【センゴク】織田信長と伊勢・長島の一向一揆衆の戦いを解説するよ

2017年4月24日


 

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織田包囲網の一角であった朝倉家と浅井家を滅亡させることに成功した織田信長。

彼は二つの大名家を滅亡させた年、

宿敵である伊勢(いせ)・長島(ながしま)の一向一揆衆の拠点へ向けて出陣します。

しかし信長はこの時も一向一揆衆に敗北してしまいます。

彼はこの時に一向一揆衆に初めて敗北したわけではなく、

以前にも長島の一向一揆衆へ攻撃を仕掛けたことがありましたが、

惨敗してしまいます。

そして信長は幾度も敗北している一向一揆衆へ本気を出して撃滅するべく出陣することに決めます。

今回は織田信長を三度も敗北させた長島の一向一揆衆との戦いの歴史をご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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長島の一向一揆衆との戦いその1:弟 織田信興が討ち死に

 

朝倉家と浅井家がまだ健在な頃に長島の一向一揆衆は信長と敵対しております。

彼らは石山本願寺の本願寺顕如(ほんがんじけんにょ)が信長と敵対することを決めた際、

石山本願寺から指令を受けて信長に反旗を翻すことに。

そして信長が比叡山(ひえいざん)へ逃亡した朝倉・浅井家連合軍を包囲している最中、

報告がやってきます。

長島の一向一揆衆の抑えとして戦いを繰り広げていた

信長の弟・織田信興(おだのぶおき)が一向一揆衆の猛攻を受け、

討ち死にしたと報告が入ります。

しかし信長はこの時朝倉・浅井家の連合軍が比叡山へ逃亡して、

信長と敵対していたためどうすることもできずに歯噛みをして、

悔しさを飲み込むことしかできませんでした。

 

長島の一向一揆衆との戦いその2:信興の復讐戦を行うが・・・・

 

信長は朝倉家と浅井家連合軍との間で和睦を成立させると岐阜城へ帰還し、

次なる作戦へ移行。

それは弟信興を殺害した長島の一向一揆衆へ復讐することでした。

彼は大軍を率いて岐阜城を出陣して長島へ到着すると佐久間信盛(さくまのぶもり)、

柴田勝家(しばたかついえ)、そして信長率いる軍勢の三方面から攻撃を開始します。

長島にはいくつも中洲があり、その中洲に砦が構築されているため、

主城である長島城へ到着することなく織田軍は、

中洲に建てられた砦や城へ火をつけるだけで戦果を挙げることができませんでした。

信長はこれ以上戦果のあがらない攻撃を続けていても意味がないと判断し、

すぐに撤退を開始。

佐久間隊と信長の本隊は比較的早く撤退することができましたが、

柴田隊は中々引き上げてきませんでした。

彼がすぐに引き上げる事ができなかったのは一向一揆衆の追撃を受けていたためでした。

一向一揆衆の追撃は苛烈を極め、柴田勝家はこの追撃戦で手傷を追ってしまいます。

その後柴田軍の代わりに軍勢をまとめて戦ったのが

美濃三人衆(みのさんにんしゅう)のひとりである氏家卜全(うじいえぼくぜん)でした。

彼は幾度も一揆軍の攻撃を跳ね返しておりましたが、

一揆衆の鉄砲隊に狙撃されて亡くなってしまいます。

そして氏家隊は壊滅してしまいます。

しかし柴田勝家の部隊は氏家隊が奮戦してくれたおかげで、

なんとか退却することができました。

こうして信長は二度に渡って長島の一向一揆衆に敗北してしまうことになります。

 

長島の一向一揆衆との戦いその3:戦うつもりなんて毛頭なかったのに攻撃されて敗北

 

