銃は中国で発明されたものだった?「アンゴルモア」にも登場した火薬兵器

2017年6月6日


 

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「人類の歴史は戦争の歴史である」とは良く言われますが、

戦争を大きく変えた最大の発明と言ったら、

「銃」であることは間違いありません。

 

「銃」はいつごろ発明され、どのように発展したのでしょうか。

HMS班は、今回その謎に迫ってみました。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「銃」は人類史上、最も多くの人を殺した兵器?

 

ところで。

 

皆さんは「最も数多くの人を殺害した兵器」と聞いて、

どんなものを思い起こしますか?

あるいは、原子爆弾を思い起こされる方もいるでしょう。

 

実は、最も多くの人を殺害したと言われるのは

1947年に、当時のソビエト連邦軍が制式採用した自動小銃、

「AK-47」あると言われています。

 

この銃は構造がシンプルで模倣生産がしやすく、

正規に生産された以外のコピー銃を合わせると、

その生産数は実に1億丁を超えると言われており、

今現在も世界中で使用され続けています。

 

その功罪を問うのは置くとして、

少なくとも「銃」が人類の歴史を大きく変貌させたということは

否定しようのない事実であると言えるでしょう。

 

 



火薬の歴史は唐代に遡る

 

火薬がいつごろ発明されたかについては諸説ありますが、

現在では中国(もしくは東アジア)で発明された

(中国四大発明のひとつ)後に、ヨーロッパにもたらされ発展した

(ルネッサンス三大発明のひとつ)と考えるのが定説となっています。

 

中国で火薬が発明されたとする説を裏付ける重要な証拠となる

文献に、唐の時代(7世紀~ 10世紀初頭)に書かれた

「真元妙道要路」という本があります。

 

この書物の中に、「硝石・硫黄・桂冠石(砒素)を混ぜると

燃焼や爆発を起こしやすい」という記述があり、

これらの材料を元に火薬(黒色火薬)を作る製法が

確立していたと言われています。

 

ところが、なんとこの「真元妙道要路」の記述、

実は火薬を作る製法を書いたものではありません。

 

中国には古来、「錬丹術」と呼ばれる不老不死のクスリを

作るための技術がありました。

西洋における錬金術に当たるともされる錬丹術ですが、

その技法において、特に珍重された物質に硫黄があります。

硫黄は黒色火薬の主原料でもあります。

 

 

実は失敗の産物?だった火薬

 

「真元妙道要路」には、この錬丹術の研究のひとつとして、

ある人物が「硝石・硫黄・桂冠石(砒素)」の3つとハチミツを

混ぜたところ、煙と炎が上がり、やけどを負ったばかりか

家まで焼けてしまったことが記述されています。

そしてそのことから、「硫黄と硝石は決して混ぜてはいけない」と、

戒めの文章で結ばれているのです。

 

なんと、火薬は失敗の産物だったのです。

その、やけどを負って家まで焼いてしまった人には、

自分の“失敗”が人類の歴史を大きく変えることになるとは

思いもよらないことだったでしょう。

 

 

「アンゴルモア 元寇合戦記」にも登場した火薬兵器「てつはう」

 

 

火薬をいつ、誰が兵器に転用することを思いついたのか、

それはさだかではありませんが、その強力な破壊力が

軍事用途に用いられるのは、歴史の必然だったかもしれません。

 

火薬を用いた兵器が世界を席巻することになるのは、

13世紀後半から14世紀半ばにかけてのこと、

アジアからペルシア、そしてヨーロッパに進行したモングル軍が

用いたものが嚆矢であったと言われています。

 

その火薬兵器は元寇に伴い、日本にも到来しています。

元寇の様子を描いた『蒙古襲来絵詞』には、モングル軍が

炸裂し、大きな音を立てる「てつはう」と呼ばれる兵器を

使用していたことが記されています。

 

 

「アンゴルモア 元寇合戦記」にも、この「てつはう」

(劇中では「テッポウ」)が描かれていますね。

 

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火薬が産んだもうひとつの兵器=「銃」

 

火薬が誕生したとされる中国・唐代には

もうひとつの兵器が発明されています。

それは「飛発」と呼ばれるもので、

 

その後、宋代に入り、子窠という人物が「飛発」の

発展系としてつくりだしたのが「火槍」という兵器です。

この「火槍」とは原始的な銃であるとされ、

その後、モンゴル軍によって世界へと拡散していきます。

「銃」が元寇で使われている様子も「アンゴルモア」に描かれていますね。

 

モンゴル軍によってペルシア圏からヨーロッパにもたらされた銃

 

モンゴル軍が「てつはう」や「火槍」といった火薬兵器を

使用した記録が、ペルシア文明圏へもたらされたことが、

イランの文献の記述に残されています。

 

これらの火薬兵器がやがてヨーロッパにもたらされ、

その後劇的な進化を遂げていった、というのが、

今日の世界史における定説となっています。

 

推測:なぜ銃はヨーロッパで特に発展したのか?

 

最初に中国で発明された「銃」ですが、それが世界の歴史を

大きく変える武器として進化したのは、ヨーロッパでのことでした。

なぜ、中国で「銃」が発達を遂げなかったのでしょうか?

 

それには、以下のような理由を推測することができます。

 

1)銃が発明された以後の中国の歴史は比較的安定していた

 

中国で火薬兵器が発明されたのは、唐代から宋代にかけての

時代でしたが、この後、中国ではかつての春秋戦国時代や

五胡十六国時代のように国内が分裂し、戦乱を繰り返すような

時代はありませんでした。

 

戦乱が少なかったということは=兵器が必要とされなかった、

ということでもあり、銃器が発展する必要もなかったわけです。

 

対してヨーロッパでは近代(18世紀頃)まで戦乱が相次ぎ、

それに伴って、兵器が進化していったと考えられています。

 

2)ヨーロッパで科学が進化したことによる影響

 

中国における「錬丹術」は主に「不老不死」を実現する手段

=ある意味で実用性を求めて発展した学問でした。逆に言えば

物質の「性質」を用いる学問でもあったわけですが、それは

物質の「本質」を求める学問には至らなかったとも言えます。

 

対して、ヨーロッパでは「錬金術」が、14世紀の起こった

ルネッサンス期以降、「科学」=物質の「本質」を探る学問と

して、大きく発展を遂げることになります。

 

火薬や銃といった東洋の発明がモンゴルからペルシアを経て

ヨーロッパにもたらされたのも、ちょうどこの時代に当たります。

思えば、他の「ルネッサン三大発明」=「印刷技術」や

「羅針盤」も、やはりこの時代にヨーロッパで

発展を遂げたものでした。

 

その意味では「銃」がヨーロッパで進化していったことも

うなずける話であると言えるのではないでしょうか?

 

 

三国志ライター 石川克世の独り言

 

『戦争による必要性』が生み出した兵器と言えば

核兵器もそれにあたるでしょう。

 

「必要は発明の母」、とは言いますが

 

今後、このような発明が必要とされる時代が

二度と来ないことを、祈らずにはいられません。

 

 

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石川克世

石川克世

三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。 三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、 兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。 好きな歴史人物: 曹操孟徳 織田信長 何か一言: 温故知新。 過去を知ることは、個人や国家の別なく、 現在を知り、そして未来を知ることであると思います。

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