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女王・卑弥呼はどこから来たの?邪馬台国のミステリーに迫る!

この記事の所要時間: 444




 

久しぶりの投稿です。

お待たせしてしまいました。

今回は、邪馬台国(やまたいこく)女王の卑弥呼(ひみこ)の出自についてのお話をします。

今回もまた、前回に続き、保坂俊三氏の著作を参考に取り上げます。

 

 

それによると、卑弥呼が狗邪国(くやこく)、つまり朝鮮半島からやって来たというのです!

狗邪国とは、朝鮮半島南部にあった「狗邪韓国(くやかんこく)」のことです。

又、それは「弁韓(べんかん)」とも呼ばれていました。

[あるいは弁辰(べんしん)とも。]

さらに、その国は後に「任那加羅(みまなから)」と呼ばれるようになります。

「任那加羅(みまなから)」は倭国が統治した国とも伝わっています。

 

しかも、何と!卑弥呼はその王族出身だというのです。

狗邪韓国[弁韓]は「辰」(しん)王家が治めていたので、

卑弥呼は辰王家の人間だったということになるのでしょう。

それでは、その根拠について、これから探っていきたいと思います。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:鬼道の使い手である卑弥呼の女王即位と三国志の関係性




理由1: 「鬼道」の起源 大陸より来たる!

 

まず、一つ目の理由です。

卑弥呼が仕えていたとされる「鬼道」は「北方シャーマニズム」に属するものだそうです。

そして、それは、当時、朝鮮半島で広く信奉されていたらしいのです。

中でも、朝鮮半島の南部にあったいくつかの国では、国教のような存在で、

庶民だけでなく、権力側にも深く浸透していたそうです。

それらの国では「辰」王家という王族が治めていたそうです。

それらは「辰韓」、「弁韓」と呼ばれています。

中でも半島南端部にあった「弁韓」では、以前から倭国からの民族も多く住んでいたそうです。

そのため、卑弥呼が半島国家出身であったことは十分に考えられることです。




理由2: 日本の鍵穴型古墳の原型は朝鮮半島にあった?! 謎を解く鍵は?

 

次に、根拠として注目するのは古墳です。

卑弥呼の時代は弥生時代と言われていて、まだ古墳時代に入る前ですから、

数は少ないですが、卑弥呼の時代の物と思われる

大規模な「前方後円墳」(日本で多く造られた鍵穴の形をしたタイプの古墳)

の古墳が日本列島の各地で発見されています。

近畿地方を中心に、北海道近辺や沖縄近辺などの一部を除き、

日本列島のほぼ全域にその形の古墳が見られます。

そして、驚くべきは、何と、この形の古墳の起源は朝鮮半島でも発見されているのです。

特に、朝鮮半島南部に、この形の古墳は数多く見られるようです。

 

これが意味するのは、王族レベルの人間たちが、

朝鮮半島と日本列島とを行き来していたということではないでしょうか?

 

さらには、朝鮮半島南部と日本列島の地域は、

血縁の近い王族同士が支配する地域であった可能性もあります。

つまり、政治的に結びつきが深かったということですから、同一国家だった可能性も出てきます。

 

関連記事:松本清張も注目!邪馬台国(やまたいこく)はどこにあったの?

関連記事:衝撃の事実!卑弥呼はアイドル活動をしていた?通説・卑弥呼伝

 

理由3: 鉄は金なり 鉄の道[アイアンロード]?

 

三つ目の根拠としては、これは古墳にもつながりますが、

古墳を築き上げるにも必要な斧などに使われた「鉄」の流れです。

 

前回の記事でもお話したことですが、

卑弥呼の倭国経済復興策の功績として、鉄製農具の普及がありました。

その同種の鉄製農具が、南部朝鮮地域と日本列島各地(九州、四国〜近畿、関東)

に至るまで発見されています。

それは「板状鉄斧」と呼ばれる種類の鉄製農具で、3世紀後半のものでした。

卑弥呼の時代にも重なります。

卑弥呼の時代は、まだ日本列島には製鉄の技術はなかったのです。

全て輸入品でした。(日本国内での製鉄は早く見ても6世紀後半〜とされています。)

その鉄製具の輸入に卑弥呼が一役買ったということなのですが、

これらの偉業ができたのは、卑弥呼が朝鮮南部の王族出身だったとも考えられないでしょうか?