織田信長は朝倉・浅井両家を滅亡させると自らそのまま軍勢を率いて伊勢へ向かいます。

信長は伊勢でも一向一揆衆が反乱を起こしていることを知っており、

このまま放置すれば尾張(おわり)や美濃(みの)にも影響が出る可能性があると考えて、

出陣することにします。

信長は伊勢で反乱を起こした一揆衆を鎮圧して岐阜へ帰還しようとします。

すると長島の一向一揆衆が織田軍の帰還を狙いすまして追撃戦を展開。

この戦いには一向一揆衆だけでなく伊賀(いが)・甲賀(こうが)の鉄砲名人も

加わっていたそうです。

しかしここで信長に天が味方してくれます。

鉄砲の天敵である雨がドシャ降りして鉄砲が使えなくなってしまいます。

だが一向一揆衆はドシャ降りで鉄砲が使えなくなると織田軍に槍や刀で攻撃をしてきます。

一向一揆衆の追撃戦は今回も苛烈を極め織田軍は被害を増大。

今回の追撃戦で奮戦したのは織田家筆頭家老である林貞秀(はやしさだひで)の息子・

林進次郎(はやししんじろう)の部隊でした。

彼の部隊は信長の本隊が追撃を受けることのない安全区域に退却するまで、

一向一揆衆の追撃を食い止めます。

しかし彼の部隊は一向一揆衆の猛攻を受けて壊滅。

林進次郎は討ち死にしてしまいます。

林隊の犠牲があったおかげで信長はなんとか一向一揆衆の追撃から逃れることに成功し、

岐阜へ撤退することができました。

 

長島の一向一揆衆との戦いその4:積年の恨みをこの一戦で晴らす

 

織田信長は都合三度長島の一向一揆衆に敗北しており、

恨み骨髄の状態でした。

そして彼は四度目の正直で織田軍の総力をあげて、

長島の一向一揆衆を討伐するべく岐阜城を出陣。

信長は長島に着陣すると軍勢を三つに分けて攻撃を開始します。

この戦い方は長島の一向一揆衆を攻めるいつものパターンですが、

今回はひと味違いました。

彼は長島の各中洲に築かれている砦や城を攻撃するため、

九鬼水軍や尾張・伊勢の水軍を総動員しているところです。

彼は九鬼水軍を使って長島の一向一揆衆が篭城していた5つの中洲の砦や城の内、

二つをスムーズに陥落。

残り三つの砦や城に一向一揆衆を追い詰めていきます。

信長は残り三つの城に猛攻をかけるのではなく、

兵糧攻めでじわじわと攻撃していくことにします。

信長の兵糧攻めを受けた長島の一向一揆衆は1ヶ月あまり耐えますが、

ついに兵糧が無くなったため、織田軍に降伏することにします。

信長は長島の一向一揆衆の降伏を受け入れることにしますが、

これはフェイクでした。

信長は一向一揆衆が城を捨てた時、

諸将に命じて一向一揆衆へ攻撃を仕掛けるように命令。

一向一揆衆は信長軍の攻撃を受けて降伏がフェイクであったことを知ると激怒し、

ガリガリになった一向一揆衆は織田軍へ攻撃を行います。

信長は反撃して来る一向一揆衆へ猛然と攻撃を行い彼らを殲滅。

そして長島城に残っていた農民や動けなくなった一向一揆衆の兵士を殲滅するため、

火を放ちます。

こうして信長は長島の一向一揆衆との長年の戦いを終えることになり、

積年の恨みを晴らすことに成功するのです。

 

戦国史ライター黒田レンのひとりごと

 

信長は一向一揆衆を殲滅すると滝川一益(たきがわかずます)にこの地を与えて、

統治させることにします。

そしてこの長島の一向一揆衆殲滅戦以降、

この地で農民達が反乱を起こすことは二度となくなったそうです。

ついでにこの一向一揆衆との戦は信長だけが辛い戦いを強いられたわけではなく、

信長の同盟国である三河(みかわ)の徳川家康も被害を受けることになります。

一向一揆衆は三河でも反乱を起こします。

この時徳川家には多くの家臣達が一向一揆に加わって家康と対立。

徳川家は真っ二つに割れて争うことになります。

ここでは詳しく書く事は控えますが、

三河の一向一揆衆の反乱は家康によって鎮圧されることになりますが、

徳川家も甚大な被害を被ることになります。

一向一揆衆に加わった元徳川家臣は三河に住むことできなくなり、

各地へ逃亡することになります。

この反乱に加わった徳川家臣の一例として本多正信(ほんだまさのぶ)がおります。

彼は一向一揆衆の反乱に加わりますが、

反乱が鎮圧されると西へ逃亡して各地で見聞を広めた後再び徳川家に帰参。

その後家康の参謀として活躍することになる武将として成長を遂げることになります。

このように信長・家康は本願寺に苦しめられながら、

領土拡張を推し進めていくことになるのです。

 

参考文献 中公新書 信長と消えた家臣たち 谷口克広著など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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