井伊直虎はおんな城主だったの?それとも男?身長は高かったの?直虎の生涯から迫まる!

2017年7月9日


 

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大河ドラマ「おんな城主・井伊直虎(いいなおとら)」。

柴咲コウさんが主人公・直虎を演じており、

今人気の俳優さんから重鎮と言われる女優さんなど、

豪華キャストで演じている大河ドラマです。

しかし史実では井伊直虎が本当におんな城主として、

井伊家を統治していた可能性が低いことをご存知でしたでしょうか。

今回は大河ドラマを見ているだけでは絶対に知ることのできない、

史実の井伊直虎の衝撃的な事実をご紹介していきましょう。

 

関連記事:おんな城主 直虎を100倍楽しむ!今川に呪われてしまった井伊家宗家

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ふたりの虎の違い

 

大河ドラマの井伊直虎は柴咲コウさんが行動力に優れ、

直感力を兼ね備えた直虎を演じており、

大河ドラマを見ている方には「知っているよ」と怒鳴られるかもしれません。

しかし史実の井伊直虎を知っている方はかなり少ないのではないのでしょうか。

史実の直虎はおんな城主の可能性が低く直虎の存在すら怪しいのです。

驚いた方も多いはずだと思いますが、

まずは史実の直虎の生涯からご紹介していきましょう。

 

史実の井伊直虎の前半生をご紹介

 

井伊直虎は父・井伊直盛(いいなおもり)と

新野親矩(にいのちかのり)の妹・祐椿尼(ゆうちんに)との間にできた娘が直虎です。

直盛と裕椿尼にはこの直虎や女子が数人生まれることになりますが、

後継となる男子が生まれることはありませんでした。

そこで直盛は叔父・井伊直満(いいなおみつ)の息子・井伊直親(いいなおちか)を直虎と

結婚させて井伊家を継がせようと考えておりました。

だが結婚させる予定だった直親の叔父・直満が小野和泉守の謀略にハマってしまい、

今川に殺害されてしまいます。

今川家は直親も殺害しようとしますが、

龍潭寺(りゅうたんじ)の南渓和尚(なんけいおしょう)が直親を信州へ逃亡させたことで、

難を逃れます。

だが直虎は直親がいなくなったショックで尼になることを決意し、

南渓和尚が住職をしている龍潭寺へ赴いて出家。

出家後は「次郎法師(じろうほうし)」と名乗ることに。

直親は井伊谷を逃亡するきっかけを作った小野和泉守(おのいずみのかみ)が、

亡くなった事で井伊谷へ帰還することになり、

直盛の養子として井伊谷の井伊家に帰還。

こうして井伊家は跡取りを向かい入れることに成功しますが、

スムーズに家督相続をすることができませんでした。

その原因は直盛が今川の命令に従って従軍した桶狭間(おけはざま)の戦いで、

討ち死にしてしまったからです。

井伊直盛死後、井伊直親が井伊家の棟梁として君臨…したのではなく、

直盛の遺言によって家臣の中野直由(なかのなおよし)が、

井伊家を取りまとめることになります。

こうして井伊家は当主がいなくなった後もなんとかまとまっていくことになりますが、

小野政次(おのまさつぐ)が今川家へ

「直親様が最近鷹狩りをしながら徳川と会ってるぽいっす」と通報。

この通報によって直親は今川氏真(いまがわうじざね)に謝罪するため、

駿府へ向かいますが途中で殺されてしまいます。

そのため井伊家には当主が不在の状態が発生。

ここまでを井伊直虎の前半生としたいと思います。

直虎の前半生は非常に波乱を含んでおりますが、

史実では大河のようにバシバシ登場しているのではなく、

あまり井伊家の歴史に登場していない事がお分かりなると思います。

 

井伊直虎の後半生をご紹介【大河ドラマのネタバレ含む】

 