朝鮮半島の国家政府の人間とのパイプ役がいなければ、

大規模な鉄輸入は実現できなかったでしょう。

そのパイプ役になれるのは、やはり、政治中枢の権力者たちとの縁の強さではないでしょうか。

卑弥呼が朝鮮半島の国家の支配層の王族たちと深く結ばれていたと考えても不思議ではありません。

 

関連記事:倭国 「魏志倭人伝」 から読み取る当時の日本、邪馬台国と卑弥呼を分かりやすく解説

関連記事:邪馬台国ってどんな国だったの?まさに神っていた邪馬台国

 

エピローグ: 幻の倭韓連合王国!「想像史」

 

以上の三つの理由から、卑弥呼が朝鮮半島南部の国の王族出身だった可能性があるのですが、

そこから想定される物語を最後にお話したいと思います。

 

☆☆☆☆

 

朝鮮半島と倭国との結びつきは、卑弥呼の時代から強かったのです。

むしろ、朝鮮半島の一部と倭国の一部が共同国家を築いていたと言ってよいでしょう。

 

東アジアでは、この時代より少し前には、

漢王朝で統一されていた中国大陸とその影響下にあった周辺地域が、

漢王朝による支配という縦の構造ながらも戦乱は目立たず比較的安定していた情勢でした。

それは中国の前漢王朝と後漢王朝の時代両方を含め、

紀元前3世紀末〜紀元後2世紀末にかけて約400年続いていたのです。

しかし、2世紀末、中国大陸では「黄巾の乱」が勃発し、

群雄割拠の地方独立の時代へ入りました。

朝鮮半島も倭国列島もしかりでした。

朝鮮半島北部では「高句麗」(こうくり)が勢力を徐々に伸ばしていました。

さらに、遼東半島から朝鮮半島北部では、

漢王朝の臣下だった「公孫氏」(こうそんし)が分離独立し、その勢力を拡大していきました。

朝鮮半島南部には、「韓」(かん)と呼ばれる国が複数競い合っていました。

その内、最も南端に位置していた「弁韓」(べんかん)の

「辰王家」(しんおうけ)は、他の韓の国々との争いを優位に進め、

北方の高句麗や公孫氏からの脅威を打ち払うため、倭の国々と結びつきを画策したのです。

当時、倭国列島内でも、群雄割拠しておりましたが、

古くから弁韓国内と倭国の北九州地域とは、人の行き来が活発でした。

倭国内でも戦乱を治める統一権力を求めている人々が多くいたようです。

そこで、弁韓と北九州が結びつく流れになりました。

 

弁韓から辰王家の人間で、

しかも鬼道の使い手で人望も高かった卑弥呼が新王国の代表にと選ばれました。

長(おさ)に韓の王家の人間を迎える代わりに、新王国の首都は北九州に設置されることになりました。

 

邪馬台国と女王・卑弥呼の誕生です。

 

一方、中国大陸は三国時代に入り、一つ頭が飛び抜けた「魏王朝」の勢力が拡大していました。

朝鮮南部の国々にとって大きな脅威だった公孫氏は魏によって滅ぼされます。

だが、その近くには高句麗が存在し、今度はその脅威が増しました。

さらに、倭国列島内に卑弥呼の王国に反する勢力もいくつかありました。

韓の王家の血を引くため、卑弥呼を敵視する者も多くいたかもしれません。

 

そこで、卑弥呼は、大陸で大勢力となっていた「魏」の力を盾に、

倭国列島と朝鮮南部の連合王国としての安定した地位を確保しようと考えます。

 

また、このとき邪馬台国は、大和地域まで広がり、元々、

北九州地域にあった都の卑弥呼の宮殿は、大和地域に遷都した可能性が高いのです。

大和地域に、卑弥呼の時代と同時期と

想定される箸墓古墳や巨大な宮殿跡が発見されていることが大きな根拠です。

鬼道の影響力で人心を掴んでいった卑弥呼の王国は、

付き従う者たちが増えていくと同時に、都に相応しい広い平野を求めるに至りました。

そこで、大和地域の平野が選ばれたのです。

そうやって、卑弥呼の王国は巨大化していき、都の宮殿に魏の使節団を迎えるまでになりました。

しかし、周辺の「狗奴国」(くなこく)を含めて卑弥呼に敵対する勢力との関係は悪化します。

とうとう戦乱が始まり、その中で、卑弥呼は老齢でもあったため、亡くなってしまいます。

 

卑弥呼死後、後継者争いがありましたが、再び女王が立てられ、台与(トヨ)が即位します。

その頃、大陸では魏の後継として「晋」(しん)が中国大陸全土を支配していました。

それと結びつき、再度攻勢に出ようとしました。

 

しかし、それも長続きはしませんでした。後ろ盾の晋は、

政権内部の権力争いが収まらず、数十年内に弱体化し、頼れる存在ではなくなりました。

 

さらには、朝鮮半島でも強豪国の高句麗の勢力拡大や新羅や百済の登場によって、

弁韓・倭国連合の勢力はそれらとの争いに巻き込まれていくのです。

朝鮮半島と倭国も巻き込む「四国時代」とも言うべき時代に入るのです。

 

(了)

 

〈参考文献〉

 

 

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関連記事:曹真が余計な事をするから邪馬台国の場所が特定出来なくなった?

関連記事:邪馬台国が魏と外交出来たのは司馬懿のおかげ?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—




コーノ・ヒロ

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歴史好きのライターです。
福祉関係の仕事をしつつ、物書きの仕事も色々としています。

小説や詩なども、ときどき書いています。
よろしくお願いします。

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墨子、孫子、達磨、千利休、良寛、正岡子規、

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それと共に、多くの物語が生まれ、楽しませてくれます。

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