【衝撃の事実】三国志でよく使われていた弩が日本で流行らなかったのは日本人がガラパゴス脳だったから


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敵に接近しなくても攻撃できる遠距離武器の有用性は

有史以前の原始時代から知られるところであり、

狩猟の時代から現代の戦争に至るまで、形を替えつつ用いられています。

 

最初は手で掴んで石を投げる投石から始まり、

やがてスリングや弓といった、弦の力で弾(矢)を飛ばすものへと進化。

そこから更に、機械式で強力な矢を打ち出す「弩(ど)」に発展、

西洋でも同じような武器として、「クロスボウ」が使用されています。

 

 

ところが。

日本ではなぜかこの「弩」、全然発達することなく終わっています。

中国のみならず、世界的なスタンダードとも言える「弩」が、

中国文化の影響を強く受けているハズの日本では殆ど用いられなかった。

 

これって不思議だと思いませんか?

 

「弓」と「弩」の関係について紐解いていくと、

現代ニッポン人にとって馴染み深い、あのデバイスとの

奇妙な関係性が見えてきました。

 

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そもそも、「弩」ってどんな武器?

 

「弩」は「ど」、もしくは「おおゆみ」と読みます。

慣用的には「いしゆみ」の読みを当てることが多いですが、

これは、城壁の上から石を落として攻撃する「石弓」と呼ばれる

兵器と混同されたことによる読み間違いとされています。

 

「弩」は弓を横倒しにした形で台座に取り付け、矢を打ち出す武器です。

手で扱う弓よりも強力なものを作ることが可能で、威力と命中精度で

弓に優るとされています。

 

また、弓が使い手の個人的技量によって大きく性能が変化しますが、

弩は機械式なので誰が扱っても威力が変化しないのも特徴です。

 

単純な構造の弓と違い、大きさと重量がある弩は馬上で用いるには適さず

そのため、主に歩兵がその運用に当たりました。

 

また、弓に比べて構造が複雑で高価であること、メンテナンスに手間が

かかるという欠点もあります。

 

個人で所有・管理することが難しいため、

弩は主に政府が管理・運用する兵器でもあったのです。


弩の発明者は諸葛孔明だったの?

 

中国における「弩」の歴史は古く、「蚩尤(しゆう)」という

神話時代の神様や、最初の王とされる「黄帝(こうてい)」が

発明したという伝承も残されているほどですが、実際のところは、

いつ、誰が発明したのか、詳細な記録は残されていません。

 

孫武(そんぶ)の兵法書『孫子』には、

弩の運用に関する記述があり、

孫武が活動した春秋戦国時代にはすでに存在していたことが確認できます。

 

時には諸葛孔明が弩の発明者であったと語られる場合もありますが、

これは間違いです。

 

矢を自動装填できる「連弩(れんど)」の発明者が孔明であった、

という説もありますが、紀元前4世紀のものとされる連弩が

発掘された事例もあるので、この説も間違いです。

 

孔明が行ったのは連弩の改良に過ぎませんでしたが、

このことから弩を「諸葛弩(しょかつど)」と呼ぶようになったのです。

 

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弥生時代には日本にも弩が伝来していた。しかし……。

 

島根県の弥生時代の遺跡から「弩」の銃身部分が出土した記録があります。

このことから、弥生時代にはすでに弩が日本に伝来していたと考えられます。

 

後に、国家による法制度である「律令制」が成立すると、

その軍律において弩の運用法が定められました。

平安時代には、当時国家機密であった弩の製造法を

朝鮮半島の国、新羅に漏洩しようとして未然に阻止された

事件があったことも記録に残っています。

 

平安時代までは

政府が製造管理を行う兵器であった弩ですが、

後の鎌倉時代以降、戦に用いられることが

なくなってしまうのです。

 

それには、日本特有の事情が大きく影響していました。

 

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軍隊のありようの変化が弩衰退の原因となった?

 

国家の定める法(律令)に従って制定された軍隊によって

運用されていた弩ですが、

 

鎌倉時代以降の時代、

武士の誕生によって軍事行動が数十人単位の小集団中心で

行われるようになると、重くて構造が複雑な弩は

運用しづらいものとなり、変わって軽量で構造も単純な

弓が主に使われるようになったのです。

 

そして、もうひとつの大きな要因として、

鎌倉時代以降の合戦が騎馬兵中心となったこともあります。

 

前述の通り、弩は騎乗で使うには不向きな兵器であったため

必然的に騎馬兵は弓を選択することになったのです。

 

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弓道とガラケーの意外な共通性?

