「刀狩り」とは何?豊臣秀吉が行った有名な政策とその目的とは?

2017年7月15日


 

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豊臣秀吉(とよとみひでよし)。

旧織田家の筆頭家老・柴田勝家(しばたかついえ)を倒し、織田家筆頭家老に就任後、

小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦いで、

織田信雄(おだのぶかつ)・徳川家康連合軍に対して、

有利な和睦条約を突きつけて勝利を収めることになり、

天下人としての大きな一歩を踏み出すことになります。

また公家衆の関白職の争いを収める為自らがこの問題に介入して関白職に就任。

こうして名実ともに天下人になった豊臣秀吉。

彼は天皇の名の元に天下の諸大名へ「総無事令(そうぶじれい=

大名間の争いをやめさせる目的の政策)」を発令することになります。

こうして着々と天下を静謐にすることを目的とした統一事業を推進。

今回は彼の天下を静謐することを目的とした事業として、

歴史の教科書にも記載されている「刀狩り」についてご紹介していきたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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刀狩りが行われたのはいつ頃なの

 

さて今回は秀吉の政策である刀狩りですがいつごろ発令されたのでしょうか。

この政策が発令されたのは島津征伐を行い大勝利で飾った翌年の事で、

西暦1588年の事でした。

その前に刀狩りとは一体どのような目的を持った政策なのでしょうか。

 

刀狩りの目的とは

 

秀吉が行ったこの「刀狩り」政策ですが、一体どのような政策なのでしょうか。

刀狩りの政策内容は三つの事からなっており要約すると次のような命令でした。

 

1:百姓が刀・鉄砲・弓等の武器を持っていることを禁止。

2:没収した武器は方広寺(ほうこうじ)を建立する資材として活用

3:来世まで百姓たちは救われることになるだろう。

だからすぐに武器を差し出すように」との事で、

百姓が安全で平和な時代を築くために必要な政策内容でした。

しかし本当にそうなのでしょうか。

これは秀吉が考えた俗に言う建前だとは思いませんか。

 

刀狩りの本当の目的とは

 

秀吉が発令した真の刀狩りの目的。

それは一揆の防止でした。

百姓達の武装勢力として戦国時代で勢いを持っており有名な団体といえば、

根来衆(ねごろしゅう)や雑賀衆(さいかしゅう)達と言えるでしょう。

彼らは武士ではなく鉄砲の操縦技術を有した百姓達である反面、

他国の大名に雇われて戦に参加。

戦に参加することで高額な報奨金を得ていた傭兵団のような存在でもありました。

秀吉は紀州を拠点として活動していた根来衆・雑賀衆達を討伐するべく、

紀州征伐を行います。

この戦いは秀吉軍の圧倒的な兵力の前に傭兵団である根来衆・雑賀衆が、

秀吉と和睦することで決着がつくことになるのです。

秀吉は彼らと和睦を結んだ時に刀狩り令の原型を条件に組み込んでおります。

その内容は自らに抵抗してきた百姓達の命を許す代わりに、

鉄砲・刀・槍等を放棄して百姓らしく田畑を耕して生きていくことが条件でした。

この条件を飲んで根来衆・雑賀衆は和睦に応じるのです。

このように戦国時代では上記のように(根来衆・雑賀衆は傭兵団みたいな存在でしたが、)村々に武器を有しており、

領主や大名に対して不満があれば一致団結して反乱を起こしておりました。

秀吉は百姓達から武器を取り上げることによって彼らが農業に専従することを促し、

年貢を大名や領主達へしっかりとおさめることで、

年貢収入を経済の基盤とする目的としておりました。

 

刀狩りにはもうひとつの意味があるのではないのか「レンの私見」

 

