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阿部正弘は大奥でモテモテ、それって史実どおりなの?

2018年3月22日


 

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阿部正弘(あべまさひろ)は少なくとも大奥(おおおく)で大人気であったことは史実でも確実です。

でもそれが今でいうイケメンだったからというのは即断にすぎるかもしれません。

女の人にもてる理由は他にいくらでもあります。なにせ阿部正弘は若きエリートなのですから。

今回は、大奥でモテモテだった阿部正弘がなぜ、大奥でもてたのか?

その理由を考察してみました。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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大河ドラマではだれが阿部正弘を演じてきたの?

 

NHK大河ドラマに阿部正弘が登場したのは

1963年の「花の生涯(しょうがい)」の高松政雄(たかまつまさお)さん以降、1990年の「()ぶが如く」で若林豪(わかばやしごう)さん、

1998年の「徳川慶喜(とくがわよしのぶ)」で大橋吾郎(おおはしごろう)さん、2008年の「篤姫(あつひめ)」で草刈正雄(くさかりまさお)さん、

2010年の「龍馬伝」で升毅(ますたけし)さん、2013年の「八重(やえ)の桜」で久松信美(ひさまつのぶよし)さんときて……。

「西郷どん」では藤木直人(ふじきなおひと)さんが演じています。

かなりイケメン率の高い、配役となっていますね。

 

阿部正弘は本当に大奥でモテモテだった?

 

大奥では阿部正弘がやってくると

女たちが障子の隙間から覗いて彼の姿を見ようとしたほどに人気でした。

中には、彼の出身である阿部家の家紋である鷹羽紋を着物に縫い込んだり、

鷹羽紋をかんざしのデザインにしたりした女性もいたとのことです。

相当に人気があったことは確かでしょう。

ただ、それだけでイケメンと決めつけるわけにはまだいかないのですけども。

 

西郷どん

 

衝撃!実は汗っかきのデブだった阿部正弘

 

今風のイケメンを考えれば、普通にスリムな方が多いでしょう。

あっても筋肉質のホソマッチョで、太っていなくとも

マッチョがさほど人気が無いのは日本の特徴かなと思います。

このあたりは、欧米との文化差ですね。江戸時代でもこのあたりはあまり変わりないです。

江戸時代に相撲取りは人気でしたが、あれは強さも合わせもっているからであり、

美しさを武器とする役者絵などに、デブはいません。

 

しかし、阿部正弘はかなりの肥満体、いわゆるデブであったという伝承が残っています。

正座をすることも困難で、正座すると汗がダラダラ出て畳が濡れてしまったというほどですから、

デブで汗っかきであったということは非常に可能性が高いのです。

 

阿部正弘が大奥でモテた本当の理由1

 

ではなぜ、阿部正弘がデブで汗っかきだったとして、大奥でモテたのか?

それは、大奥に対する扱いが非常に巧みであった政治的手腕にもあるかと推測できます。

寺社奉行時代に起きた「智泉院(ちせんいん)感応寺(かんのうじ)事件」という僧侶と大奥の乱交事件を、

大奥の処罰を軽くし、将軍家の威光に傷のつかないように上手く処理しました。

 

大奥対策は当時の幕政の中枢において、かなり重要な部分を占めていました。

例えば、江戸時代中後期の田沼意次(たぬまおきつぐ)なども、イケメンの噂がありますが、

 

同時に大奥の扱いが上手く、最後まで大奥を味方にしていました。

阿部家は幕府の中枢を担う人材を輩出した家柄ですので、

「大奥対策」についても徹底的な帝王学を見に付けさせられていたのかもしれません。

 

阿部正弘が大奥でモテた理由2

 

阿部正弘は超エリートです。20代で総理大臣になるなど現代では考えられませんが、

彼は20代で老中首座という今でいう「総理大臣」のようなものになります。

しかも、阿部家は徳川家康(とくがわいえやす)の祖父の代からの家臣であり名家です。

彼以外にも老中を出している家柄です。

 

そんな、圧倒的名門の超エリートであるにも関わらず、彼は非常に人の意見を聞く人でした。

それは政策にも表れています。黒船対策として、広くさまざまな階層から彼は意見を求めています。

また、人の話を聞く時もにこやかに対応したことで、

その人物像が女性に好かれたのではないでしょうか。

笑顔は最大のコミュニケーション武器になります。

 

阿部正弘が大奥でモテた理由3

 

とにかく若いことという時点で、女性に大人気という可能性もあります。

当時老中になるには、普通は40代ですし、江戸時代は短命といっても、

それは乳幼児の死亡率が極端に高かったせいもあり、

体力が大きく衰えてくる50代前までは普通に生きている人が大勢いました。

 

結果として、老中として偉くなる人はその年齢層が中心となります。若くとも30歳代半ばです。

そのような状況で20代の阿部正弘は、「若い」という理由で大奥にモテた可能性があります。

   

幕末ライター夜食の独り言

 

阿部正弘の肖像画は、確かに品のある男性のものですが、

イケメンかどうかといわれると微妙です。

同じ老中でイケメン伝説があるのは田沼意次ですが、

若いこときの肖像画は確かに、当時の役者絵にそん色のない

切れ長の目をした貴公子という感じです。

 

肖像画対決をすれば、おそらく阿部正弘は田沼意次に負けるのではないでしょうか。

それでも、阿部正弘が大奥に大人気であった点は史実であったのでしょう。

その理由は、阿部家において「大奥の重要性」を教えられた帝王学を受けていた可能性と、

その人柄が非常に女性に好かれるものであったという部分もあったかと思います。

それは彼の政治手腕でも見て取れます。

 

川路聖謨(かわじとしあきら)井上清直(いのうえきよなお)水野忠徳(みずのただのり)江川英竜(えがわひでたつ)勝海舟(かつかいしゅう)などの上級から

下級幕臣まで有能であれば抜擢しています。

土佐の漁民で漂流民だったジョン万次郎の起用や、

部屋住みだった岩瀬忠震(いわせただなり)なども抜擢しているのです。

身分に分け隔てのない人への接し方が阿部正則の特徴です。

一般に、同性に好かれる人は異性にも好かれるものです。

 

阿部正弘がイケメンだったのは、

外面ではなく内面ではなかったのではないでしょうか。

 

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