孔明の後継者は馬謖だけだった!【深読み三国志】




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水路を断たれ残念がる馬謖

 

諸葛孔明(しょかつこうめい)の後継者として知られるのは最初に姜維(きょうい)、そして、元後継者とされるのが、三国アルピニスト馬謖(ばしょく)でしょう。

 

孔明と姜維

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)では、どちらかと言うと馬謖の事は黒歴史扱いで、姜維が諸葛孔明の後継者として描かれています。

 

馬謖

 

でも、改めて正史三国志を読んでみて、kawausoは諸葛孔明にとって、姜維よりも馬謖の方が重要なポジションにいた人だったのではないかと思えてきました。

 

孔明

 

諸葛亮のトラウマは、姜維を得た事で癒されたわけではなかったかも知れません。




諸葛亮伝における姜維の扱いの軽さ

 

今回、諸葛亮伝を読んで、おや?と思ったのは、馬謖については正史でも裴松之(はいしょうし)の輔伝でも割合出てくるのに対し、姜維については「きょ」の字も登場しない点です。

 

朝まで三国志2017表情 kawausoさん03 怒

 

kawausoは、ずっと、諸葛亮伝にも姜維についての記述があるだろうと思い込んでいましたが、実際にはなく、諸葛亮が姜維を褒め称えた話は姜維伝にあるのみです。

 

馬良って何した人だっけ

 

逆に馬謖は、正史において独立した伝が立てられず、兄の馬良の付属品の扱いですが、諸葛亮伝においては、

 

敵に囲まれる馬謖

 

諸葛亮は馬謖に諸軍を統率させて前軍とし、張郃(ちょうこう)と街亭で一戦交えた。馬謖は諸葛亮の指示に反し、行動は滅茶苦茶で、大いに張郃に破られた。諸葛亮は西県の千余家を拉致して漢中に帰還し、馬謖を誅殺して人々に謝罪した。

 

馬謖を斬り悲しむ孔明

 

このように馬謖の起用から、街亭ハイキングの大敗北までが具体的に記述されています。諸葛亮伝には諸葛亮について重要な事を優先して書くわけですから、陳寿は、馬謖が諸葛亮に取って、善くも悪くも重要な位置を占めていると考えたと思います。

内容に納得がいかないkawauso様

 

逆に、諸葛亮がベタ褒めした姜維について、陳寿が諸葛亮伝に載せていないのは、馬謖に比較すると姜維が孔明に取って、そこまで重要じゃなかったせいではないでしょうか?




姜維がスポットを浴びる理由は別にある?

姜維と孔明

 

しかし、諸葛亮伝に出てこないとしても、姜維は馬謖とは異なり列伝されていますし、投降して蜀に降るや諸葛亮が激賞し、「時事に精通して軍事に詳しく思慮深く、その才能は、馬良よりも上だと思う」とベタ褒めされています。

 

蜀の姜維

 

さらに、北伐軍の主力の中虎歩兵の訓練を任されて、中監軍・征西将軍に昇進させるなどは、姜維の優秀さを裏付けていると言えるでしょう。ただ、そこには魏からの投降者である姜維を厚遇する事の宣伝効果と、姜維が天水の名族である事への配慮が無いとは言えないと思います。

五虎大将軍b 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

例えば、姜維に敗れて蜀の軍門に下った魏の中郎将郭脩(かくしゅう)郭循(かくじゅん))は、劉禅に左将軍に任じられています。左将軍と言えば、蜀の五虎将軍馬超が就いた将軍位ですから、いくら何でも、それまで中郎将だった人にいきなりあげる地位ではありません。

 

鄧禹と兵士

 

ここには、蜀が高い地位で魏からの投降者を誘う政治宣伝があったと見て間違いないでしょう。姜維にしても、蜀に降った頃には中郎将ですから破格の昇進は同じです。あるいは、涼州出身者の郭脩を懐柔(かいじゅう)して涼州人の歓心を買おうという考えだったかも知れません。

 

関連記事:姜維に諸葛亮が期待した「もの」は何だったのか?姜維の評価は難しい

関連記事:姜維の北伐は劉禅の意向でもあった?北伐と劉禅の統治を考える

 

【諸葛亮に愛された登山家・馬謖】
馬謖

 

