【キングダム】呂不韋の子孫は前漢の皇后と三国志のあの人だった!

2017年7月7日


 

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キングダムに登場している秦・政の父親を支援することで、

一介の商人から宰相の位にまで登った呂不韋(りょふい)

「奇貨置くべし」などの名言や「呂氏春秋(りょししゅんじゅう)などの

書物を編纂した人物として歴史的貢献度の高い人でした。

キングダムでは秦王政との政争に敗北してしまったことで、

秦の国から追放されてしまう人物ですが、

呂不韋に子孫がいたことを皆さんはご存知でしょうか。

呂不韋の子孫はなんと前漢時代の皇后と三国志の蜀に仕えたあの文官だったのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呂不韋の最後

 

呂不韋の子孫が誰であったのかをご紹介する前に彼の最後をご紹介しましょう。

秦王政の母親である皇后は家臣と不倫していた事がバレてしまい事件となってしまいます。

皇后と密通していた家臣を紹介したのが呂不韋であることがバレてしまい、

呂不韋も罪を連座することになります。

秦王政は呂不韋の長年の功績を鑑みて処刑するのをやめ、

呂不韋が保有していた爵位をすべて剥奪し自宅謹慎させることに。

しかし呂不韋の元には自宅謹慎しているにも関わらず、

多くの客が訪れており他国からも客がやってくる有様でした。

このことから秦王政は呂不韋が他国と手を組んで秦に反旗を翻すのではないかと考え、

呂不韋を蜀(しょく)へ追放。

その後呂不韋はこの蜀の地で亡くなってしまうのです。

こうして戦国春秋時代後期の出世頭・呂不韋は歴史から姿を消すことになります。

さてこの呂不韋の血は蜀の地で消えてなくなるわけではありませんでした。

なんと春秋戦国時代から数十年後に再び呂不韋の血を引いた人物が、

歴史の表舞台に姿を現すことになるのです。

さて呂不韋の子孫はいったい誰なのでしょうか。

 

前漢初代皇帝・劉邦の奥さんが呂不韋の子孫だった

 

秦王政が他の六国を討伐して天下統一を果たした後、

始皇帝(しこうてい)と呼ばれ天下に君臨することになります。

始皇帝は法による統治で天下を治めていくのですが、

余りにも法律が厳しすぎて色々なところで始皇帝に対して反乱が発生。

始皇帝が亡くなった後は反乱が勢いをまして、

秦の国は反乱軍の大将であった劉邦(りゅうほう)の軍勢によって滅ぼされてしまいます。

その後劉邦の軍勢はライバルであり、

戦においてほとんど無敵と言っていいほどの強さを誇っていた楚の項羽(こうう)

戦うことになります。

両者は数年間天下の覇権を賭けて戦いを繰り広げた結果、

劉邦が項羽を滅ぼして天下統一を果たすことに成功。

劉邦は天下統一を成し遂げると従来から使用していた国家の名前である「漢」を帝国名に。

そして皇后として選ばれたのは、

長年劉邦と辛苦を共にしてきた呂雉(りょち)が擁立されることになります。

 

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呂不韋に似て権力を握って政権運営を行う

 

この劉邦の奥さんとして皇后に擁立された呂雉こそ呂不韋の子孫であったのです。

呂雉は劉邦が亡くなる前から権力を握り始め劉邦が亡くなった後、

息子が皇帝に就任すると皇后として漢帝国に君臨して権力を全てを掌握。

その後は呂雉によって漢帝国が運営されることになり、

呂雉の一族が漢帝国の要職を独り占めすることになります。

しかし呂雉が亡くなると漢帝国樹立の功臣であった周勃(しゅうぼつ)や陳平達によって、

呂雉の一族は全て殺害されることになります。

女性でありながら呂雉は漢帝国の権力を握って政権を運営する能力を持っていた点は、

呂不韋の血が呂雉にも流れている証左と言っていいのではないのでしょうか。

しかし呂雉が呂不韋の子孫である事は史書には記されていないため、

本当のところは不明となっております。

 

呂不韋の一族は三国志の時代にもいた

 

