ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志・もしもボックス」のコーナーです。
三国志にはライバル関係にある英雄同士がいます。
諸葛亮孔明と司馬懿、諸葛亮孔明と周瑜などはいい例ではないでしょうか。
それでは、三国志の主役といわれる曹操にとってライバルは誰だったのでしょうか。
劉備と答える方もいるでしょう。しかしそれは三国志演義の影響を強く受け過ぎなのかもしれません。
劉備が曹操を追い詰めたことなどなく、
それほど危機感を与えたこともありません。(漢中を奪ったことくらいでしょう)
やはり曹操のライバルは袁紹でしょう。
若い頃から知り合いだった二人は互いの長所も短所も見抜いていたはずです。
特に曹操は袁紹に対し「いずれは倒さなければならない相手」と
常に意識していたのではないでしょうか。
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袁紹が許都を狙う
袁紹が都である許に向けて進軍を始めたのは199年8月のことです。
中原ではすでに呂布は処刑されており、袁術も没していました。
劉備も独力勢力ではなくなっています。
長安に巣くった董卓の残党である李傕、郭汜もすでに殺されています。
河北では公孫瓚が滅び、袁紹が完全に制圧しています。
黄河を挟んで、袁紹と曹操は雌雄を決することになるのです。
曹操は袁紹の大軍のプレッシャーから戦線を下げることも検討しますが、
荀彧に励まされ、白馬で戦い戦果をあげ、やや戦線を下げて袁紹本陣を迎え討ちます。
ここが官渡ということになるのです。
袁紹が勝つポイント
一説には10倍の兵力を有して戦いに赴いたという袁紹ですから、勝ち目はいくらでもありました。
むしろ負ける方が不思議なくらいです。
袁紹は兵力だけでなく兵糧の面でも曹操に圧勝していたのです。
後背に敵もおらず、袁紹はじっくり攻めれば曹操を倒すことができたはずなのです。
強いていうと問題は内側にあります。
袁紹の後継者問題、それに絡んだ派閥争い。
特に名士たちの衝突には袁紹も手を焼いたことでしょう。
持久戦を主張した田豊や沮授などが失脚しています。
とりあえず持久戦を選択していたら袁紹が負けることはなかったのではないでしょうか。
先に消耗し、瓦解していくのは曹操側だったはずです。
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敗北した曹操はどうなる?
官渡を破られたら、もはや許都で防ぐしかなくなりますが、勝算はほとんどありません。
後背を荊州の劉表に突かれることになるでしょうし、
曹操側の離反者もかなりの数にのぼることになります。
袁紹との勝ち目のない戦いを続け、最後まで曹操に付き合う武将は多くないはずです。
もはや曹操の陣営は組織として成り立たない状態になります。
献帝にお願いして和睦の道を探ることになるかもしれません。
逆らった曹操を袁紹は許すでしょうか。捕まれば処刑される可能性が高いです。
と、いっても南の荊州は敵対勢力。
東は孫策亡き後に孫権が継いだ間もない状態でとても流動的です。
西は馬騰と韓遂。南の果てまで逃げれば劉璋のいる益州です。
逃げるとすれば韓遂を頼って西を選択するでしょうか。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
袁紹は許都を押さえて、天下に号令するだけの勢力となります。
しかし2年ともたずに病没することになるのです
(曹操に敗北していなければストレスもなく寿命は延びたかもしれませんが)。
後継者争いは激しさを増すことでしょう。
河北は長子・袁譚派と三子・袁尚派に二分され、
さらに大きな戦が繰り広げられたかもしれません。
西に落ち延びていた曹操は、
馬騰や韓遂の力を借りて長安→洛陽→許都へ進撃。その勢いで河北も平定します。
そう考えると、結局袁家は滅び、曹操が中原を制することになりそうです。
袁紹が家督問題をしっかり解決させていたら話は別なのかもしれませんが。
皆さんはどうお考えですか。
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