諸葛亮伝にリンクする馬謖の記述

蜀志(蜀書)_書類

 

さて、諸葛亮伝には出てこない姜維ですが、逆に馬良伝の付録についている馬謖伝には、北伐の先鋒を呉懿か魏延にすべしという論者の意見があったものを、諸葛亮がゴリ押しして馬謖に決めて敗戦したという記述が重ねて出てきます。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

つまり、諸葛亮伝と馬謖伝は対応しているわけで、これは陳寿が二人の関係の深さを印象付ける為にやった事だと考えられます。この手法は、今で言えばリンクに等しく、諸葛亮伝を読んだ人が馬良伝付録の馬謖伝を読めば、孔明と馬謖の因縁の浅からぬ事が分る仕組みなのです。やはり、諸葛亮と馬謖はただならぬ関係だと言えるのではないでしょうか?

 

関連記事:正史三国志の見どころ?裴松之先生の注釈が面白い!

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陳寿が意図的に諸葛亮を貶めようとしたのではないか?

陳寿(晋)

 

しかし、こういう事も考えられるかも知れません。

 

髠刑を受ける劉備

 

街亭(がいてい)の戦いで陳寿の父は馬謖の幕僚として従軍しており、敗戦の連帯責任で諸葛亮により髠刑(こんけい)(髪を剃る刑罰)に処されているので、陳寿はそれを恨んで諸葛亮を(はずかし)めようと、ことさらに無能な馬謖をゴリ押しした事を強く印象付けようとしたのではないか?

 

関連記事:これはキツイ!健康が回復するかで刑罰が決まる保辜(ほこ)

関連記事:不遇なんてウソ!陳寿の悲劇の歴史家像は捏造だった?

 

諸葛亮は臨機応変の才に欠ける

考える諸葛亮孔明

 

確かに陳寿は、諸葛亮伝のまとめで諸葛亮を「臨機応変の才に欠ける」と非難している部分があります。

 

孔明

 

しかし逆に、諸葛氏集目録(しょかつししゅうもくろく)という諸葛孔明の故事について集めた文献では、諸葛亮を

 

劉邦と簫何(蕭何)

 

蕭何(しょうか)管仲(かんちゅう)に匹敵する名宰相だが、惜しむらくは名将として王子城父や韓信を得られなかった」と書き、これも天命かと結び好意的に評価しています。

 

それを考えると、陳寿の諸葛亮の捉え方は、ある程度は好意的、ないし公平で、意図的に諸葛亮の人選ミスを責める為に馬謖について諸葛亮伝で大きく扱ったとは考えにくいと思います。

 

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コメント

  • コメント (2)

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    • kawauso編集長
    • 2020年 11月 26日

    Aki vekklaさん:姜維に野心があったのは事実でしょうね。
    それに、諸葛亮も「君には期待しているよ」くらいは言ったと思います。

    ただ、あくまでも正史を読む限りでは、諸葛亮が姜維を軍人として以外の面で
    優遇していると考えるのは難しいような気がします。
    諸葛亮伝に姜維の名が出ないのは、諸葛亮が姜維を後継者とは意図していない表れで
    諸葛亮没後に、その地位が上がるのは、相対的に蜀の将軍の中で姜維の能力が優れていたというだけで
    諸葛亮にしても、それだからこそ、近衛軍の訓練を任せたのではないかと思います。
    孔明が後継者に見込んだのは馬謖のみで、馬謖の死後は、ワンマンを続け
    その後の構想としては、蔣琬・姜維ラインでの権力の分散を図っていたように
    今のところは考えています。

    • Aki vekkla
    • 2020年 11月 26日

    カワウソ編集長さん、ご苦労様でした。
    自分の知らない知識や見解もあって満足以上の内容で感激しました。さすがプロのライターさん。元々自分がこの事を考えたのは姜維は諸葛亮の前では優等生を演じて地位と安全を確保していた(ネコを被っていた)のではないのかと思ったからでした。姜維が鐘会に取り入ったのもある意味演じていたのかも?と思ったのです。演義では志ある優等生に見える姜維ですが、元々の性格は表には出さないが野心家である軍人が彼の本当の姿かなと思いました。
    確信はありませんが、そう思えたのでした。




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