 

弓は使用者の技量によって、性能に大きな差の出る武器です。

そこで、日本の武士たちは弓を武芸として嗜み、

その技量を磨くための「弓道」が発達していったのです。

 

中国やヨーロッパでは弩やクロスボウが用いられたことに対し

日本では特有の条件の元、国際的なスタンダードである

弩が発達せず、独自の技術(技能)による弓道が発達したわけです。

 

これって、現代における「携帯電話」。

いわゆる「ガラパゴスケータイ(ガラケー)」の話に、

とても良く似ていると思いませんか?

 

島国である日本国内で、その特有の条件によって

海外のスタンダードとは違う独自性の強い商品が発達することを、

生物が独自進化を遂げたことで知られる「ガラパゴス諸島」に

なぞらえ「ガラパゴス現象」といいますが、

 

まさかそんな昔に、

しかも合戦に用いられた武器である「弓」が

まさに「ガラパゴス現象」によって発達したというのは

日本人の気質を考える上で、非常に興味深いと言えるでしょう。

 

三国志の弩が日本で流行らなかった理由のまとめ

 

後に戦国時代になると、

ヨーロッパからクロスボウが伝来しますが、

ほぼ同時期に伝来した火縄銃の方が広く用いられることになり、

結局、クロスボウはあまり広まることはありませんでした。

 

ガラパゴス現象というものをどう捉えるかは

いろいろな考え方があると思いますが、

日本人の気質が鎌倉時代の古くから

大きくかわっていないと思うと、

ちょっとおもしろいですよね。

 

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コメント

  • コメント (7)

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    • 匿名
    • 2020年 8月 25日

    不整地、山林の多かった戦国時代日本ではクロスボウは不向きだったというだけのこと
    武装も携行性重視が多くて手持ち盾も発達せず鎧と一体化してたしな
    広大な大陸型の地形をだけがグローバルスタンダードと思い込む西洋かぶれっぷりのほうがよほど見識が狭いと思うが

    • 匿名
    • 2020年 6月 04日

    日本に騎馬兵中心の戦いが成立するほど大量の騎馬兵が存在したのだろうか?

    • 匿名
    • 2020年 4月 23日

    この記事そのものがガラパゴスで草
    律令体制壊れたからですむ話定期

    • 匿名
    • 2020年 4月 03日

    武士の台頭とはあまり関係がないのではないでしょうか。
    弩系は軍規模で戦う為の武器なので、平安中期以降新羅や唐の脅威が無くなり、東国~東北にかけての蝦夷勢力を概ね制圧し終えた結果、大規模な戦がなくなったから廃れたのだと考えられます。
    平安中期までというと所謂源平藤の武家貴族らが台頭する前の、坂上や小野などの一族が武家貴族の中心であった時代の話ですね。で、その後代表的な武家貴族らが文人貴族に転身し武家貴族そのものが消滅します。

    そして新しい武家貴族として賜姓源平や秀郷流藤原らが台頭してきた頃からは、概ね平和だったので数十~多くて数百の小規模な戦の時代が延々続くので、大規模戦用の武装である弩が必要なかったという。
    そもそも武士の時代の戦というと、戦国後半まで延々と一族郎党と下働きの領民でわちゃわちゃやってた時代が延々続くので、大規模に兵器を運用すること自体できてないんですけどね・・・。
    そもそも弩の製造技術は中央政府が握ってたので地方で勝手に作れるはずもありませんから流行るはずも・・・。

      • 匿名
      • 2020年 7月 15日

      弩(連弩を除く)の欠点は速射が出来ないこと。イングランドの黒太子エドワード(中二病みたいですけど実在します)は長弓を中心に編成して戦果を挙げた記録があります。実際は弩と弓の混成だろうが、この辺りは戦国時代の鉄砲隊の編成と似ていると思います。

    • 匿名
    • 2020年 3月 25日

    日本の武士における一番の手柄は「首を取る」事なわけで。
    それを考えると首をとれない弩が流行らなかったのは推測できる気がしますね。

    弓射がメインだった源平鎌倉期にしても、弓と違ってテクニックのいらない弩は敬遠されるってのはあり得る話。
    西洋でも騎士はクロスボウ使わなかった筈です。使うのは下っ端。

    そして、日本でそういう「下っ端」が幅を利かせるようになる時代にはもう長弓が十分すぎるほど発達してて、弩が今更入り込む余地は無かったのかなあと。
    それに組織だった戦がどれだけ行えていたかは不透明ですしね。
    そういう戦ができるようになった頃には鉄砲という弩の上位互換が広まってしまっていますし……

    • 柄葉呉素
    • 2020年 1月 26日

    的を得た歴史感ですね。今の日本にもガラパゴス的思考は続いていますね。今後も中国を馬鹿にすること無く参考にした方がよいで。すよ




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