もし大政奉還が成功していたら日本はどうなった?

2018年3月18日


 

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大政奉還(たいせいほうかん)は15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の起死回生の一手でした。

これが成功すれば、政権は朝廷に返還され薩摩と長州は討幕の根拠を失い

政権を返された朝廷は、建武の新政以来、500年政治から離れていますから、

結局、徳川慶喜に政権を返して再び、委任する事が確実でした。

ここで、慶喜は日本国大君として大統領になり天皇を象徴として祀り上げ

権威だけの存在にしておき、徳川帝国を建設する予定だったのです。

歴史にifはありませんが、もし慶喜が帝国を興したら日本はどうなるか?

検証してみます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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疑問 徳川慶喜に近代化が達成できたの?

 

このように言うと、こんな疑問を持つ人がいると思います。

徳川帝国と言っても形だけで江戸時代が延長されるだけじゃないの?

なるほど江戸時代は260年以上も続きました、そう考えても無理はありません。

 

しかし、近代化は何も明治政府の専売特許ではありません。

投資理論家・歴史研究家のウィリアム・バーンスタインは豊かさの誕生という

著書の中で、その国が近代化するには4つの要素が関係していていると書いています。

 

つまり、当時の日本に4つの条件が満たされていれば誰が統治しようと

近代化は必然として起こるという事なのです。

では、その4要素とは何なのか?これから解説します。

 



近代化要素1 近代的な資本市場の確立

 

現代のような豊かな日本が産み出されるには整備された

近代的な資本市場が確立している必要があります。

具体的には、新製品の開発や製造に対して

幅広く誰もが投資できるような近代的な資本市場の整備です。

 

江戸時代の日本では、米が経済を動かしていましたが、

大坂には全国の米が集まる大市場が存在していました。

堂島米会所(どうしまこめかいしょ)というのがそれで、日本の米価はここで決定されています。

 

資本市場が発展するには、お金を持っている人(資本家(しほんか))と

お金を必要とする人(起業家(きぎょうか))が効率的に出会う必要がありますが、

大坂は米に限らず、日本中の物資が集中する場所でした。

それは、とりも直さず日本中の資本が集まる事を意味しています。

 

また、当時の日本では為替(かわせ)が発達していて、旅人は大金を持たずとも

為替手形を使い、各地の両替商でお金を用立ててもらう事が出来ました。

今風に言えば銀行ですが、坂本龍馬(さかもとりょうま)西郷隆盛(さいごうたかもり)は為替手形を懐に移動し、

必要な分だけ両替商でお金を用立てていたのです。

 

おまけに徳川幕府は、貢納金以外では、金銀銅貨の交換率を

市場経済に委ねてコントロールしませんでした。

つまり市場は基本、幕府の介入を受けず自由な経済活動が出来ました。

これにより、鴻池(こうのいけ)三井(みつい)住友(すみとも)のような豪商が誕生していきます。

彼らは大名貸し、明治維新後には明治政府に金を貸せる程に

豊富な資金力を保有するようになりました。

 

明治政府は中央銀行である日本銀行を明治5年に創設しますが、

幕府の勘定奉行の小栗忠順(おぐりただまさ)は、すでに中央銀行構想を持っており、

大政奉還が成功して徳川帝国が出来ていれば、日本が現代のような

豊かな社会に移行していた可能性は十分にあります。

 

激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末はじめての幕末

 

近代化要素2 科学的合理主義の確立

 

科学的合理主義の確立とは純粋な学問的な探求心、実験科学やら数学やら、

天文学の研究結果を制限される事なく発表する事が出来る社会の寛容性です。

例えば欧州で長い間科学や医学が停滞していたのは、キリスト教が

社会の頂点に君臨(くんりん)し、教義に反するような思想は一切認めないせいでした。

 

有名なのはガリレオの地動説(ちどうせつ)の異端審問で、天動説(てんどうせつ)を採用していた教会は

地球が太陽の周りを周回しているというガリレオの地動説を認めず、

その考えを放棄しないと拷問にかけると脅して撤回させました。

 

江戸日本では、キリスト教が禁教であり、朱子学(しゅしがく)が盛んだったので

幕府による支配を否定するような学説やキリスト教は生命に関わるタブーでした。

しかし、それ以外は、特にタブーのある土地ではなく、18世紀前半の

8代将軍の徳川吉宗(とくがわよしのぶ)の時代には、将軍自らキリスト教や政治体制に関する

書籍以外は輸入を解禁しているほどです。

 

キリスト教や政治体制の本は幕府支配を揺るがすから駄目ですが、

それ以外、社会を便利にするような技術は積極的に取り入れていたのです。

医学でも杉田玄白(すぎたげんぱく)のような蘭学医の要請を入れて、儒教的な観点から

タブーだった腑分(ふわ)け(人体解剖(じんたいかいぼう))などを許していました。

 

幕末に入ると蘭学の流入は、国防上の危機意識の高まりもあり、さらに加速し

反射炉(はんしゃろ)を製造したり、西洋式の帆船や蒸気船を建造したりしています。

 

江戸時代の日本には、科学的な合理主義を阻害(そがい)する要因は何もなく

明治政府でなくても、十分に豊かな社会が実現できたでしょう。

 

近代化要素3 私有財産権の保障

 

