豊臣秀吉の天下統一に向けて「四国征伐」が開戦!どんな戦いになったの?

2017年7月4日


 

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豊臣秀吉は色々な理由を付けて、

四国統一を果たした長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)を討伐するべく準備を行います。

しかし秀吉は病気にかかってしまい(仮病とも)

豊臣軍の総大将を弟・豊臣秀長(とよとみひでなが)に任せることにします。

豊臣軍は阿波(あわ)・讃岐(さぬき)・伊予(いよ)の三方面から総勢12万程の軍勢で、

四国へ侵攻を開始。

長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)は秀吉が四国征伐を行うとの情報を手に入れると

軍勢を集め元親率いる本隊を白地城へ駐屯させ、

秀吉軍が阿波方面から進行してくるであろうことを予測。

そのため阿波に重点を置いて、

秀吉軍を迎撃する防衛ラインを構築して秀吉軍の襲来を待ち受けることにします。

こうして両者戦の準備を整え終え、

四国で豊臣軍vs元親軍の激闘が繰り広げられることになります。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三方面同時から攻撃が行われる

 

元親は豊臣の軍勢が阿波・讃岐・伊予の三方面から攻撃をしてくる可能性があると知ると

急いで阿波以外の地域の防備構築を行うことにします。

しかし豊臣の軍勢が四国に向けて渡航準備を整えていつでも攻撃可能であったため、

万全な防衛ラインを構築することができないまま戦いが始まってしまうのでした。

 



伊予方面での戦い

 

毛利家当主・毛利輝元(もうりてるもと)・吉川元長(きっかわもとなが)・

小早川隆景(こばやかわたかかげ)等の軍勢が伊予へ侵攻を開始。

毛利軍は上陸すると速攻で上陸地点近くに有る丸山城を降伏させて、

伊予内陸部へと侵攻していきます。

伊予方面の元親軍の重要拠点である金子城では軍議が開かられておりました。

金子城の城主である金子元宅(かねこもといえ)は2千程の兵力しか、

集まらなかった金子城で籠城するのか、それとも毛利家に降伏するのかを議論。

元宅は長宗我部氏と戦う意思を見せると彼の部下達も同意します。

彼は金子城を捨てて高尾(たかお)城へ入城して防備を固め、

毛利軍の攻撃を待ち受けることにします。

 

全員死す

 

金子元宅は毛利軍が高尾城へ進軍してくると手勢800人を率いて出撃。

毛利軍と野外で合戦を繰り広げます。

しかし毛利軍の兵力の大きさに800人程度では大きな打撃を与えることができず、

全滅してしまいます。

そして高尾城を攻略することに成功すると

その後河野氏が立てこもっていた湯築城を降伏。

北伊予だけでなく南伊予の豪族たちも抵抗を諦めて降伏してきます。

こうして伊予は毛利家によって平定されることになります。

 

讃岐方面の戦い

 

讃岐に上陸したのは宇喜多秀家(うきたひでいえ)を大将として、

黒田官兵衛(くろだかんべえ)、蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)、

仙石権兵衛秀久(せんごくごんべえひでひさ)など総勢2万3000千程の兵力が讃岐へと

上陸してきます。

彼らは大軍で讃岐へ上陸すると元親の防衛拠点である城を即座に陥落させ、

幸先良いスタートを切ることができました。

その後讃岐の植田城へ攻撃を仕掛けますが、

この城の防衛がしっかりとしていたことから攻めあぐねてしまいます。

そのため官兵衛は秀家へ「ここで植田城に手こずっているよりも

阿波へ侵攻した秀長殿と合流したほうがいいでしょう」と進言。

秀家は官兵衛の進言を取り入れて植田城の攻撃を中止して、

阿波方面へ向かって進軍を開始。

讃岐での戦いはこうして終了し、

戦いの舞台は元親が防衛ラインを重点的に構築した阿波へと移ることになります。

 

阿波での戦いその1:激戦木津城

 