漢帝国の権力を握って帝国の政権を運営していた呂雉。

しかし呂雉の死後は周勃や陳平達によって呂雉の血族達は次々と殺害されてしまいます。

こうして呂不韋の子孫は全滅した…かと思いきや細々と蜀の地方に残っておりました。

前漢帝国を握った呂雉の死後数百年が経過した三国時代。

益州の南部にある永昌郡(えいしょうぐん)不韋(ふい)県と呼ばれる土地で、

ひとりの男が登場します。

この人物の名は呂凱(りょがい)と言い呂不韋の血を引いた子孫であったのです。

ついでにこの不韋県と言う名前ですが秦の呂不韋一族達が蜀に追放された後、

漢の武帝(ぶてい)の時代に南蛮を手懐ける為に蜀に住んでいた呂不韋の一族を

永昌郡へ移住させたことがきっかけでできた県です。

 

忠誠を貫いた呂凱!

 

劉備は夷陵(いりょう)の戦いで呉の陸遜(りくそん)に敗北して事がきっかけで、

亡くなってしまいます。

劉備が亡くなると蜀の皇帝に劉備の息子であった劉禅(りゅうぜん)が、

君臨することになりますがまだ政治を知らない為、

丞相として蜀の政治を舵取りしていた諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が、

蜀の国政を運営していくことになります。

劉備が亡くなり劉禅が皇帝に就任した頃、

益州の南部で雍闓(ようがい)が蜀に反乱を起こし呉に降伏してしまいます。

雍闓は永昌郡を陥落させるため、

永昌郡に駐留していた呂凱へ降伏の手紙を幾度送ります。

呂凱は雍闓から降伏を受け入れるよう何度も手紙をもらいますが、

その都度降伏することに反対。

呂凱は雍闓の軍勢が永昌郡へいつ攻撃してきてもいいように

雍闓の本拠地から永昌郡へ至る道を切断して攻撃がすぐにできないようにします。

また呂凱は永昌郡で檄文を回して雍闓に抵抗する兵を募集。

この結果多数の民衆が呂凱の募兵に応じることになり、

呂凱はこの兵士達をかき集めて永昌郡守備軍を編成することにします。

その後呂凱は永昌郡へ雍闓の軍勢が攻撃を仕掛けてきても屈することなく、

諸葛孔明の南蛮征伐が開始されるまで死守することになるのです。

呂不韋や呂雉が権力を握って政権を切り盛りしていたような能力は呂凱に見ることは、

できません。

本当に呂凱は呂不韋の子孫なのでしょうか。

 

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呂凱も呂不韋と呂雉と同じように忠誠心を持っていた

 

呂不韋は宰相となって政権を運営する能力に長けており、

呂不韋の一族であった呂雉も政権を運営する能力に長けておりました。

しかし呂雉は三国時代に政権を運営するような能力を見せてはおりません。

一体呂凱は呂不韋・呂雉と似ている点はあるのでしょうか。

呂凱が呂不韋・呂雉と似ている点は忠誠心と言えるでしょう。

呂不韋も秦がピンチに陥っても他国に寝返るようなことをせず、

呂雉も項羽に捕虜となって絶体絶命の危険にさらされた時、

旦那である劉邦を裏切って項羽に降伏するような事をせず、

劉邦を支える妻しての姿勢を変える事無く忠誠心を貫いておりました。

呂凱も蜀軍が援軍に来ない中必死になって永昌郡の防衛に努めており、

蜀軍が援軍として到来するまで永昌郡を敵に明け渡すことなく、

守り通すことに成功しております。

呂凱は呂不韋や呂雉のように政権を運営する能力はありませんでしたが、

忠誠心においては二人に似ていたと言えるのではないのでしょうか。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

戦国春秋時代の傑物と言われた呂不韋が

漢帝国や三国志にまで影響を及ぼして有名になっているとは思いませんでした。

キングダムの主人公・信の血族も前漢時代の飛将軍と呼ばれた李広がおり、

その後の時代にも影響を及ぼしています。

この春秋戦国時代に生きて歴史に影響を及ぼした人物は、

子孫の代までその名を歴史にとどめており、

すごい人ばかりだったんだなとしみじみと思ってしまうレンでした。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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