私有財産権(しゆうざいさんけん)とは法律的な手続きによらない限り、個人の財産を国家といえども

勝手に処分する事は出来ないという権利です。

フランス革命では、真っ先に私有財産が保障されましたが、

これはブルボン王朝の支配下で、もっと自由に商売をして儲けたいという

ブルジョア階級が革命を推進していたからでもあります。

 

私有財産が保護されない社会では、誰もお金を預けたり貸したりできません。

それは市場に金が出回らず、床下に埋められる事を意味していて、

経済が発展する所の話ではないですし、仮に投資する人が出ても、

踏み倒される事を恐れて金利は非常に高く、また融資期間も短期です。

 

これでは起業家は安心して融資を受けられず、また長期的な視点が必要な

ビジネスは出来ないので経済はやはり活性化しません。

 

では日本はどうかというと、まず当時の日本の人口の大部分を占めた農民は

土地を所有しておらず、幕府や藩から借りて、その賃料を年貢で支払っていました。

これは、幕府が農本体制を基盤としたからであり、私有財産から遠いです。

ただ、日本でも城下町に住む町人階級は売買できる土地を保有していて、

活発な商業活動を行う原動力として町人文化を生み出しました。

 

しかし、町人が私有地を売るにしても簡単ではなく、四方で境界を接している人の

承諾をもらい、面倒な手続きを幾つも経ないといけませんでした。

「俺の土地だからどうしようが俺の勝手」という概念は江戸時代にはないのです。

 

また、私有財産には知的財産権、著作権(ちょさくけん)肖像権(しょうぞうけん)、特許権などもありますが

このような排他的(はいたてき)な権利は江戸時代には、何一つ認められていません。

例えば出版物で何かが流行すれば、すぐ海賊版(がいぞくばん)が出てくるのが実情だったのです。

一応奉行所(ぶぎょうしょ)は「真似」はいけないとお触れを出していましたし、

版元は組合を作って、このような海賊版が出るのを監視していましたが、

日本全国を監視できるわけではないので、ほぼ無意味でした。

 

ですが、徳川慶喜が目指した徳川帝国はフランス流に市場経済を視野に入れており

身分制の解体は遅れるにしても、私有財産の保障や知的財産権、著作権や肖像権、

特許権は、早晩認められる事になったでしょう。

何故か?そうしないと経済において西洋との競争に勝てないからです。

 

近代化要素4 通信手段と輸送手段の確保

 

物資が順調に生産されても、それを取り扱う巨大な市場があっても、

通信手段が貧弱であれば、どうしようもありません。

 

欧州はイギリスでさえ19世紀の初頭まで、都市を一歩出ると

すぐに野盗が出現しイタリアでは旅行者の殺人は日常茶飯事だったようで、

旅行者は拳銃を携帯するのが常識だったそうです。

 

 

このような野盗や強盗は、鉄道網と電信設備が完備されて

国家の警察力が拡大強化される中で解消されていきました。

 

一方の日本の江戸時代は参勤交代(さんきんこうたい)の大名相手に発達した五街道が整備され、

ここを通ってお伊勢参りなどの庶民のレジャーが大きく発展しました。

特に60年に一度やってくるお陰詣りは、大イベントで400万人が

伊勢神社に押しかけたと言われています。

 

人口3000万人の時代に、400万人が旅をするのですから、

これは街道が安全でなければ、実現できる事ではありません。

冒頭に書いたように、日本の物産は大阪に集まり、それから

一大消費地の江戸、それから各地に輸送されていきました。

 

松前藩(まつまえはん)の昆布が南端の琉球に届き、沖縄料理の定番になっている

この一点を見ても江戸時代の輸送手段は安全で信頼できるレベルです。

通信手段は飛脚や船でしたが、これは徳川帝国の下で

直に、電信や鉄道などに取って変わる事になったでしょう。

 

徳川帝国の下で民主化はどうなる?

 

幕臣の西周(にしあまね)が構想した新政府構想では、大君(たいくん)(慶喜)は、

旗本を再編成した常備軍を握っていて、また議政院(ぎせいいん)(衆参両院)も

下院に対しては、慶喜が解散権と採決権を有しています。

上院は各藩の藩主なので、宗家である慶喜に逆らいそうになく

仮に逆らったとしても、強大な常備軍に潰されそうです。

 

これは、徳川幕府よりも強力な政府であり、

議会軽視の抑圧(よくあつ)が続くと自由民権運動のようなものが激化

(というより近代化を進めると民権運動は激化せざるを得ない)

ついには、下院の代議士(藩士)と民衆軍が蜂起して

徳川帝国を倒すというフランス革命の模倣のような結果になるかも知れません。

 

しかし、慶喜の性格からして、内乱になりそうだと思うと

反対勢力に譲歩を繰り返して大君の権力を縮小して

大君は次第に飾りになり、下院と上院から選出した議員が

公府(内閣)を組織するようになって、結局、

権威は二つは必要ないという理由で大君は廃止される。

そんな末路になるかも知れませんね。

 

幕末ライターkawausoの独り言

 

このように、近代化し現代に繋がるような豊かさに必須の4要素の中で、

江戸時代の日本は、3つまでを達成していました。

それに私有財産については、西洋と市場経済で競争しようと思えば、

どうしても解放しないといけない要素なので、結果として4要素は揃います。

つまり、薩摩や長州のような藩閥が主導しなくても、違う紆余曲折を経て

日本は徳川帝国の下で近代化を達成したでしょう。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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