秀長率いる豊臣軍は阿波へ上陸すると木津城へ攻撃を行います。

豊臣軍は火の出るような攻撃を継続して行いますが、

元親が配置した猛将・東条関兵衛は豊臣軍の攻撃に屈することなく撃退していきます。

東条関兵衛が守っていた木津城に豊臣軍は8昼夜にもわたって攻撃を継続して行い、

この攻撃にも耐えていた関兵衛。

しかし水の手を絶たれてしまい豊臣軍に降伏することになります。

その後秀長は阿波各地の城へ攻撃を行いますが、

元親が構築した防衛ラインを突破することができずに時間だけが過ぎて行きます。

 

阿波での戦いその2:防衛拠点が崩壊

 

元親が築いた豊臣軍防衛ラインはしっかりと機能していたのですが、

あることがきっかけで崩壊してしまいます。

その原因を作ったのは元親の弟・香宗我部親泰(こうそかべちかやす)と

重臣である吉田重俊(よしだしげとし)でした。

彼らは東条関兵衛が守っていた木津城が陥落したことを知ると豊臣軍にビビってしまい、

城を放棄して元親の本拠地である土佐(とさ)へ逃亡してしまうのです。

このため元親が構築した阿波の防衛ラインが崩壊することになり、

秀長軍が阿波内部へ進撃することになってしまうのです。

 

阿波での戦いその3:最後の防衛ラインでの戦い

 

秀長は阿波内陸部の重要拠点である一宮(いちのみや)城・脇(わき)城・岩倉(いわくら)城に

攻撃の重点を置き、三つの城へ攻撃を開始することにします。

秀長率いる豊臣軍本隊は藤堂高虎(とうどうたかとら)、

蜂須賀正勝ら総勢5万の大軍を用いて一宮城へ攻撃を開始することになります。

一宮城を防衛するのは元親の重臣である谷忠兵衛(たにちゅうべえ)でした。

彼は豊臣軍が攻撃を仕掛けてくると必死に防衛を行い豊臣軍と戦いを続けていきます。

秀長率いる5万の豊臣軍は一宮城が以外に激しい抵抗をしてくるため、

城内に供給している水の手を断つ作戦を決行。

この作戦に加えて得意の兵糧攻めを同時に行った結果、

一宮城は水・兵糧が無くなってしまい降伏することになります。

また残りの重要拠点である脇城・岩倉城も一宮城の降伏前後に陥落。

こうして秀長率いる豊臣軍は元親の本営である白地城へ向けて進撃を再開します。

 

豊臣と和睦する道へ

 

元親は白地城で軍議を開きます。

彼は豊臣軍の強さを目の当たりにしてこのまま戦っても勝てないことを思い知らされ、

谷忠兵衛から「和睦するべきではないか」と説得されますが、

一度はねつけてしまいます。

だが重臣達総出の説得によって元親は豊臣との和睦を行うことに。

秀長は元親の和睦の話に応じ秀吉に指示を仰ぎます。

秀吉は元親に本領である土佐一国が安堵することが、

和睦の条件であることを秀長に伝えます。

元親は秀吉の条件に応じて豊臣と和睦することに応じ、

豊臣と長宗我部の戦いは終結することになります。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

こうして豊臣軍の勝利によって四国征伐は完了することになり、

秀吉の天下統一戦の第一弾は成功することになるのです。

しかし秀吉の天下統一事業の完成はまだ始まったばかりで、

日本最強の兵士を有しているあの家との対決が迫っておりました。

そして豊臣軍の圧倒的な攻撃力の前に屈した長宗我部元親は、

秀吉に降伏後は従順に豊臣家へ従うことになります。

この長宗我部氏ですが九州地方での戦いに参加することによって、

大きく運命を狂わせられることになります。

さてマンガ・センゴク権兵衛の主人公である仙石権兵衛はこの四国征伐での功績によって、

讃岐10万石を秀吉から与えられることになり、

大大名としての一歩を踏み出すことになります。

しかし彼も九州地方での戦いに参加することによって運命が大きく変化することになります。

さて上記の武将たちの運命を狂わせることになった秀吉の天下統一事業第二弾は

「九州征伐」ですが一体どうなるのでしょうか。

 

参考文献 吉川弘文館 長宗我部元親 山本大著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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