【衝撃の事実】赤壁の戦いに色をつける!袁術の音楽隊が大活躍していた!?

2016年3月24日


 

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太史慈 孫策

 

袁術亡き跡の軍を引き継いだ劉勲(りゅうくん)の城を攻め落とした孫策(そんさく)は、三万人の技術者・音楽隊などを手に入れたと、「呉書」にあります。約一万に及ぶ音楽隊を袁術は養い、育成していたことになります。はたして袁術はこの音楽隊をどのように使用していたのでしょうか。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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鼓吹曲の価値

 

中国の軍隊には昔から軍歌を歌う習慣があります。軍歌は太鼓と笛を伴奏としたため「鼓吹曲」と呼ばれていました。鼓吹曲は出陣前に兵を鼓舞するのに歌われ、さらに敵対してこちらの優位をしめし、敵の威勢をくじくために頻繁に行われていました。檄文と同じ、敵に対する宣伝効果をねらったものです。当時、最大の音楽隊を有していたと思われる袁術は、その威勢を武力ではなく、芸術でもって周囲に示したわけです。都会育ちのスーパーエリートならではの粋な演出ではありませんか。

 



呉での音楽隊の器用(甘寧)

甘寧 ゆるキャラ 三国志

 

袁術の音楽隊を引き継いだ呉。どのように使用したのでしょうか。例えば、曹操軍の張遼(ちょうりょう)に武勇が匹敵するといわれた甘寧(かんねい)という将軍がいます。魏との大戦である濡須口の戦いの際に、決死隊を募り、曹操の陣営に夜襲をかけて成功しました。甘寧は鼓吹をなして万歳を叫んだといいます。孫権は鼓吹曲をBGMに「曹操には張遼がいるが、私には甘寧がいる」と言って喜んだそうです。

 

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呉での音楽隊の器用(留賛)

周瑜 周郎

 

他にも呉の留賛(りゅうさん)は、戦いの前に髪を振り乱して天に向かって叫び、部下とともに大声で歌をうたってから出陣しています。必ず敵を倒し、左将軍にまで登りつめました。そして音楽隊の消滅と共に戦死します。

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ろひもと理穂

ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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