さてここからは井伊直虎の後半生をご紹介していきたいと思いますが、

大河ドラマのネタバレに繋がりますのでご注意ください。

直虎の母・裕椿尼は直親が亡くなると直親の嫡男・虎松(とらまつ)の命が危ないと考え、

新野の実家へ虎松を連れて逃亡。

間一髪で虎松の命は助かることになります。

直親死後井伊家の先代井伊直平(いいなおひら)は、

中野直由と一緒に井伊家を取りまとめておりました。

だが直由と直平は遠州(えんしゅう)で反乱を起こした天野氏(あまのし)討伐戦に

強制的に参加させられた事がきっかけで討ち死にすることに。

その結果、井伊家の主たる家臣がいなくなってしまうのでした。

このままでは井伊家が無くなってしまうと感じた南渓和尚と裕椿尼は、

虎松の後見役として井伊直虎を据えることにします。

ここからおんな城主・井伊直虎が史実で登場することになります。

そして月日は流れて…。

永禄十一年。

武田軍が駿河(するが)に侵攻してきた際、小野政次は虎松殺害を計画しますが、

奥山六左衛門が虎松を三河の鳳来寺(ほうらいじ)へ逃がしたことによって計画は失敗。

この時に直虎と裕椿尼も一緒に井伊谷から退去して逃亡。

政次は井伊家の後見役である直虎が居なくなったことで、

井伊谷の統治を行っていくことになります。

だが…家康が遠州へ侵攻してきた際政次は家康に捕まって死刑に。

小野政次が死刑となった理由は井伊谷を勝手に統治したことでした。

こうして今川の領土から解放された井伊谷だったのですが、

井伊家が実権を握ることはありませんでした…。

鳳来寺に身を隠していた虎松は直親の十三回忌の時に遠州の龍潭寺を訪れた際、

南渓和尚と直虎が相談して家康へ仕えさせる段取りを組みます。

南渓和尚と直虎が尽力したおかげで虎松は家康に仕えることができ、

井伊直政が誕生することになります。

そして井伊直政が家康に仕えたことによって井伊谷の井伊家は再興されることになります。

井伊家当主の後見役として井伊家に尽力してきた井伊直虎は、

直政が初陣を果たした小牧・長久手の戦いの二年前に亡くなるのでした。

上記が直虎の生涯となります。

ではここから直虎の真実に迫っていきたいと思います。

 

井伊家の家系図に名前が無い直虎

 

いきなりですが…直虎は井伊家の系図上に存在していません。

という事は井伊家当主に就任した事実が無いと言うことです。

かなり衝撃的ですが事実なのです。

その証左として井伊家の系図が書かれている「井伊系図」によると

直虎の名前や次郎法師の名前が記載されていないのです。

更に「群書」と言われる書物に記載されている井伊直盛の事績によれば

「直盛には嫡男がいなかったため、

先代直宗の兄弟である直満の息子に井伊家の当主を譲ろうとしていた」と

記載されています。

しかし「井伊家伝記」と呼ばれる書物にはしっかりと直虎の名前が記されております。

この伝記が作成されたのは1730年以降であり、

それ以前に井伊家について書かれている群書は1676年に成立しております。

なぜ群書には直虎の名前が記載されておらず、

1730年以降に編纂された「井伊家伝記」には、

直虎の名前が記されるようになったのでしょうか。

 

直虎の誕生秘話1:井伊家伝記が編纂された理由とは

 

群書には直虎の名前が無く伝記から直虎の名前が記載されることになったのは、

一体なぜなのでしょうか。

この謎を解くためにはまず伝記という書物が編纂されたきっかけを調べなくてはなりません。

伝記は「井伊直盛から井伊直政までの井伊家の苦難を乗り越えた話を記した書物」

であり龍潭寺の祖山という人物が編集・執筆をしたそうです。

祖山は「井伊家と龍潭寺の関係を祖山の代で終わらせることのない関係を築くため」

井伊家伝記を書いたそうです。

大河ドラマでは井伊家と龍潭寺はかなり親密な間柄であるにも関わらずです。

その井伊家と龍潭寺は史実でとそれほど親密ではなかったようです。

井伊家と龍潭寺が関係を持つことになった契機は、

龍潭寺と正楽寺が井伊谷の井伊家・初代様が誕生した井戸の帰属を巡って、

争ったためです。

この争いは井伊家が龍潭寺を援助したことで龍潭寺側が勝訴することで、

決着がつくのです。

この争いの中で祖山は井伊家に足を運んで井戸と龍潭寺の関係性を示す書物を作成。

この書物を作ったことで井伊家と龍潭寺の関係性が生まれることになります。

そして祖山は井伊家と龍潭寺の関係をここで終わらせることなく、

継続的に付き合って行くためのアイテムとして井伊家伝記を記していくことになります。

こうして「井伊家伝記」が編纂された理由が明らかになりました。

さてここからは直虎が誕生した理由についてご紹介しましょう。

 

直虎誕生秘話その2:次郎法師と直虎の関係性別人!?

