日本史上最大のピンチ、元帝国皇帝フビライ・ハンによる日本侵略「元寇」を扱った大人気冒険チャンバラ時代劇アンゴルモア元寇合戦記。
再三にわたるピンチを切り抜ける主人公、朽井迅三郎(くちい・じんざぶろう)の活躍が毎回楽しみなのですが、朽井が活躍した鎌倉時代中期ってどんな時代なのでしょう?
今更勉強しにくい鎌倉時代をはじさんがザックリ解説します。
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1 支配体制 守護・地頭体制
1185年、鎌倉幕府の棟梁、源頼朝(みなもとのよりとも)は、日本全国を支配する機関として、守護(しゅご)と地頭(じとう)という役職を置きます。
- 守護・・国単位で軍事・行政・建築を担当し守護大名と呼ばれます。朽井迅三郎と仲が良かった、名越(北条)時章(ときあき)は肥後(ひご)、筑後(ちくご)、大隅(おおすみ)の三カ国の守護でした。こちらは鎌倉幕府に忠誠を誓う御家人(幕府の武士)から選ばれます。
ただ、多くの守護大名は鎌倉にいるので、広大な領地を見て回るのは事実上不可能、そこで部下から守護代(守護代理)を任命して領地を監督させました。漫画の冒頭で登場する対馬宗氏の宗資国(そう・すけくに)は守護代です。
- 地頭・・御家人で守護代の支配下にあり、それぞれ荘園(しょうえん)を保有する権利を持ち、ここから上がる年貢の一部を自分のモノとする事で生活します。漫画に出てくる朽井迅三郎や白石和久(しらいかずひさ)は地頭にあたります。
注意:日本全国をすべて幕府が支配したのではなく、朝廷や貴族、寺社が持つ公領・荘園も多くあり、それらと共存していたのが事実です。
2 幕府の仕組み 御恩と奉公
鎌倉幕府は、支配下においた御家人の土地や相続を巡る訴訟を円滑に解決する為に問注所(もんちゅうじょ)という役所を置いて、訴えを受けつけ調停と和解を斡旋します。
その理由は、当時の紛争というのは、ほぼ100%土地を巡る争いだったからでこの問題に幕府は介入する事で、御家人の権利を保護する方針を打ち出します。
これにより、御家人は幕府に土地を保障される代わりに幕府の危機には真っ先に駆けつけて守るという「御恩」と「奉公」の関係が成立します。御家人は、全ての生活の糧になる所領を守る為に命を懸けるので、ここから「一所懸命」という言葉が生まれる事になります。
ただし、何もしないでボーッとしている地頭の領地まで幕府は守りません。アンゴルモアの登場人物で、後にモンゴルに寝返る白石和久は、元々は地頭でしたが水を巡る利権で別の地頭にはめられて武力で攻められ問注所に訴える間も無く、一族と土地を失いました。
逆に、同じく流人だった男衾三郎(おぶすま・さぶろう)は、兄を武力で打ち負かして領地を奪い、それが発覚して対馬に流される事になります。
これは、白石や男衾ばかりでなく、当時の社会では日常茶飯事で起きていた事だったのです。ですから、当時の御家人は、常に武装して、家人を配置しておき弓馬の腕を磨き実力で土地を守れるように備えを怠りませんでした。
3 鎌倉時代の経済と流通
鎌倉時代に入ると、社会の安定によって、農業にも改革が起きます。主な事では二毛作が始まり、米の後に麦を作るなどして生産性を上げます。また、この頃、中国より大唐米という品種改良されたお米が輸入され、お米の生産高が上昇していきます。
畿内地方では、鉄の農具が普及して、牛馬に畑を耕させるなどして、やはり生産量が増加して食糧に余乗が生まれるようになります。
鎌倉時代には、和紙の原料となる楮(こうぞ)、染物に使う藍(あい)灯油の原料となる荏胡麻(えごま)などの商品も生まれます。これらは、自分で消費するのではなく、売る事を目的にして生産されるので商品作物と呼ばれます。
同時に織物業者や、染物屋、鍛冶屋、鋳物師のような仕事も発展していき、それらの商品を効率良く裁く為に、荘園や公領の中で目立つ土地や寺の前に市(いち)が開かれるようになります。今でも残る、廿日市や四日市、或いは門前町というような名称は、かつて、ここに市が立っていた事の名残です。
