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三国志の武将も勉強嫌いだったけど勉強したら進化を遂げた蒋欽と呂蒙に迫る!!

2017年9月21日


 

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皆さんは「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」という言葉を知っておりますか。

この言葉は三国志の孫呉の君主・孫権が全然勉強しない呂蒙(りょもう)

「君も孫呉の重役なんだから勉強して教養を身につけなさい」と注意。

呂蒙は孫権に注意を受けて猛勉強。

呂蒙は猛勉強した結果・・・・頭のいい魯粛(ろしゅく)と議論を行い、

何度か魯粛を打ち負かすほどの教養と知識を身につけていたのです。

この事から「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」は馬鹿なもうちゃんという意味だそうです。

ですが「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」の語尾に「~あらず」を付ける事によって否定語になり、

人を褒めることに使うこともできる言葉になります。

さて今回は「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」に関する記事ですが呂蒙を紹介するのではなく、

呂蒙と一緒に孫権に怒られた人物をご紹介したいと思います。

その人の名を蒋欽(しょうきん)といいます。

 

関連記事:【孫呉決定版】周瑜・陸遜それとも呂蒙!?正史三国志・呉書で一番軍略に優れていた人物とは?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫権(そんけん)に呼ばれる

 

蒋欽はある討伐が終わって帰ってくると孫権から使者がやってきます。

孫権からやってきた使者は蒋欽へ「殿が呼んでいるのですぐに来てくれますか。」と

言われます。

蒋欽は孫権から呼ばれていた呂蒙と一緒に孫権の元へ向かいます。

そして孫権が待っている場所に到着した二人は孫権から怒られることになるのです。

どうして二人は孫権から怒られることになるのでしょうか。

 

「武略を磨くだけではダメだ」by孫権

 

蒋欽と呂蒙は孫権に呼ばれると「とりあえずそこに座れ」と命じられ大人しく座る二人。

孫権は二人が座ると「君達は要職の位に付いて政務や軍務を処理しているが、

勉学をして知識を深め教養を得ることも必要だ。武略だけを磨くだけではダメだ」と

怒られてしまいます。

すると呂蒙は「殿は勉学をしろと言いますが、

俺ら忙しくて勉学に割いている時間なんてないんですよ。」と反論。

蒋欽も呂蒙の言い分を聞いて頷きます。

すると孫権は「俺は忙しくても一生懸命書物を読みあさって知識を深めたぞ。

今でも俺は勉学をおろそかにせず仕事の合間を見て勉強している。

俺は君達に勉強を一生懸命やって博士になれとは言っていない。

ただ知識を深めることによって得られる物があるからやってほしいと言っているだけなんだ。

光武帝は政治・軍事の合間に勉強をして知識を深め、

曹操も仕事の合間や飯を食いながら勉強しているそうだ。

君達よりも忙しい人達が一生懸命勉強しているのに、

君達はそのまま無学を貫き通すのか。」と蒋欽と呂蒙へ学問を行うように進めます。

蒋欽と呂蒙は孫権の説得を受けて勉学を行う決意をします。

 

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猛勉強した結果・・・・呂蒙は魯粛を打ち負かすほどの知識を深めた

 

呂蒙は孫権に説得されたことで勉学に打ち込んでいきます。

呂蒙は勉学を始めた当初つまんなかったそうですが、

だんだんと勉強をすることが楽しくなっていき、

仕事の合間やご飯を食べている間の時間などスキマ時間を見つけて勉学に勤しみます。

ある日魯粛は呂蒙が駐屯している陣営の近くを通ったことから、

呂蒙へ挨拶をするために寄ることに。

呂蒙は挨拶にやってきた魯粛とたわいない話をした後、

現在の国内の状況や荊州(けいしゅう)に対する問題、

曹魏に対してどのようにアプローチするべきかの議論を行います。

魯粛は以前の呂蒙であれば簡単に打ち負かすことができましたが、

学問を積んだ呂蒙に議論で打ち勝つことができないばかりか、

度々打ち負かされて黙ってしまうほどでした。

魯粛は呂蒙が学問を積んで知識と教養を積んだことを大いにほめたたえたそうです。

呂蒙は魯粛と互角に議論を行うほどの成長を遂げましたが、

呂蒙と一緒に孫権へ学問をするように言われた蒋欽はどうなったのでしょうか。

 