 

祖山は井伊家伝記を編纂していく際龍潭寺で井伊家について調査。

その結果、永禄八年に次郎法師が与えた寄進状を発見した事を契機として、

次郎法師が井伊家当主に近い存在だっただろうと推測。

だが直盛が永禄三年。直親が永禄五年に亡くなっているため、

二人よりも遅くなくなった人物を探していくことになります。

祖山は必死にその人物を探索すると…

二人よりも後に亡くなった「妙雲院殿(みょううんいんでん)」という人物の位牌を見つけます。

この人物は女性でこの位牌を発見した以降も龍潭寺の調査を継続しても、

妙雲院が女性である証拠が位牌以外に見つかりませんでした。

そのため祖山は妙雲院殿=次郎法師とすることにします。

こうして龍雲丸から「尼小僧」と呼ばれていた次郎法師が誕生することになります。

しかし祖山は直盛の息女の存在を確認しながら、

直虎が直盛の息女であることを井伊家伝記には一切記すことをしませんでした。

その理由としてはレンの推測になりますが、

直盛・息女=直虎と直結すること証拠を見つける事ができなかったためだと思われます。

祖山は直盛息女=次郎法師=妙雲院殿として、

次郎法師を井伊家の当主に近い人物として登場させていても、

井伊直虎=次郎法師もしくは直虎=直盛・息女ではないと言う事です。

ここまで次郎法師が井伊家当主に近い存在であったことを示してきました。

しかし井伊直虎については一切言及をしておりません。

その理由は井伊直虎の名前が井伊家伝記に記されていないからです。

では井伊直虎とは誰なのか…。そもそも井伊直虎という人物は存在しているのか。

色々と疑問が沸いてくると思いますが、

井伊直虎という人物がいたことは間違えないのです。

その証左を次に記していきたいと思います。

 

直虎の存在を証明する発給文書

 

井伊直虎の存在を証明する公的な文章が残っております。

その文章はいくつかあり永禄八年に発給された「井伊直虎置文」、

または井伊直虎が発給した年貢割付などの文章です。

これらは井伊直虎の名前で発給されており、直虎が戦国時代にいた事を証明しております。

しかし何度もしつこいですが井伊直虎=次郎法師。

もしくは井伊直盛の娘=井伊直虎ではないので注意が必要です。

 

直虎は当主代行者だった!?

 

井伊直虎が生きていた戦国時代にはおんな城主が何人か存在しております。

直虎の主人であった今川家の寿桂尼(じゅけいに)は、

息子・今川氏輝(いまがわうじてる)が当主として君臨した際氏輝が幼少であったため、

寿桂尼が後見役として今川家当主の権力を執行して支えておりました。

その後今川義元(いまがわよしもと)が今川家当主として君臨すると

寿桂尼は当主代行者から手を引いて義元へ実権を返上しております。

このように当主が幼少であった事を理由に当主代行者として権力を振るっていることが、

希にありました。

井伊家も当主井伊直親が亡くなった後、直親嫡男の虎松が幼かった事から直虎が、

井伊家当主の代行者として井伊家を統治した可能性はかなり高いと言えるでしょう。

実際に井伊直虎が井伊家の当主代行者として公的文章を発行しております。

永禄7年に井伊直虎は祝田(ほうだ)村に発行した年貢割付の文書が残っており、

井伊直虎が井伊家の当主として振舞っていたことを表す証左と言えるでしょう。

 

井伊直虎は男性なのかそれとも女性だったのか!?

 

結果から言いますと直虎が女性か男性だったかの結論を述べることができません。

戦国時代の大名や武将の後継ぎは基本的に嫡男が家を継いでおります。

(嫡男が若死にした場合、次男もしくは別家から迎えるなどの措置がされていた。)

しかし希に家を継いだ当主が幼少であって政治的な判断ができない場合など、

今川家の当主代行者であった寿桂尼(じゅけいに)のように女性が、

当主代行者として政治を切り盛りして家を支えております。

おんな城主は上記の一例からもお分かりのように戦国時代に幾人か出現しております。

大河ドラマでも次郎法師が女性として描かれており、井伊家伝記にも

「次郎法師は女でこそあれ、井伊家の当主として生まれた」と

記載されており女性である可能性があります。

だが井伊家伝記には次郎法師=直虎、井伊直盛の娘=直虎とは記載されておりません。

他にも直虎=女性であると決定付ける資料が出現していないため、

直虎が女性である事を示すことができません。

もちろん直虎が男性である事を示す決定的な資料も出現していないため、

今後の井伊直虎の研究で、

男性だったのか女性だったのか明らかになってくるのではないのでしょうか。

しかし井伊次郎法師が女性であると井伊家伝記には記されており、

井伊直虎=次郎法師であることが証明されれば女性であると言えることになります。

 

直虎の身長ってどの位あったの!?

