島津豊久と島津斉彬はどんな関係?豊久と斉彬の共通点も紹介

2018年2月21日


 

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戦国時代の島津家といえば、

歴史好きの間では関ヶ原における全体未聞の敵中正面突破退却という

恐ろしい戦い方は知られていました。

そして島津家が「戦闘民族」という感じで若い人たちにも

知れ渡ってきたのは平野耕太氏の人気漫画「ドリフターズ」

とそのアニメ作品の影響が大きいでしょう。

主人公の島津豊久(しまづ とよひさ)はバーサーカーか

狂戦士のような凄まじい戦いぶりと強さをするキャラでありながら、

人を惹きつける魅力を持ったキャラとして描かれています。

そして、NHKの大河ドラマ「西郷どん」では

島津斉彬を大物ハリウッドスター・渡辺謙が演じることで注目を集めています。

同じ島津の血脈を受けづくふたり、何か共通するものないでしょうか。

今回は、注目を集める島津家のふたりについて考察していきます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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漫画アニメで人気の島津豊久とは?

 

平野耕太氏の漫画「ドリフターズ」。

そして漫画を原作としたアニメで人気となった島津豊久ですが、

凄まじいサムライ、戦士として描かれています。

もはや狂戦士ですね。

幕末の志士であった近藤勇に「卑怯者」呼ばわりされる手段を選ばぬ戦い方は、

平和な時代を経て創られた虚飾の武士道引っぺがす、

本物の戦人(いくさびと)を描いたものではないかと思います。

島津豊久は、戦国の島津家の中でも戦上手といわれた家久の息子として生まれます。

非常に美少年であったと伝えられています。

島津豊久は、初陣でいきなり首を上げるという、まさに漫画・アニメの通りの「首よこせ!」です。

その後も島津家の九州制覇の戦いに身を投じ、

武功を上げていく「戦バカ」と漫画のキャラが己自身を語るかのような生き様を見せています。

父・家久が死ぬと佐土原城の城主となります。

そして、彼の名を高めたのが「ドリフターズ」の冒頭でもあった関ヶ原の戦いです。

島津藩は前方にいた毛利家の吉川軍が内通により傍観決めたことで、戦に参加できなかったのです。

そして、西軍が総崩れの中、気が付くと敵中に孤立していたわけです。

そのとき島津の総大将義弘は「敵中突破で、退却! 薩摩隼人の恐ろしさを見せろ」ということで、

無茶苦茶な敵中に突撃退却という全体未聞の戦いを見せます。

その中心となったのが島津豊久でした。

 



関ケ原での壮絶な戦死 捨てがまりの戦法とは

 

島津家にとっては、大将である義弘を逃がせば勝ちです。

戦いに勝利したことになるということです。

そして、そのために取った戦法が「捨てがまりの戦法」というものです。

退却するさいの最後尾を殿(しんがり)といいます。

普通の退却戦でも最も死ぬ確率が高く、

かつて織田信長の同盟者である家康と部下の秀吉が死の瀬戸際まで追い込まれたのも

浅井長政に裏切りにより生じた「金ヶ崎の戦い」であったわけです。

(史料によっては家康の参加に疑問を呈する説もあります)

この退却戦の殿(しんがり)をつとめたことで秀吉は大きく評価を上げます。

とにかく、殿をつとめるだけも死ぬのです。簡単に死します。死にまくります。

だから主君を逃がした上で、生きて帰れば、最高殊勲です。

信長の野望は、この退却戦の成功で潰えることはなかったのです。

しかし、島津家の戦法はそれを超えてきます。

最初から「死ね」、「絶対死」ですから。殿は生きて帰れません。

「捨てがまりの戦法」はそこに座り込み鉄砲構えて撃つところから開始です。

座禅陣ともよばれます。

殿に小部隊を残置。

そこで死ぬまで戦う。そしてその部隊が全滅したら、あらたな小部隊をまた切り離し残置。

そして死ぬまで戦う。この繰り返しです。

作戦もくそもない狂気じみた戦いです。

これによって、徳川軍の精鋭・赤備えの恐怖軍団、井伊家を食い止めます。

井伊直政も負傷して後退します。

このあたりは「ドリフターズ」に描かれていますね。

史実の島津豊久はこの戦いの中で、刀や槍を無数に突き立てられ殺されてしまうわけです。

しかし、結果として総大将であった島津義弘は島津領内へ帰還できました。

作戦目的は達成できたのです。

こんな相手に戦争をするなど、絶対に嫌でしょう。

島津家が毛利家と違い領土を全く削られなかった一因に、この狂気じみた戦い、

島津豊久の命を捨てた戦いがあったのではないかと言われています。

 

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島津豊久の墓にまつわる因縁

 

