授業や教科書では教えてくれない長篠の戦いをセンゴクから見てみよう

2017年5月27日


 

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センゴク天正記(4) (ヤングマガジンコミックス)

 

織田・徳川連合軍は志多羅郷(したらごう)にて武田軍の騎馬突撃を防ぐため、

馬防柵(ばぼうさく)と堀を掘って堅固な防御陣を構築。

対する武田軍は川を越えて背水の陣を敷いて連合軍と対峙することに。

そして一番南に陣取っていた徳川軍と武田軍最強の称号を得ている

山県昌景(やまがたまさかげ)率いる赤備え隊が戦の火蓋を切ったことで、

連合軍vs武田軍の戦いが始めることになります。

今、織田・徳川の連合軍の命運と武田家の存亡を賭けた戦いである長篠の戦いが、

開幕することになります。

今回はマンガ・センゴクや他の資料等から長篠の戦いをご紹介していきたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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山県昌景軍動く

 

武田軍最強の赤備え隊を率いている山県昌景が徳川軍に攻撃を開始。

徳川家康は全軍に「奴らは部隊じゃない!!国が動いてきたと思え!!」と激を飛ばします。

昌景は鉄砲からの攻撃を防ぐため、

武田軍の歩兵に竹束を持たせて徳川軍の前面にある障子のような田畑を進ませます。

徳川軍の兵士達は今まで散々敗北してきた赤備え隊の圧力に耐えながら、

家康の攻撃命令をじっと待ちます。

そして家康から鉄砲部隊へ一斉射撃の攻撃命令が伝わると赤備え隊へ向けて射撃を開始。

しかし赤備えの軍勢は崩れることなくひたひたと徳川の陣営に向けて前進し、

徳川の馬防柵の一部を打ち破ることに成功します。

徳川軍は第二陣の馬防柵へ逃れ、山県隊と激戦を繰り広げていくことになります。

山県昌景の軍勢が戦いを開始した頃、中央の内藤昌豊(ないとうまさとよ)の部隊も

連動して攻撃を行います。

また北方に布陣していた不死身の鬼美濃(おにみの)こと馬場信春(ばばのぶはる)の部隊も

織田家の軍勢に対して攻撃を開始することになります。

 

仙石権兵衛vs真田兄弟

 

山県昌景の部隊が徳川軍に攻撃を仕掛けた頃、

仙石権兵衛(せんごくごんべえ)の部隊も武田軍の攻撃を受けることになります。

彼の部隊へ攻撃を仕掛けてきたのは、

真田信綱(さなだのぶつな)・昌輝(まさてる)兄弟の軍勢でした。

彼らが攻撃を開始すると仙石隊の兵士達は皆固まってしまいます。

そのため真田隊の攻撃によって早くも馬防柵が破壊されてしまい、

仙石権兵衛も馬から落馬してしまうのでした。

しかし権兵衛は立ち上がり槍を奮って真田隊の進出を防ぎます。

権兵衛が奮戦している姿を見た仙石隊は権兵衛と一緒に真田隊の攻撃を防ぎ始めます。

こうして真田隊と仙石隊の激闘が行われることになるのですが、

仙石隊に思わぬ援軍が到着することになります。

 

野々村隊の援軍

 

仙石隊は柵を打ち破られても全軍一丸となって真田隊の迎撃。

そんな中、真田隊の側面から中央にいた野々村隊が鉄砲で攻撃を行います。

野々村隊の側面攻撃のおかげで真田隊は攻撃の手を一時中止することになります。

こうして一息つけることになった仙石隊。

しかし仙石隊が一息ついている間に武田勝頼(たけだかつより)は中央に配置されている

内藤昌豊隊、武田信廉(たけだのぶかど)隊などへ

「中央突破を行い、織田軍本陣へ突撃せよ」と命令を伝えます。

中央に駐屯していた武田軍は勝頼の命令を聞いて織田軍の中央へ突撃を開始して、

中央突破を図ろうとします。

 

信長の作戦とは

 

信長は勝頼が武田中央軍に突撃を敢行させた頃、

中央に陣取っていた鉄砲部隊へ命令を出します。

その内容は「鉄砲部隊を率いる武将はあえて二の柵、

三の柵を武田軍に打ち破らせるように」との内容でした。

言い換えれば二の柵、三の柵を守っている諸将を見捨てよという命令でした。

野々村隊にも信長の命令が到着し、

仙石隊の援護をやめて内側の柵へ撤退することになります。

そのため権兵衛は援軍も来ない孤立した状態で真田隊と激闘を繰り広げることになります。

 

真田隊仙石隊を打ち破って突き進む

 

