【空海KU-KAI】空海が修行した長安青龍寺によかミカンが行ってみた

2018年3月7日


 

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映画「空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎」の公開で大いに注目を浴びている、中国・西安(せいあん)

空海が渡った(とう)の時代には長安(ちょうあん)と呼ばれていました。

私ことよかミカン、西安に行ったことがありますので、空海が修行した「青龍寺(せいりゅうじ)」が

どんな場所だったかご紹介させて頂きます!

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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青龍寺はどういうお寺?

※イラストもイメージです

 

西安の青龍寺は、(ずい)開皇(かいこう)2年(西暦582年)、

霊感寺(れいかんじ)という名前で創建されました。

青龍寺と改称されたのは唐の景雲(けいうん)2年(711年)です。

唐の武徳(ぶとく)4年(621年)にいったん廃寺となり、翌年再建しましたが、

会昌(かいしょう)5年(845年)、会昌の廃仏(武宗(ぶそう)皇帝によって採られた

仏教弾圧政策)によって廃寺になりました。

 

唐末からの動乱ですっかり埋もれてしまっていましたが、1973年に塔の土台と殿堂が

発掘され、以後少しずつ建物が再建され、今ではピカピカの建造物が建ち並ぶ

大きなお寺になっています。

1986年には日本から桜の木1000株が贈られ、毎年花を咲かせているそうです。

 

空海は唐の貞元(ていげん)21年(805年)に青龍寺を訪れ、

恵果(けいか)和尚に弟子入りし、密教の教義を学びました。

日本に帰国後、空海は高野山(こうやさん)金剛峯寺(こんごうぶじ)を建立し、

真言宗(しんごんしゅう)を開きました。

 

現在ちょくちょく耳にする「四国お遍路(へんろ)」は空海の足跡をたどり

八十八ヶ所の霊場を巡拝することですが、四国の一番札所(ふだしょ)~八十八番札所の他に、

西安の青龍寺が「0番札所」となっているそうです。

所在地は、西安の城壁の外、3kmほどの地点です。

 



青龍寺に行った経緯

 

ここから先は私のろくでもない個人的な体験談ですが、現地の雰囲気を感じて頂くには

案外そういうのもいいかもしれません。

 

私は西安へは出張で行きました。仕事が終わって帰国便までに一日半の余裕が

あったので、一緒に出張に行った年配の男性社員の方と一日半タクシーを借り切って

観光するはずだったのですが、一日目の観光を終え翌日になると相棒が

「あのさあ、タクシー、キャンセルしてくれる?ぼくは中国の国産車の乗り心地がどうもね」

と言うので、二日目は私一人が初日に仲良くなった運ちゃんに乗っけてもらって

西安観光しました。

 

相棒はホテルでゆっくりして売店でお土産でも買って過ごすとのことで。それで満足なんですと。

そもそも、仕事で中国に来ただけで、西安にとりたてて思い入れもない方だったので。

初日に兵馬俑(へいばよう)を見たらもう満足されたようです。

 

で、私は運ちゃんにおすすめスポットを案内してくれるようお願いしたら、

「じゃあチンロンスーはどうですか?」と言われました。

「なにそれ?」

「え、知らないんですか? チンロンスーですよ。日本とたいへんゆかりの深い。

日本の偉いお坊さんのコンハイが修行をしたところです!」

「さあ、ぴんときませんなぁ…」

「じゃあアーペイチョンマーリーは?」

「あ、阿倍仲麻呂(アーペイチョンマーリー)? 知ってます、

日本から中国に留学して中国で官僚になったゴッツ賢い人!」

 

「そうそう、そのアーペイ先生の書いた詩が石に刻んであるものが

回廊に展示してありますから行きましょう!」

 

 

コンハイが空海のことであったというのは、帰国してから気付きました。

 

時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記

 

青龍寺の印象

 

 

広々として、なだらかなアップダウンのある敷地に、池があったり円盤状の石がしいてある

遊歩道があったりと、散策していて気持ちの良い場所でした。所々に建物があり、

回廊の壁に詩の刻んである石版が並んで貼られているような場所もありました。

いろんな有名な方の詩句があり、いくつかは阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)のものでした。

 

 

運ちゃん:「読めますか?」

「う~ん、漢字の意味は見てなんとなく分るんですが、詩の内容は分ったような分らないような。

運転手さんは読めますか?」

「あははは、私もおんなじ感じですよ」

「なんか素敵な詩っぽいですねぇ」

「そうですねえ、美しい詩っぽいですねぇ」

 

若くて素朴で礼儀正しく可愛い顔立ちの運ちゃんと並んで歩きながら

分ったような分らないような美しげな詩を眺めて散策するのはなかなか素敵な時間でした。

たぶん先方も《大和撫子(やまとなでしこ)とデート…》と思っていたことでしょう。

デートじゃありませんけど。

 

お堂の中では何か法会(ほうえ)が行われている様子で、30人くらいの信者の方々が

盆踊りのように輪になりながら歩きつつ、トランスミュージックのようなものを

声をそろえてえんえんと歌っていました。お経でしょうかね。

よく分りませんが、密教っぽい雰囲気を感じました。

 

三国志ライター よかミカンの独り言

 

碑とか展示室とかいろいろあったようなのですが、

なんの予備知識もなく行ったもので、

感じのいいお寺を散策しただけとなってしまいました。

 

予習してから行っていれば、この場所で1200年以上前に空海さんが修行したんだなぁとか

廃仏運動以後ずっと埋もれていたのかぁとか、感慨にふけることもできたと思います。

とは言え、行ってみればいいこともあるもので、不思議な雰囲気のトランスミュージックが

聞けたのはよかったです!

 

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日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門

 

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よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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