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久坂の思想から新日本グランドデザインを探れ!

2018年6月2日


 

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幕末の長州藩と言えば、オール尊王攘夷派(そんのうじょういは)で過激派が多いという印象を受ける人が多いと思います。しかし、実際の長州藩は当初開国派で幕府よりで、当時は開国派の長井雅楽(ながいうた)と尊王攘夷派の久坂玄瑞(くさかげんずい)で対立していました。

 

この記事では、最初に久坂玄瑞のライバルである長井雅楽との思想の違いと久坂玄瑞が建白した『廻瀾條議(かいらんじょうぎ)』と『解腕痴言(かいわんちげん)』の内容について取り上げます。この記事の後半では久坂玄瑞の思想と目指した日本の姿について取り上げます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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長州藩の意見を攘夷に変えろ!長井雅楽との戦い

 

 

長井雅楽ら長州藩の考えは航海遠略策(こうかいえんりゃくさく)でした。航海遠略策とは海外との交易で国力を高めてから海外と対等に渡り合えるようにするという考えです。この考えは『井伊直弼(いいなおすけ)の評価はどうなっているの?独裁者・英雄?』で取り上げた井伊直弼の考えと似ています。

 

開国した当初、今の幕府は国力でアメリカとの実力差があるため戦っても勝てないと井伊直弼は判断し、いったん開国して貿易で富を蓄えてから攘夷を行うことを考えていました。

 

長井雅楽の考えについては貿易で富と軍事力をつけるという点で江戸幕府と一致していました。一方で、久坂玄瑞は西洋の強大な武力に屈して開国するのではなく、貿易をする前に軍備を整えることで対等な立場で条約を締結するべきであると主張しました。

 

 

『廻瀾條議』と『解腕痴言』ってどんな内容?

 

久坂玄瑞は長井雅楽を失脚させることを試みましたが、失敗に終わり謹慎処分を受けました。謹慎中に久坂玄瑞は建白書『廻瀾條議』と『解腕痴言』を執筆しました。『廻瀾條議』は長州藩主に、『解腕痴言』は全国の攘夷派に向けてそれぞれ出されました。

 

これらの建白書の内容は次の通りです。幕府は西洋の強大な武力に屈して開国し、条約を天皇からの勅許なしで調印しました。その条約は対等ではなく不平等でした。それに対して、久坂の建白書の内容は次の通りです。西洋の武力に屈して開国するのではなく、対等に交渉する気力を奮い起こすべきで、その気力によって国力を回復させ、軍備を整えてから対等な立場で条約を調印するという内容です。

 

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「世のよし悪しはともかくも、誠の道を踏むがよい、踏むがよい」

 

 

このタイトルにある名言は久坂玄瑞の名言として知られています。意味は常識にとらわれずに自分の信じる道を行きなさいということです。この名言と久坂玄瑞の目指した日本との関係については次の節で取り上げます。

 

久坂の目指した日本ってどんなだったんでしょうね?

 

 

久坂玄瑞の新しい政治形態は次の通りです。朝廷が幕府から政権を取り戻し、身分の上下を問わずに有志が参加する政治形態です。久坂は禁門(きんもん)の変で自害しました。久坂の死後、幕府は大政奉還(たいせいほうかん)によって政権を返上し、天皇を中心とした政治に変わりました。久坂玄瑞が残した名言「世のよし悪しはともかくも、誠の道を踏むがよい、踏むがよい」のように、構想通りに政治体制が変わりました。

 

幕末ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

開国した頃、長州藩は当初開国派でした。長井雅楽が中心になって幕府の開国を支持する方向で藩の意見をまとめていました。当初から尊王攘夷派ではないことが分かりましたが、天皇から勅許を得ないで条約を調印したため、長州藩の尊王攘夷派を刺激しました。

 

長州藩の久坂玄瑞らが台頭したことで長州藩は尊王攘夷派に変わりました。尊王攘夷派が実力をつけたことで幕府を倒すまでに至りました。今後、尊王攘夷派が台頭してきたとき長州藩主毛利敬親(もうりたかちか)の決断に注目したいです。毛利敬親は「ソーセー」と言うだけで何もしない人と印象を受けるかもしれませんが、部下を信頼していた人という見方もあります。長州藩の尊王攘夷派の台頭と藩主毛利敬親について考えたいと思います。

 

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自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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