現在、島津豊久が戦死したといわれる岐阜県大垣市上石津町烏頭坂には石碑が立っています。

そして、同じ町内に、豊久の墓とであると言われる「島津塚」があります。

この墓の周囲には草木が全く生えなかったという逸話が残っています。

ただ、島津豊久はこの地で、重症ながらまだ息があり、

このままでは村人に匿ったのではないかという

疑いがかかるとして己の刀で自害したという逸話も残っています。

実際のところ、その最期を明確に示す史料はないのです。

死が完全に確認されていません。

ということで「ドリフターズ」のように重症のまま

異世界に行ってしまったというフィクションが成立するのでしょう。

また、宮崎県佐土原町、鹿児島県日置市にも島津豊久の墓と呼ばれるものがあります。

ここのお寺自体は既に亡くなりましたが、お墓は現在も残っています。

 

NHK大河でも有名 島津斉彬とは?

 

そして、島津家はまたしても、井伊家との因縁の対決を迎えるのですが、その時代は幕末です。

島津斉彬がその中心となります。

父・斉興とは仲が悪く、江戸暮らしが長く、薩摩弁はしゃべれなかったと伝わっています。

そして、祖祖父の影響で洋学にのめり込みながらも、世界情勢を見つめる目をもちようになります。

そして、欧米列強の手が東アジアに伸びていることをアヘン戦争で知ります。

藩主に就任したのは43歳です。その後は公武合体政策を進め、

篤姫を自分の義理の娘として、徳川家に送り込みます。

関ヶ原で血を流し徳川と対決した外様の薩摩藩が、江戸幕府の中枢にまで接近してきます。

しかし、そこで立ちはだかったのが、またしても井伊家です。因縁めいていますよね。

大老となった井伊直弼は、外様の島津が勢力を伸ばすことを警戒し、

公武合体政策を含む、雄藩連合政策を潰しにきました。

井伊家と島津家の対立の構図は幕末でも再現されました。

 

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志半ばでの急死 斉彬が残したのは?

 

しかし、直接井伊家と島津家が矛を交えることはありませんでした。

島津斉彬が、京に上がり軍事力を背景に朝廷に圧力をかけようとした矢先に、急死してしまうのです。

その死のタイミングから、暗殺説まであります。

中には弟久光が暗殺したのではないかという説があるくらいです。

ただ、通説ではコレラであったと伝えられています。

おそらくこれが正しいでしょう。

島津斉彬は志半ばで死んでしまうのですが、

彼の興した事業である集成館事業は数々の実績を残し、後の日本の近代化にまで貢献するのです。

大砲を作るための鉄製造のための反射炉を作り、

蒸気船を製造、更にガラス製品を名産品にします。

これは現代でも復活し、薩摩切子として有名となっています。

その死の後も、島津斉彬の示した近代化への道は、

彼が見出した人材である西郷隆盛、大久保利通の手によって切り開かれていきます。

 

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島津豊久と島津斉彬の共通点とは?

 

島津豊久と島津斉彬。時代を隔てた島津の血脈。

その「島ズ」の共通点とはなんでしょうか。

豊久は藩のために関ヶ原で命を捨てました。

その中央突破の戦いは徳川家を震撼させ、

島津に対し、強硬な戦後処理ができなかったと言われます。

もちろん遠隔地であったなど他の理由もあったでしょう。

しかし、もはや天下を手中にしたといっていい

家康が領地を削ることもできなかった島津家となったのは、

豊久を中心とした薩摩隼人の恐るべき戦い方にあったのでしょう。

そして、島津斉彬もまた、その生涯を自分ではなく国家に捧げます。

日本国近代化のために、数々の改革を実施し、

集成館事業は、多くの成果を残し、日本の近代化に貢献するのです。

 

 

そして、その島津斉彬の意志を継ぎ近代化した薩摩藩は、イギリスと戦います。

そして、敗れはしたものの、敵にしたときの「恐怖」をイギリス側に刻み込みます。

その戦いは無駄ではなかったのです。このあたりも、なにか共通点を感じます。

 

幕末ライター夜食の独り言

 

ふたりの「島ズ」――

島津豊久と島津斉彬には、どこか因縁を感じます。

井伊家が敵になったことや、その本人や、本人の意思を継いだ者たちの戦いぶりが、

敵を恐れさせ、その後に強硬な手段をとれなくさせたことなど、

似ている部分がいくつかあります。

そして、ふたりとも自分の命よりももっと大きな藩であり国家を

大事にして戦ったという点も共通するのではないかと思います。

アニメ「ドリフターズ」で人気と知名度を上げた島津豊久に続き、

NHK大河ドラマ「西郷どん」で渡辺謙が演じる島津斉彬が人気を集めるのではないでしょうか。

 

 

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