 

大河ドラマの井伊直虎は柴咲コウさんが演じており、

柴咲コウさんの身長=直虎の身長となっております(柴咲コウさんの身長が160cmなので、

直虎の身長も160cmとなっております。)

劇中では直虎の身長は160cmですが史実では一体どれくらいあったのでしょうか。

直虎が男性か女性かわからない為、

性別が確定すれば大体の身長がわかってくると思います。

しかし次郎法師が女性であることは井伊家伝記に記載されていることから、

大体予想することができます。

戦国時代の女性の平均身長は約150cmほどだったそうです。

そのため次郎法師は150cm程だったのではないのでしょうか。

すると柴咲コウさんの身長と10cm程しか変わらないため、

ぴったりな配役と言えるでしょう。

さて井伊直虎の身長ですが、女性であれば150cm以上160未満くらいであると思います。

では井伊直虎が男性だった場合身長はどれくらいなのでしょうか。

井伊直虎が男性であると仮定すると井伊直親や直親の息子・直政の身長を調べれば、

どれくらいだったのか予測することができるのできます。

だが井伊直親や直政の身長についての詳細な資料が無いため、

どの程度の高さだったのかわかりません。

じゃわからないじゃないかと思うはじさん読者がいると思いますが安心してください。

予想することはできるのです。

 

井伊直政が着用していた鎧から推測

 

井伊直政の使用していた鎧の高さからある程度、

直政の身長をうかがい知ることが出来るでしょう。

直政の鎧の高さは「42.8cm」あったそうです。

ここから推測すると直政の身長は、

160cmを数センチ超えるくらいあったのではないのでしょうか。

直政の身長が160cm以上あると仮定すると

直親も直政と同じくらいの身長であった可能性があるのではないのでしょうか。

そして次郎法師直虎が男性だった場合、

直政と身長が同じだったか少し高いか低い可能性は十分あると思いませんか。

そのためレンの予想ですが160cm±5cmくらいが井伊直虎の身長であると考えます。

 

番外編:大河ドラマのキャストについてご紹介

(写真引用元:おんな城主 直虎 NHK公式サイト)

 

さてここからは番外編として大河ドラマおんな城主・井伊直虎に

登場している主要人物のキャストについてご紹介しましょう。

井伊家のキャスト紹介

主人公:おんな城主・井伊直虎(柴咲コウ)

直虎の母:裕椿尼(財前直見)

井伊家菩提寺:龍潭寺の南渓和尚(小林薫)

井伊直親の奥さん:シノ(貫地谷しほり)

井伊直親の嫡男:虎松(寺田心)

井伊直親の娘:高瀬(高橋ひかる)

井伊家筆頭家老:小野政次(高橋一生)

井伊家家臣:中野直之(矢本悠馬)

井伊家家臣:奥山六左衛門(田中美央)

井伊家家臣:瀬戸方久(ムロツヨシ)

 

龍雲党のキャスト紹介

龍雲党当主:龍雲丸(柳楽優弥)

龍雲党一味:モグラ(マキタスポーツ)

龍雲党一味:力也(真壁刀義)

龍雲党一味:カジ(吉田健吾)

龍雲党一味:ゴクウ(前田航基)

 

今川家のキャスト紹介

今川家当主:今川氏真(尾上松也)

今川家アドバイザー:寿桂尼(浅丘ルリ子)

氏真正室:早川殿(西原亜希)

今川家重臣:関口氏経(矢島健一)

 

徳川家キャスト紹介

徳川家当主:徳川家康(阿部サダヲ)

家康正室:築山殿(菜々緒)

 

織田家キャスト紹介

戦国の風雲児:織田信長(市川海老蔵)

以上が現在おんな城主井伊直虎に登場している豪華キャストとなっております。

上記を把握していれば、誰が何の役をやっているのか一目瞭然となり、

より大河ドラマを楽しめることだと思います。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

現在の研究では井伊直虎=直盛息女もしくは直虎=次郎法師を示すことが出来ません。

そのため井伊直虎がおんな城主だった可能性は現段階でかなり低いと言えるでしょう。

しかし今後の研究によってはおんな城主である可能性もあると思います。

一つ言えることは井伊直虎が実在していることは判明していると言う事です。

直虎が女性であったのか、それとも男性であったのか…。

または直虎=次郎法師であることが判明されるのは今後の研究しだいと言うことです。

皆様も直虎の性別判明を楽しみしていてはいかがでしょうか。

 

参考文献 星海社新書 伊井氏サバイバル500年 大石泰史著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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