軍に反乱を起こすことになります。そして村重が反乱を起こしたことで、中国方面司令官として信長から任命されていた羽柴秀吉は、三木城と村重の勢力に挟まれてしまい危機的状況に追い込まれることになります。信長も荒木村重が反乱を起こしたことに驚いてしまいます。

 

彼としてはあんなに優遇して可愛がっていた荒木村重の反乱理由がわからなかったため、明智光秀らを使者に派遣して村重説得を行わせますが、彼の謀反をとどまらせることはできませんでした。信長は村重が本格的に謀反を起こしたことに激怒して、大軍を率いて村重の本拠地・有岡城(ありおかじょう)を包囲します。また三木城に篭城していた別所氏も秀吉と激戦を繰り広げることになり、戦いは熾烈を極めておりました。今回は三木城で織田家に反旗を翻した別所氏の最後と荒木村重の最後をお送りしたいと思います。

 
 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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有岡城籠城戦

 

信長は荒木村重が有岡城を中心として反乱を起こすとすぐに大軍を出陣させて、有岡城を包囲します。荒木村重の諸城である花隈城(はなくま)や高槻城(たかつきじょう)は織田軍の大軍を見て、早々に降伏してしまいます。しかし村重が篭城する有岡城や息子・村次(むらつぐ)が守っている尼崎城(あまがさきじょう)は頑強に織田家の大軍に抵抗を続けます。荒木村重を説得することに成功した毛利家は、村重の援軍としてとりあえず尼崎城へ援軍を派遣して村重軍を応援させることにします。

 



三木城籠城戦

 

毛利家の説得に応じて播磨で反旗を翻した別所長治(べっしょながはる)。彼は居城である三木城(みきじょう)に篭城して、織田家の中国方面司令官である羽柴秀吉に抵抗。秀吉は信長から送られてきた援軍と一緒に三木城の支城郡を攻略して、三木城を包囲することに成功します。三木城の別所軍は秀吉軍に包囲された状態でも毛利家の援軍がそのうちやってくることを信じて抵抗を続けていきます。秀吉は三木城へ攻撃を仕掛けるのではなく、三木城に篭城している別所軍の兵糧が尽きるのを待つ作戦に出ます。三木城の別所軍は羽柴軍が積極的に攻撃してこないで、城内の兵糧を削ってくる作戦を展開していると予想して、羽柴軍の本陣がある平井山(ひらいやま)へ攻撃を仕掛けます。しかしこの攻撃は竹中半兵衛(たけなかはんべえ)に読まれてしまい、撃退されてしまいます。その後別所軍は攻撃を幾度か仕掛けますが、羽柴軍の防衛拠点に邪魔されて失敗に終わってしまいます。こうして播磨の別所氏、摂津(せっつ)の荒木村重は織田軍に対して、抵抗を続けていくのでした。彼らが頼みとしていたのは毛利の援軍でした。

 

別所氏に援軍を出すも・・・・

 

毛利家は荒木村重には武将を尼崎城へ送っており、別所氏に対しても海上から三木城へ兵糧輸送を行ったりしておりました。しかし毛利家が別所氏へ兵糧の受け渡しを行っていた拠点が、羽柴軍に奪われてしまった事とある大名が織田家に寝返ってしまったことがきっかけで、毛利家は三木城へ兵糧の搬入ができなくなってしまいます。また荒木村重に対しても援軍を送る約束をしておりましたが、この計画も織田家に寝返ったある大名のせいできなくなってしまいます。さて毛利家の計画を破綻させたある大名とはいったい誰なのでしょうか。

 

毛利家の計画を破綻させた大名とは

 

