島津斉彬は薩摩藩藩主で幕末の藩政改革と近代化で有名で、幕末の歴史が好きな人ならほとんどの人が知っていると思います。今回は島津斉彬の裏の性格を紹介します。今回紹介する斉彬の裏の性格の中には、2018年の大河ドラマ『西郷どん』で取り上げられたものがありますが、ほとんどの裏の性格が大河ドラマでも紹介されないと思います。
最初に、斉彬が藩主になるために内部情報を幕府にリークしたことを取り上げます。次に、贋金を作るために薩摩藩内の寺を打ち壊したことを紹介します。贋金作りだけでなく、アヘン戦争後の太平天国の乱に注目し、中国に武器を売り込むことを画策していたことを取り上げます。
この記事の目次
藩主になるために内部情報を幕府にリークする裏斉彬
島津斉彬は父・島津斉興に嫌われていたため40歳過ぎても藩主になることができませんでした。斉彬は西洋の文化に大変関心が高く、父斉興の祖父に当たる重豪と重なる部分がありました。重豪は藩校造士館を建てて教育に力を入れましたが、西洋の骨董品を大量に収集したことで藩の財政が苦しくなりました。
藩の財政が苦しくなることを恐れたことが要因として挙げられます。斉彬は斉興に藩主をやめさせるために幕府に調所広郷の密貿易をリークします。この密貿易とは薩摩の属国だった琉球王国と薩摩との間で禁制の品物の中継貿易でした。このような密貿易が発覚すると改易処分となり、取り潰される可能性が高いのですが、老中阿部正弘と連携することで改易されることなく、藩主になることができました。
水戸学を利用し藩内の寺を打ち壊し財産を没収する裏斉彬
島津斉彬が藩主になった頃、水戸藩では水戸学が支持されていました。水戸学とは儒学思想と国学・神道を組み合わせた学問です。水戸藩の藩士だけでなく、吉田松陰など多くの思想家に影響を与え、幕末の尊王攘夷運動につながりました。
「島津斉彬は日蓮正宗に帰依していたの?」では、水戸藩の廃仏毀釈について、大砲を製造するという口実で、徳川斉昭は藤田東湖・会沢正志斎とともに寺院に釣鐘などを供出させたことを取り上げました。斉彬は薩摩藩主になると、水戸学を利用して薩摩藩の全寺院を取り潰しました。
取り潰した寺の中には薩摩藩の菩提寺も含まれています。全寺院を取り潰すことで釣鐘や仏具など金属を手に入れることができました。斉彬の廃仏毀釈の本当の狙いは何でしょうか。この狙いは次の節で取り上げます。
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藩を挙げての贋金作りで倒幕の軍資金を造る裏斉彬
「島津斉彬は日蓮正宗に帰依していたの?」では、仏教を排斥した本当の狙いは贋金造りであるとしました。贋金を鋳造する理由として、財政再建と倒幕のための資金作りとして鋳銭事業を計画しました。斉彬は事業直前に死亡しますが、鋳銭事業は続けられました。斉彬の死去後に薩英戦争の賠償金の支払いで多額の資金が必要になると、職工4000人を抱える大規模な事業になり、鋳造した金額が290万両になりました。
中国に武器売り込みを画策する裏斉彬
島津斉彬は情報収集に接心であったことでも有名です。斉彬は長崎・琉球ルートで情報を海外収集し、阿部正弘・徳川斉昭・松平春嶽・近衛忠煕など徳川慶喜を推した大名や朝廷に知らせていました。また、海外の情報を公開することで広く全国の藩の意見を求めるようにすれば、結束ができることも提案しました。
アヘン戦争で清国が負けた後、斉彬が中国兵乱の動きを知ると、中国へ武器を売るこむことを計画します。欧米列強の圧力に清国が屈したため、外交的求心力を失いました。清朝の弱体化に伴い、斉彬の武器を売り込む計画は中止になりました。
幕末ライター・オフィス樋口の独り言
今回は島津斉彬の教科書や大河ドラマでほとんど取り上げられない裏の顔を紹介しました。裏情報を幕府にリークする斉彬については、『西郷どん』でその場面が取り上げられていました。寺の財産を没収して贋金作りをしたことについては、大河ドラマなどでほとんど再現されたことがありませんが、インターネットで検索するとヒットするのでファンの間で知られているかもしれません。
斉彬が中国に武器を売り込んだ事実についてはほとんど知られていないので意外だったという印象を受けるかもしれません。これらの場面はこれまでの大河ドラマで取り上げられていないことから、今後2018年の大河ドラマ『西郷どん』で取り上げられるか注目したいと思います。
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