阿部正弘は少なくとも大奥で大人気であったことは史実でも確実です。
でもそれが今でいうイケメンだったからというのは即断にすぎるかもしれません。
女の人にもてる理由は他にいくらでもあります。なにせ阿部正弘は若きエリートなのですから。
今回は、大奥でモテモテだった阿部正弘がなぜ、大奥でもてたのか?
その理由を考察してみました。
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この記事の目次
大河ドラマではだれが阿部正弘を演じてきたの?
NHK大河ドラマに阿部正弘が登場したのは
1963年の「花の生涯」の高松政雄さん以降、1990年の「翔ぶが如く」で若林豪さん、
1998年の「徳川慶喜」で大橋吾郎さん、2008年の「篤姫」で草刈正雄さん、
2010年の「龍馬伝」で升毅さん、2013年の「八重の桜」で久松信美さんときて……。
「西郷どん」では藤木直人さんが演じています。
かなりイケメン率の高い、配役となっていますね。
阿部正弘は本当に大奥でモテモテだった?
大奥では阿部正弘がやってくると
女たちが障子の隙間から覗いて彼の姿を見ようとしたほどに人気でした。
中には、彼の出身である阿部家の家紋である鷹羽紋を着物に縫い込んだり、
鷹羽紋をかんざしのデザインにしたりした女性もいたとのことです。
相当に人気があったことは確かでしょう。
ただ、それだけでイケメンと決めつけるわけにはまだいかないのですけども。
衝撃!実は汗っかきのデブだった阿部正弘
今風のイケメンを考えれば、普通にスリムな方が多いでしょう。
あっても筋肉質のホソマッチョで、太っていなくとも
マッチョがさほど人気が無いのは日本の特徴かなと思います。
このあたりは、欧米との文化差ですね。江戸時代でもこのあたりはあまり変わりないです。
江戸時代に相撲取りは人気でしたが、あれは強さも合わせもっているからであり、
美しさを武器とする役者絵などに、デブはいません。
しかし、阿部正弘はかなりの肥満体、いわゆるデブであったという伝承が残っています。
正座をすることも困難で、正座すると汗がダラダラ出て畳が濡れてしまったというほどですから、
デブで汗っかきであったということは非常に可能性が高いのです。
阿部正弘が大奥でモテた本当の理由1
ではなぜ、阿部正弘がデブで汗っかきだったとして、大奥でモテたのか?
それは、大奥に対する扱いが非常に巧みであった政治的手腕にもあるかと推測できます。
寺社奉行時代に起きた「智泉院・感応寺事件」という僧侶と大奥の乱交事件を、
大奥の処罰を軽くし、将軍家の威光に傷のつかないように上手く処理しました。
大奥対策は当時の幕政の中枢において、かなり重要な部分を占めていました。
例えば、江戸時代中後期の田沼意次なども、イケメンの噂がありますが、
同時に大奥の扱いが上手く、最後まで大奥を味方にしていました。
阿部家は幕府の中枢を担う人材を輩出した家柄ですので、
「大奥対策」についても徹底的な帝王学を見に付けさせられていたのかもしれません。
阿部正弘が大奥でモテた理由2
阿部正弘は超エリートです。20代で総理大臣になるなど現代では考えられませんが、
彼は20代で老中首座という今でいう「総理大臣」のようなものになります。
しかも、阿部家は徳川家康の祖父の代からの家臣であり名家です。
彼以外にも老中を出している家柄です。
そんな、圧倒的名門の超エリートであるにも関わらず、彼は非常に人の意見を聞く人でした。
それは政策にも表れています。黒船対策として、広くさまざまな階層から彼は意見を求めています。
また、人の話を聞く時もにこやかに対応したことで、
その人物像が女性に好かれたのではないでしょうか。
笑顔は最大のコミュニケーション武器になります。
阿部正弘が大奥でモテた理由3
とにかく若いことという時点で、女性に大人気という可能性もあります。
当時老中になるには、普通は40代ですし、江戸時代は短命といっても、
それは乳幼児の死亡率が極端に高かったせいもあり、
体力が大きく衰えてくる50代前までは普通に生きている人が大勢いました。
結果として、老中として偉くなる人はその年齢層が中心となります。若くとも30歳代半ばです。
そのような状況で20代の阿部正弘は、「若い」という理由で大奥にモテた可能性があります。
幕末ライター夜食の独り言
阿部正弘の肖像画は、確かに品のある男性のものですが、
イケメンかどうかといわれると微妙です。
同じ老中でイケメン伝説があるのは田沼意次ですが、
若いこときの肖像画は確かに、当時の役者絵にそん色のない
切れ長の目をした貴公子という感じです。
肖像画対決をすれば、おそらく阿部正弘は田沼意次に負けるのではないでしょうか。
それでも、阿部正弘が大奥に大人気であった点は史実であったのでしょう。
その理由は、阿部家において「大奥の重要性」を教えられた帝王学を受けていた可能性と、
その人柄が非常に女性に好かれるものであったという部分もあったかと思います。
それは彼の政治手腕でも見て取れます。
川路聖謨、井上清直、水野忠徳、江川英竜、勝海舟などの上級から
下級幕臣まで有能であれば抜擢しています。
土佐の漁民で漂流民だったジョン万次郎の起用や、
部屋住みだった岩瀬忠震なども抜擢しているのです。
身分に分け隔てのない人への接し方が阿部正則の特徴です。
一般に、同性に好かれる人は異性にも好かれるものです。
阿部正弘がイケメンだったのは、
外面ではなく内面ではなかったのではないでしょうか。
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