毛利家の計画を破綻させた最大の理由は宇喜多(うきた)家が織田家へ寝返ったためです。織田家に寝返った時の宇喜多家・当主は宇喜多直家(うきたなおいえ)と言う人物でした。ここでちょこっと宇喜多直家についてご紹介しましょう。彼は謀略の天才と言っていいほどの人物で、主家である浦上(うらがみ)氏を追放して下克上を起こし、その後備前(びぜん)、美作(みまさか)一体に勢力を拡大。しかし備前、美作には浦上家の勢力が数多く残っておりこれらと戦いを行っておりました。そんな中、彼は西国の覇者の毛利家と同盟を結ぶことによって浦上の残党勢力を駆逐。こうして備前と美作に加えて備中(びっちゅう)にまで勢力を拡大。毛利家とはこうして同盟を結んでおりましたが秀吉が中国方面司令官として赴任。最初は秀吉と敵対していた直家ですが、病にかかってしまいいつなくなってもおかしくない状態なったのと三木城以外の播磨の地域が秀吉によって支配されたことがきっかけとなり、彼は毛利家との長年の同盟関係を破棄して織田家と同盟を結ぶことにします。こうして織田家と同盟を結んだことによって宇喜多家は滅ぼされることなく、家を存続することに成功します。ちょっと先の話になりますが、宇喜多直家死後息子の八郎秀家(はちろうひでいえ)が宇喜多家の当主として君臨。現在連載しているセンゴク権兵衛では凛々しい姿をした秀家が、四国討伐軍の一翼を担って軍勢を率いております。これらも後々ご紹介していきたいと思っておりますのでお楽しみに・・・・。話が脇道にそれてしまったため、元に戻していきたいと思います。毛利家の援軍が絶たれてしまった別所氏と荒木氏は厳しい状態に陥ってしまいます。彼らはどのよう行動していくのでしょうか。

 

有岡城陥落し、村重は毛利家へ

 

先に根を上げたのは荒木村重の方でした。織田信長は有岡城の守備として機能していた諸城をすべて陥落させ、有岡城を追い詰めていきます。信長は全軍で総攻撃を有岡城へかける前に、村重へ最後通告として降伏するように呼びかけます。村重は信長の降伏使者がやってくる前に有岡城から逃亡して、毛利家の援軍が駐屯している尼崎城へ向かいます。そこで彼は毛利家の援軍として駐屯している武将へ「毛利の援軍はいつやってくるのか」と幾度も問い詰めておりますが芳しい答えを得ることができませんでした。そんな中、村重の一族である荒木久左衛門(あらききゅうざえもん)は村重へ「信長殿は『あなた様が降伏をしてくれば今まで通りの処遇を与えてやる』と我に伝えてきました。殿。毛利家の援軍は未だ来ずこのまま織田軍と戦っても勝ち目ありません。降伏するのがよろしいかと存じます。」と述べます。しかし村重は「未だ花隈城や尼崎城があり、背後には本願寺が居る。さらに播磨では三木城の別所氏が頑強に戦っている状態だ。この状況は信長にとって未だ不利であり降伏する必要はない」と彼の提案を取り上げることをしないで有岡城で戦うように命令を下します。久左衛門は村重の意見を受け入れて有岡城へ戻りますが、有岡城を開城して信長軍に降伏してしまいます。その後村重は毛利家に逃亡することになるのですが、花隈城や尼崎城で毛利軍の援軍を待ちながら抵抗した後、毛利家へ逃亡することになります。

 

兵糧がなくなり、兵士の戦力が大幅にダウン

 

摂津で織田家に反乱を起こしていた荒木村重の勢力が消滅した後も三木城の別所長治は羽柴軍に抵抗しておりました。しかし三木城に蓄えられていた兵糧は全て食べ尽くしてしまい無くなってしまいます。その後三木城に篭城していた兵士達は馬などを食べて士気を維持しておりましたが、それらも食い尽くしてしまい兵士達は動けないほどの飢えに襲われてしまいます。その為三木城の兵士達の戦力は大幅にダウンしてしまいます。三木城に篭城している兵士達の様子を見ていた別所長治は、羽柴秀吉に降伏して城兵達を助ける決意をします。

 

別所長治の自害と三木城陥落

 

別所長治は羽柴秀吉に「私や叔父が自害するから三木城の城兵達は助けて欲しい」と懇願します。秀吉は別所長治の提案を受け入れて三木城の降伏を許します。別所氏が織田家に反乱を起こしてから一年以上の月日が経ちますが、三木城は別所長治らの自害により陥落し、播磨は平定されることになります。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

信長は別所長治を討伐したことによって播磨を平定することに成功し、毛利家に対して優位に立つことになります。また荒木村重を討伐したことによって自らに敵対していた勢力を駆逐。さらに三木城の別所氏が降伏した二ヶ月後信長にとって嬉しい知らせが届きます。それは関東の覇者として君臨していた北条氏政(ほうじょううじまさ)が信長に臣従したいと申し入れてきたことでした。こうして信長の勢力は関東にまで届くことになり、天下最大の勢力としての地位を確立することになるのです。しかし西の国の覇者・毛利家は織田軍との戦いを諦めたわけではありませんでした。

 

参考文献 中公新書 信長と消えた家臣たち 谷口克広著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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