もう一つ刀狩りには大きな目的があったとレンは考えます。

それは農業専従者である百姓と

戦闘のプロフェッショナルである武士との区別をしっかりと行うための兵農分離が、

目的ではないのでしょうか。

上記でもご紹介しましたが百姓達の武装反乱が各地で起きていた戦国時代ですが、

武士も反乱を起こしていることがしばしばありました。

しかし百姓達が主導で反乱を起こしたのか。

それとも武家が主導で主君に対して反乱を起こしたのか、

明確な区別がなかなか付けることができずにおりました。

明確な判断ができないとなれば、誰を罰すればいいのかわかりません。

そのため秀吉はこれら反乱を起こす者達の区別をはっきりとするため、

刀狩りを行い武器を百姓達から取り上げることで、

反乱を起こした武家と百姓達をしっかりと区別する意味合いもあったのではないのでしょうか。

これら二つが刀狩りの真の目的でした。

 

刀狩りの様子とは

 

刀狩りは上記のような真の目的と建前上の二段構えの目的を持って、

発令されることになります。

では百姓達はこの命令に素直に頷いて武器を差し出したのでしょうか。

今回は刀狩りの様子を伺ってみましょう。

宣教師であるルイス・フロイスが示した「日本史」という書物には、

刀狩りが行われた九州の大名である有馬(ありま)家の様子が記されております。

「日本史」によると刀狩りを行う役人は村々に対して

「おーい。刀・槍・弓・鉄砲など武器を持っている家はちゃんと差し出せよ。

もし差し出さなかったら家宅捜索するからな。」とちょっと緩めですが、

しっかりとプレッシャーもかけて命令を布令しております。

こうして役人の前に色々な武器達が勢ぞろいしていくことになりますが、

もし差し出すことに協力しなかった百姓にはガチで家宅捜索が行われることになります。

役人達は差し出さなかった百姓の家に出向いて家宅捜索を行い、

武器を見つけると没収していったそうです。

有馬家ではこの刀狩りを行った結果、1万6千の武器が回収されたそうです。

かなりの武器を百姓達が有していたことになりますね。

また全国各地で行われたこの政策によって没収された武器は数十万になったそうです。

ではこの没収した武器は一体どこに消えていったのでしょうか。

 

刀狩りによって没収された武器達の行方は??

 

さて秀吉の政策によって百姓の村々から没収された武器達。

これらの武器は一体どこに消えていくのでしょうか。

一部は秀吉が刀狩りの建前となっていた方広寺建立に消化されていったと考えられます。

方広寺に大きな大仏を建立するため、かなりの量の鉄が必要であったことは間違えなく、

百姓達から回収した武器を溶かして使用していたと思われます。

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

さて秀吉が行った刀狩りによって集められた武器達は一体どこに行ったのでしょうか。

レンは日本全国の百姓達からかき集めた武器全てを大仏建立に使用したのかという点に

疑問を持っております。

それはなぜか。

何十万もの武器を方広寺の大仏建立や方広寺の釘に使用するなんて、

豪華好きの秀吉にしてはいかにもケチではありませんか。

大阪城築城の時や聚楽第を建築した時にはあんなに金をぶち込んだにも関わらずです。

そこでレンが考えた回収した武器の使い道として、

次の戦のために使用するであろう鉄砲の弾に使ったのではないのでしょうか。

秀吉は天下統一事業が完成すると朝鮮半島に向かって兵を送り込んでいきます。

この時に秀吉は刀狩りで回収した武器の中で、

あんまり価値のないものや釘として使えない武器達を集めて、

鉄砲の弾薬として使用したのではないのでしょうか。

かなり突飛な話ですが、

朝鮮半島を従属させていた中国の明とやり合うにはそれなりの軍勢と武器・弾薬が、

準備されてなくては勝てないと思うからです。

ちょっとずれているかもしれませんが、筋が通っていないわけではないと思います。

皆さんは刀狩りで回収された武器達が一体どこに消えてしまったのか。

どのようにお考えになられますか。

 

参考文献 新星出版社 豊臣秀吉 榎本秋著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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