真田信綱・昌輝兄弟の隊は一の柵を守っていた仙石隊へ突撃を敢行。

仙石権兵衛は真田隊が突撃してくると必死になって防戦に努めます。

しかし真田隊の突撃の前に仙石隊のほとんどがやられてしまい、

真田隊は信長本陣へ向かって突撃していってしまいます。

その後真田隊は織田軍の二の柵をも打ち破って突撃をして行くことになります。

 

各戦線の状況は

 

真田隊と仙石隊の話を中心にしてきましたが仙石隊が敗北した後、

織田家の各戦線はどのようになっていたのでしょうか。

結論から言いますと歴史の教科書や歴史の授業で教わっているような

織田軍優勢な戦いではなくむしろ不利な状態でした。

まず一番南の徳川家康vs山県昌景との戦いは

山県隊が徳川軍の一の柵を打ち破った後も猛攻を続けて徳川軍に損害を与えており、

仙石隊が壊滅した時には、山県隊の攻撃を必死になって徳川軍が耐えている状態でした。

そして中央の戦いは勝頼が「織田軍の中央を突破せよ」との突撃命令が下ったため、

武田軍の諸将が織田軍の中央部隊が守っている柵へ突撃。

中央を守っている織田軍の鉄砲部隊は武田軍へ威嚇射撃を行いながら、

守っている状態でした。

北側で激闘を続けていた佐久間信盛(さくまのぶもり)の部隊と馬場信春の戦いは、

どうなっていたのでしょうか。

佐久間隊は馬場隊の猛攻を受けて撤退を開始。

馬場隊は佐久間隊が陣取っていた要衝・丸山を奪取することに成功しております。

こうした各戦線の動きの中織田信長は武田軍を殲滅するための作戦を展開するのです。

 

包囲殲滅作戦発動

 

真田隊は信長本陣が陣取っている茶臼山(ちゃうすやま)を発見するとこの地を目指して

突撃を開始。

真田隊が突撃を開始した頃、明智光秀は真田隊を追って進軍を開始。

羽柴隊は織田全軍が見渡せるハタボコ山にて待機しておりました。

このハタボコ山なる地形ですが、織田信長の本陣である茶臼山よりも後方に位置し、

織田全軍が見渡せる場所に陣取っていました。

なぜ織田家中の中で明智光秀と共に武功を重ねている羽柴隊が、

後方に陣取っているのでしょうか。

マンガ・センゴクによると信長は鉄砲を入れ替えて行う射撃術だけでは武田軍に勝てないと判断。

そこで新しい鉄砲戦術として敵軍(この場合武田軍)を殲滅するための新策を考えつきます。

それは武田軍を包囲して一斉に鉄砲にて射撃を行う「包囲一斉射撃作戦」を考案。

この作戦は羽柴隊が織田軍全体を見渡せるハタボコ山に陣取ります。

敵軍が信長本陣の茶臼山へ攻撃を仕掛けてきたのを見計らって、

織田家の鉄砲部隊が敵軍を包囲。

その後羽柴隊がハタボコ山にて合図である旗を掲げたと同時に

織田軍の全鉄砲隊が一斉に射撃を行い敵軍を殲滅する作戦でした。

そのため秀吉は信長本陣よりも後方にて待機。

真田隊が織田信長本陣へ突撃を行うと後方から内藤昌豊隊がやってきます。

秀吉は内藤隊がやって来た時に高々と旗を掲げ、

織田軍の全鉄砲部隊に合図を出します。

羽柴隊の旗を見た織田軍の鉄砲部隊は一斉に射撃を開始。

織田軍の一斉射撃を受けた武田軍は逃げる場所もないまま鉄砲の餌食となってしまい

バタバタと兵士たちは倒れてしまいます。

織田軍の一斉射撃が終わると生き残っている武田軍は一人もいない状態でした。

こうして信長が考案した鉄砲の新たなる戦術である包囲一斉射撃作戦は、

大成功に終わります。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

もしこの織田信長が考えたの新しい鉄砲射撃戦術が本当であるならば、

今まで歴史の教科書が長篠の戦いで、

織田信長が使用した有名な「鉄砲三段撃ち」の作戦のみを展開して、

武田軍に勝利したという記述が間違っていることになります。

センゴクを書いている宮下氏は、

戦国時代の膨大な資料を参照しながらマンガを描いているので、

でたらめなことを記しているわけありません。

このように日本史のマンガ・センゴクでは歴史の教科書では教えてくれないことが、

色々と描かれているので是非一度読んでみてはいかがでしょうか。

 

参考文献 講談社 センゴク天正記 宮下英樹著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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