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周舒(しゅうじょ)とはどんな人?預言書に記されていた「漢に代わる者は当塗高」の見解を示した蜀の学者達

2017年9月14日


 

 

預言書『春秋讖(しゅんじゅうしき)』に書かれていた予言を信じて、

はちみつおじさん袁術(えんじゅつ)は皇帝の位に就任します。

彼が信じた予言は「漢に代わる者は当塗高(とうとこう)」と言う一節です。

袁術はこの当塗高の言葉に着目。

塗の漢字は「道」と言う意味が含まれており、

袁術の術と字である公路の路の漢字も道に通じていることから

「俺が漢王朝に変わって皇帝になるべしと予言している」と考えて皇帝になります。

しかし袁術が皇帝になるとすぐに曹操や孫策などの勢力から攻撃を受けてしまい、

彼の勢力は滅亡してしまいます。

この結果、袁術が漢王朝に取って代わる人物ではなかったことが証明されてしまいます。

では一体この予言書の一文は誰を指していたのでしょうか。

蜀の学者達がこの一文を研究していたようなのでご紹介します。

 

関連記事:これは意外!最初は漢王朝を庇っていた袁術

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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蜀の学者周舒の見解

 

蜀の学者に預言書を勉強して極めた人物がおりました。

その人物の名を周舒(しゅうじょ)と言います。

彼は蜀から幾度も招かれて官位に着くように説得されますが、

官位に就くことなく在野の学者として活躍しておりました。

そんな周舒の元にある人物から質問されます。

周舒に寄せられた質問は「春秋讖に漢に代わる者は当塗高(とうとこう)と

言う一文がありますが、この当塗高はいったい誰を指しているのでしょうか。」と

言う内容でした。

彼はこの質問に「当塗高が指しているのは魏である」と答えます。

では何を持ってこの当塗高=魏となされているのでしょうか。

周舒はこの点を説明しなかったのですが、

蜀のある学者が当塗高=魏の理由を説明しているのでご紹介したいと思います。

 

蜀の学者杜瓊 の見解

 

周舒は春秋讖に予言している「漢に代わる者は当塗高(とうとこう)」の一文は

魏であるとの見解を示しておりました。

しかし彼はなぜ当塗高が魏なのかを説明しませんでしたが、

当塗高が魏であることを説明している学者いましたのでご紹介します。

その人物も蜀の学者で杜瓊(とけい)と言います。

彼は蜀の政権に参加し、

蒋琬(しょうえん)費禕(ひい)は彼の能力を高く買っていたそうです。

蒋琬や費禕から高く評価されていた杜瓊は当塗高=魏であることの

理由をどのように述べているのでしょうか。

蜀の学者であり陳寿(ちんじゅ)の師匠である譙周(しょうしゅう)は杜瓊に

「昔周舒殿が当塗高=魏であるとの見解を示しておりました。

なぜ当塗高=魏なのでしょうか」と質問。

すると杜瓊は彼へ「魏とは宮城の門の名前で、

塗(みち)に当たって高くそびえているのだ。

この 春秋讖を記した作者は推察できそうな物を使って説明しているのである」と説明。

譙周は杜瓊へ「そうなのですか。だからこの預言書を読み違えた

はちみつおじさん・袁術は皇帝に即位してもすぐに滅ぼされてしまったのですね。」と述べます。

すると杜瓊も「そういう事だ。袁術の周りにはしっかりと

当塗高を理解できる人物がいなかったということだね」と述べたそうです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

春秋讖に記載されていた当塗高の意味がお分かりいただけたと思います。

袁術の幕僚達には学者いたのかもしれませんが、

この当塗高の意味をしっかりと解読できるような人材が居なかった為、

袁術の皇帝即位を止めることができなかったのではないのでしょうか。

もし周舒や杜瓊のような蜀の学者が居れば、袁術は皇帝に即位しなかったかもしれません。

(袁術の野望が後漢王朝に代わって皇帝になることであったので、

彼らのような学者の意見があったとしても皇帝即位を思いとどまったかはわかりませんが・・・・)

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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