何で劉備は劉表からの荊州譲渡を断ったの?第6感で決断した劉備の意図とは?


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

蜀の初代皇帝である劉玄徳。

彼は袁紹と曹操の間で起きた官渡決戦の後、

荊州のボスである劉表のところに身を寄せることにします。

この地で劉備は平穏な時間を過ごすとともに新たな人材を探しておりました。

そんな中曹操が河北を統一して南下してくるとの噂が荊州に流れ込んできますが、

荊州のボスである劉表(りゅうひょう)は病にかかっている状態で、

いつ亡くなってもおかしくない状態でした。

この時、劉表は劉備に荊州を託したそうですが、

彼はなぜ荊州を貰い受けようとしなかったのでしょうか。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:三国志の徐州争奪戦が何だかややこしい!仁義なき徐州争奪戦を分かりやすく解説


曹操軍が南下してくる!?

 

劉表は曹操が河北を統一し終わると荊州へ大軍を率いて南下してくる

との噂を病床で聞きます。

彼は曹操が河北統一が終わる前に病にかかってしまうのです。

そのため曹操が大軍を率いて南下してくるとの報告を聞いても判断力が鈍っており、

大した反応をすることができませんでした。

彼はこのまま何も対応しないでいれば荊州が曹操に奪われてしまうと感じたため、

客将として新野に駐屯していた劉備を呼びに行かせることにします。


荊州を託す

 

劉表は劉備がやってくると彼を病床へ呼んで「曹操が大軍を率いて南下してくるそうだ。

このままでは荊州は曹操に奪われてしまう。

我が子にこの荊州を託したのだが、まだ若くて不安でしょうがない。

そこで君荊州を託したいと考えているのだがどうであろうか。」と提案。

劉備はこの事を聞いて驚いていしまいます。

しかし彼は劉表へ「劉表殿。あなたの息子達は若くてもしっかりとした判断力を備えており、

あなたが亡くなった後に荊州を背負って立つふさわしい人材と言っていいでしょう。

今は荊州のことよりも自らの病の治療に専念しなさい」とやんわりと荊州を譲り受ける事を

拒否します。

 

【はじさん編集部】編集長kawausoの奮闘日記も絶賛公開中!

 

他の家臣からも説得されるが・・・・

 

劉備は劉表の家臣達からも「荊州を譲り受けたほうがいいのではないのでしょうか。」と

説得されます。

しかし彼は「今劉表殿から荊州を譲り受ければ、天下の人々は俺のことを

『あいつは劉表のせわになったのに荊州を奪ったそうではないか』と

陰口を叩くに違いない。

また劉表殿には長い期間世話になっているのに、

どうして荊州を譲り受けることができるであろうか。」と劉表から荊州を譲り受ける事を拒否。


劉備が荊州を譲り受けなかった真意とは:レンの考察

 

劉備はなぜ頑なに荊州を譲り受けようとしなかったのでしょうか。

もし劉備が荊州を譲り受けたと仮定し、どうなっていたのか想定してみましょう。

劉備は荊州を劉表から譲り受けます。

その後自らの領土となった荊州の豪族や名士達に満足な挨拶をしている暇もなく、

曹操軍の大軍を迎え撃たなくてはなりません。

劉表の側近で力を持っていた蔡瑁(さいぼう)や蒯越(かいえつ)らは劉備を嫌っていたので、

彼に協力することはないでしょう。

また荊州の豪族達も本気で劉備へ力を貸すのかどうかわかりません。

すると劉備は新野にいた自軍のみで曹操軍と戦わなくてはならず、

劉備軍が曹操軍と戦った場合撃退することはほとんど不可能であったと思います。

 

 

そして劉備は再び曹操軍に敗北してしまい荊州を失う事になるのではないのでしょうか。

劉備は上記のような状況になることを考えていたから、

荊州を譲り受けようとしなかったのではないのでしょうか。


  

三国志ライター黒田レンの独り言

 

劉備は荊州を譲り受けなかったことで、劉表の息子が荊州を統治することになります。

しかしすぐに曹操軍が南下してきたため荊州は曹操に降伏。

そして劉備軍は南に逃亡することになります。

もし彼が荊州を譲り受けていたらこのように軽快に荊州南部へ

撤退することはできなかったでしょう。

曹操軍がまだ河北で袁家と争っている時なら彼は荊州を譲り受けていたかもしれません。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:三国志の劉備玄徳は本当に民や武将から慕われてた?

関連記事:益州に侵攻した劉備にとって最も強敵だったのは誰?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

関連記事

  1. 酔いつぶれる劉備玄徳
  2. 幕末 魏呉蜀 書物
  3. 悪の正義バットマン風 曹操
  4. 孔子と儒教
  5. 孔明もコペルニクスに似ていた
  6. 周瑜と陸遜

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志倶楽部

“濡須口の戦い

“赤壁の戦い

“公孫瓚

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

“はじめての三国志公式LINEアカウント"




PAGE TOP