猛勉強した結果・・・・蒋欽は孫呉軍を率いる総大将へ

 

蒋欽は孫権に怒られた後呂蒙と別れ家に帰ってから書物を買って、

猛勉強することにします。

蒋欽も呂蒙といっしょで勉学を初めは「クソつまんね~。」と放り出そうとしていましたが、

孫権に言われたことを思い出して苦痛でしたが我慢して勉学を継続して行っていきます。

継続していくこと数ヶ月・・・・。

蒋欽は勉学にすっかりはまってしまい、

呂蒙と一緒で仕事の合間の時間を勉強時間へ費やしたり、

ご飯を食べながら書物を読んで勉学に励んでいくのでした。

その結果・・・・蒋欽は非常に優秀な軍人となり教養を修めた人物へと

変貌することになります。

蒋欽が優秀な軍人へと進化した一例があるのでご紹介しましょう。

曹操は大軍を率いて孫呉の重要拠点・濡須(じゅす)を攻略するために進軍を開始。

孫権は曹操が大軍を率いて重要拠点・濡須へ攻撃を仕掛ける事を知ると

猛勉強をして知識と教養を修めた蒋欽と呂蒙を総指揮官へ任命して、

曹操軍の迎撃を命じます。

蒋欽と呂蒙は曹操軍を迎撃するために堡塁を建築して防衛体制を整えます。

そして蒋欽と呂蒙は曹操軍がやってくると堡塁の内から弩を連射して曹操軍を迎撃。

蒋欽と呂蒙軍の猛射撃を受けた曹操軍は被害が拡大するばかりで、

濡須に建築されてた堡塁を陥落させることができなかったため、

撤退していくのでした。

蒋欽は知識を蓄える勉学を行いながら、兵法書も読んで古の兵法をしっかりと修めており、

自ら蓄えた知識を曹操軍との戦いで発揮したといえるでしょう。

 

教養面での成長も遂げた蒋欽

 

蒋欽は勉学で軍略面を鍛えたわけではなく教養面においても成長を遂げております。

蒋欽の成長を表すエピソードがあるのでご紹介しましょう。

蒋欽は勉学を修め功績を重ねて行ったことから、

昇進して豪勢な暮らしが出来る程の出世を果たすのでした。

しかし蒋欽は豪勢な暮らしをすることをしませんでした。

また自らの奥さんや母親、側室達にも豪勢な服を着ることを禁止したり、

きらびやかな装飾品を付ける事をやめさせます。

こうして蒋欽は奥さんや母親などに質素な暮らしを強いて、

自らも豪勢な暮らしを禁止するのでした。

そんなある日孫権は蒋欽の家を訪問。

孫権は蒋欽自身や奥さん、母親、側室までも質素な着物を着て、

暮らしている様子を見て感動。

孫権は政務室に帰ると宮中の物品管理をしている役人を呼んで

「蒋欽の家に綺麗な着物や装飾品を届けるように」と命令。

蒋欽は孫権から綺麗なきものや装飾品が届くと大いに感動し、

今まで以上に忠誠を尽くしたそうです。

蒋欽は上記から分かるように勉学を行ったことによって教養面においても、

成長を遂げることができたのです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

勉強は三国志の時代も現代も非常につまんないものです。

レンも高校生の時には授業を受けないでばっくれて帰ったり、

学校に行かないことすらありました。

しかしよく考えると歴史の勉強だけはしっかりとするべきであったと思います。

そのため今非常に猛勉強して三国志の記事や日本史の記事、

春秋戦国時代の記事を書く事になるハメに・・・・。

そのため黒田レンが読者の方々に言えることは、

若いうちに面倒でだるくて難しい勉学ですがした方がいいと言うことです。

孫権も言っているように博士になる位勉学を詰め込むのではなく、

今より知識を少し深める程度でいいのです。

これくらいなら猛勉強をしなくても一日30分程度勉学することができれば、

修めることが出来るのではないのでしょうか。

今回は勉学の大切さを隠れテーマにした蒋欽と呂蒙のお話をご紹介しました。

 

参考文献 ちくま学芸文庫 正史三国志・呉書 小南一郎訳など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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