こうして、品物が活発に売買されると物々交換が面倒になり中国から輸入した銅銭で決済を済ますようになりました。貨幣が普及するとお金を貸す人である金貸しも登場し、現代社会の原型になる貨幣経済が浸透していくのです。
アンゴルモア元寇合戦記にも、張明福(ちょうみんぷく)という筥崎(しのざき)長者と呼ばれた商人が出ます。彼は、流人になった今でも地面に埋めた銅銭の事を気にしている位なので貨幣経済に移行した鎌倉中期を代表する人物でしょう。
4 鎌倉時代と宗教
鎌倉時代は、広く民衆の間でも仏教信仰が浸透した時代でした。それ以前の仏教とは天皇や貴族の為の教えであり、教義も難解で庶民には、縁遠いモノに過ぎませんでした。しかし、平安時代末期に武士が勢力を伸ばすと、分かりやすく厳しい戒律もなくさらに、出家せずに、在家でも信仰できる宗教の需要が高まっていきます。
実際、旧仏教界では、権力争いが頻発してもいたので、そのような仏教に幻滅した若い僧侶が遁世僧になって民間に降りていき、民衆救済の教えを説き始めます。それらの新しい流れの中から、浄土(じょうど)宗、浄土真宗、時(じ)宗、日蓮(にちれん)宗が誕生し、中国から伝来した臨済(りんざい)宗、曹洞(そうどう)宗と合せて、鎌倉六宗が現われます。
この中で臨済宗と曹洞宗は戒律に厳しいですが、残りの四派は、浄土宗、浄土真宗のように念仏を唱えるだけで極楽往生できると説くなど、難しい修行も戒律も不用で、庶民に熱狂的に受け入れられました。
この中で日蓮は、立正安国論を通じて、法華経を信じず邪教が蔓延る為に日本では天変地異が続くと主張し幕府に処罰されますが、その後のモンゴル襲来などでそれが予言と見られて日本社会に大きな衝撃を与えるなどしています。あるいは、アンゴルモア元寇合戦記に登場するかも知れません。
5 やがて鎌倉幕府を終焉に導く 悪党の登場
1185年に、源頼朝が守護と地頭を全国に置いて以来、御家人は一族に、荘園領地を相続して、自己増殖を繰り返していきます。元々の悪党は、このような荘園に侵入して、地頭の権益を侵す人間を意味し幕府も訴訟の管轄外である事から基本的に手出しをしませんでした。
しかし、1247年の宝治合戦以来、北条得宗家の支配が確立すると、新しい合戦は起きなくなり、増殖が不可能になった御家人は領地を、惣領(そうりょう)相続とし庶子(しょし)を切り捨てるようになります。平たく言うと、嫡出の長男だけに土地を相続させ後は切り捨ててしまうのです。
領地を相続できない庶子は、生きていく為に武装して徒党を組み支配に抵抗します。こうして出現した土地を相続できない集団も悪党と呼ばれるようになります。荘園の外部からの悪党だけでなく、惣領相続で切り捨てられた内部からの悪党が誕生してきたという事になります。
一方で荘園領主(本所)と領主が荘園の管理を任せた荘官との間でも、土地の支配を巡り紛争が頻発するようになり、悪党は、この領主と荘官の間でも上手く立ち回り武力装置として機能します。
幕府は、この問題を放置出来ず、対策に追われるようになります。さらに、元寇の終結後は奮戦しても恩賞にありつけない御家人も没落して悪党化していくようになり、社会不安が増大し、それが鎌倉幕府の崩壊と建武の新政へと繋がっていくのです。
アンゴルモア元寇合戦記 kawausoの一言
以上、ざっくりと鎌倉時代中期の社会について紹介してみました。漫画でも鎌倉にいた頃の朽井迅三郎が刺客を撃退して捕えたりしていますが、当時の武士は江戸時代のようにサラリーマン化しておらず、隙あれば、武力で人の領地を奪うようなワイルドな人々だったのです。
なるほど、世界最強のモンゴルにも臆せずに立ち向かえるだけありますね。
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