常林(じょうりん)とはどんな人?あの司馬仲達が頭を下げて接した政治家

2017年10月7日


 

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司馬仲達(しばちゅたつ)。

曹操の晩年に仕え曹丕の側近として活躍していきます。

仲達は曹叡(そうえい)の時代になると

蜀の諸葛孔明の北伐迎撃軍の総司令官として任命され、

魏国の軍事面のトップとして頭角を現すことになります。

 

 

その後、曹爽(そうそう)との政争に勝利を収めると

司馬家の権力の基礎を作ることになるの人物です。

そんな彼ですが、頭を下げて接していた人物がいたのをご存知でしょうか。

今回は仲達が頭を下げて礼を尽くした人物についてご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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貧乏だけど学問好きであった

 

司馬仲達が後年頭を下げて礼を尽くして接した人物の名を常林(じょうりん)と言います。

彼は若い頃家が貧乏でしたが、

しっかりと働いて生活し他人からの施しを受けない人物であったそうです。

そんな彼の唯一好きなことでやめられなかった事は学問です。

彼は貧乏でしたが、一生懸命学問に励み後漢王朝が設立した太学に入学。

ここで経典を身につけると帰郷して農業を生業として官職に就きませんでした。

そんな彼ですが曹操が任命した幷州刺史(へいしゅうしし)である梁習(りょうしゅう)の

推挙を受けて曹操に仕えることになります。

彼は曹操から南和県の県長に任命されるとこの地の統治で功績を挙げ、

太守の位に昇進し、ここでもしっかりと功績を残します。

すると幽州(ゆうしゅう)の刺史に昇進することになり、業績を上げていくことになります。

 



曹丕へアドバイス

 

曹操が漢中の張魯を征伐するために鄴(ぎょう)を留守にします。

曹操が鄴を留守にしている間、

曹操の後継者として注目を浴びていた曹丕がこの地を統治することになります。

曹丕が鄴の留守を守っている最中、大事件が勃発することになるのです。

それの大事件とは河北で反乱が発生。

曹丕は自ら軍勢を率いて出陣して反乱軍を討伐しに行こうとします。

すると常林は曹丕へ「昔、私は幽州の刺史を任されたことがあり、

北方の知識が多少あります。

北方の民衆は現在安定した生活を手に入れており騒乱を望んでいないのが実情で、

反乱を起こした奴らが害をなすことはできないでしょう。

また現在魏の強敵は外国に有り、曹丕様は魏国の抑えとして注目されております。

その将軍が大した害をなすことのない反乱軍討伐に遠征して勝っても

自らの武威を示すことにはならないので、やめたほうがいいと思います。」と述べます。

曹丕は常林のアドバイスを受けて反乱軍討伐を将軍に任せることにします。

曹丕の命令を受けた将軍は見事に反乱討伐を行い勝利を収めて帰還することになります。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

 

曹叡の時代に魏の重鎮へ

 

曹丕が皇帝の位に就任すると侯の位を与えられ、

九卿の一つである大司農(だいしのう)に就任することになります。

曹叡の時代になると九卿のトップクラスである光禄勲(こうろくくん)の位が与えられ、

魏国の重鎮として活躍することになります。

 

頭を下げてきた後輩

 

常林は後輩でありながら自分よりも高位にいる司馬仲達が礼を尽くして、

頭を下げて接してきておりました。

常林は仲達が頭を下げてきていることに別に特別な感情を抱くことなく、

いつも通り接しているとある人から注意を受けてしまうのです。

 

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「若者達の手本となっているのだ」by常林

 

司馬仲達が高位の人物であるのに官位の低い常林に頭を下げている姿を見て、

「司馬公は官位が高い人物であるのはご存知でしょう。

あなたに頭を下げるような事をさせないほうがいいのではないのでしょうか」と

常林に注意を促します。

すると彼は注意してきた人物へ「仲達殿は自分から長幼の礼を示して、

若者達の手本となっているのだ。

俺は高いくらいに就いている人物を恐れはしないし、

仲達殿が頭を下げていることにどうこう言う筋合いもないであろう」と反論。

注意した人物は彼の言論に筋が通っていたので反論することができず、

去っていったそうです。

その後司馬仲達は変わることなく常林に礼を尽くして接していくことになるのです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

レンの司馬仲達のイメージは策謀に長け根暗であくどい人物と言うイメージです。

そのため礼を尽くしている司馬仲達を発見した驚きがありました。

司馬仲達が頭を下げて礼を尽くさねばならないほど常林が優秀であったのか、

それとも単純に先輩であったから頭を下げて礼を尽くしたのか。

一体どちらが仲達の行動原理だったのか。

真相は闇の中ですが、レンが考えるに仲達は常林が優秀な人物であり、

故郷の先輩であったから頭を下げたのではないのかなと考えます。

皆さんは仲達が礼を尽くした行動原理は一体どっちだと思いますか。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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