ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志の兵力」のコーナーです。
戦争をする際に比較されるのが兵力です。
現代の兵力はどうなのでしょうか(2014年発表資料参考)。
中国は299万人となっています。
これがどれほど凄いかというと、日本の兵力と比べると一目瞭然です。
日本は26万人です。10倍以上の開きがありますね。
ちなみに北朝鮮は138万人です。以外にも日本の兵力の約5倍です。
国民全体に対する割合が北朝鮮で5.57%となっています。
20人に1人が軍人というわけです。徴兵制度がある北朝鮮ですが、意外に割合は低いですね。
私のイメージでは50%くらいは軍人かなと思っていたのでびっくりです。
対する日本は、0.20%が軍人です。500人に1人という割合です。
三国志の時代はどうなっていたのでしょうか。
関連記事:もし郭嘉が長生きしてたら赤壁の戦いでは曹操軍はどうなっていたの?
蜀の人口と兵力
蜀が滅んだとき、つまり西暦263年の記録が残っています。
人口は約28万戸の94万人。そのうち軍人は10万2千人だったそうです。
割合としては約10%です。現代とはかなりの差がありますね。
ちなみに役人が4万人もいたそうです。
兵力はこの後に紹介する呉より少ないのですが、役人の数は呉よりはるかに多くなっています。
辺境の地を治めるのはそれだけたいへんだったということでしょう。
呉の人口と兵力
呉が滅んだとき、つまり西暦280年の記録が残っています。
人口は約52万戸の230万人。そのうち軍人は23万人です。
やはり割合が10%になります。
どうやらこの10%のラインが兵力を維持するギリギリだったようですね。
呉の役人の数は3万2千人となっています。
三国志は三国の勢力が拮抗していたのかと思いきや、
蜀と呉ですら人口も兵力も大きな開きがありました。
魏の人口と兵力
魏が蜀を滅ぼした頃の人口は664万戸の443万人です。
人口が呉の倍で、蜀の4倍以上になっています。
兵力の詳細は記録されていませんが、蜀や呉と同じ割合であれば、約45万人です。
これは蜀と呉を合わせた数をも上回っています。
魏が圧倒的に有利だったことは間違いありません。
後漢末期と三国志時代の人口の差
後漢末期の人口は約5648万人と記録されています。10%が軍人だとすると565万人です。
しかし、その後の三国志時代の人口の合計が767万人です。
激減していることがわかりますね。
度重なる戦乱や飢饉によって人口は大幅に減少しているのです。
土地から逃散した民衆も多く、
三国志時代には政府の管理外となる流民は凄まじい数がいたことでしょう。
流民は先ほど紹介した767万人には含まれていません。
赤壁の戦いの実際の兵力
民がいなければ兵力も増強できず、土地を耕すこともできません。
兵糧も不足することになるのです。
三国志時代に能力を問わず「人」は貴重な存在だったのです。
異民族を強制的に帰化させたりしたのもその解消の一つです。
ですから西暦208年の赤壁の戦いで、
曹操軍80万に対して孫権軍10万はかなり誇張された数字でしょう。
いつの時代の戦いでも兵力や損害は上層部によって操作されます。
ということで実際に赤壁の戦いに参加していた曹操軍は20万。
孫権軍は3万という規模だったと推測されています。ちなみに劉備軍は2千になります。
開戦前に実際の兵力より多めに宣伝するのは常套手段です。
相手を委縮させるためと、味方を鼓舞するための二つの効果があります。
相手もその数はまったく信用せず、
実際は斥候が相手の陣営や進軍を調査して実数を把握していたことでしょう。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
現代では兵力以上に最新兵器の性能や数がものをいいます。
もっと突っ込んでいうと核ミサイルの精度や性能、威力、数でしょうか。
そう考えると北朝鮮とアメリカの兵力差は、三国志に例えると蜀と魏以上なのかもしれませんね。
皆さんはどうお考えですか。
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