勝海舟の名言に感動!時代が変わっても心にしみる名言の数々!

2018年6月3日


 

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勝海舟

 

勝海舟(かつかいしゅう)の名言はまっすぐで江戸っ子らしい義侠心(ぎきょうしん)を感じさせる言葉で、

そのまま心にしみこんできます。

勝海舟は幕末時代に活躍した人の中では、比較的アンチの多い人です。

勝海舟の「ホラ」、「大風呂敷」が同時代の人物にも嫌われました。

特に、福沢諭吉(ふくざわゆきち)とは犬猿の仲でした。勝海舟は犬も嫌いでしたが。

今回は勝海舟の残した名言について紹介していきます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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幕府のことを振り返った勝海舟

勝海舟

 

勝海舟は幕府が滅びていったときの心境を以下のように語っています。

「オレは、(幕府)瓦解(がかい)の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった」

勝海舟の残した名言のひとつでしょう。彼は、徳川家歴史よりも、

日本国は優先するということを口にしています。

 

幕臣であった勝海舟は決して徳川家に忠誠心がなかったわけでありません。

勝海舟にも当然、徳川家への忠誠心はあったのでしょう。徳川家の存続に関しは奔走しています。

特に朝敵となった徳川慶喜(とくがわよしのぶ)赦免(しゃめん)に力を尽くし、徳川家を守ろうとしました。

 

しかし、勝海舟にとっては徳川家そのものよりも、

14代将軍家茂(いえもち)を慕う気持ちの方が強かったようです。

家茂が死んだときに勝海舟は日記に「家茂様薨去(こうきょ)、徳川家本日滅ぶ」と書いています。

勝海舟にとっては、すでに明治維新の前に政権を持つべき幕府家は滅びていたのかもしれません。

 



戊辰戦争で政府軍に立ち向かった勝海舟

西郷隆盛と勝海舟

 

勝海舟は戊辰戦争(ぼしんせんそう)において陸軍総裁(りくぐんそうさい)となりました。

幕府側の陸軍最高責任者として全権を委任される役職です。

そして、その身分ゆえに西郷隆盛(さいごうたかもり)との会談で江戸城の無血開城を明治政府軍に飲ませました。

勝海舟は後に「外交の極意は、誠心誠意にある。

ごまかしなどをやると、かえって、こちらの弱点を見抜かれるものだ」と語っています。

 

名言ぽい、いい言葉です。

しかし、これもちょっと差し引いて考えたほうがいい言葉かもしれません。

実際には、江戸城無血開城は、勝海舟以外のいろいろな人物が動いてなしえたものです。

ただ、交渉において、へたな駆け引きをするよりも、

誠心誠意、相手に当たっていった方がいいこともあります。

 

新選組

 

明治政府に対して言いはなった勝海舟

明治政府

 

勝海舟は明治政府の欧米化政策に対し批判を行っています。

彼の言葉、名言には以下のようなものがあります。

 

「文明、文明、というが、お前ら自分の子供に西欧の学問をやらせて、

それでそいつらが、親の言うことを聞くかぇ?ほら、聞かないだろう。

親父はがんこで困るなどと言ってるよ」

 

勝海舟は天敵の福沢諭吉と真反対で「古今の差なく東西の別なし」という言葉も残しています。

これもまた、ひとつの名言でしょう。

また、足尾銅山鉱毒事件では、明治政府を批判しています。

「人民を苦しめて何が文明だ」

 

「江戸時代にもヤマはあったが、こんな被害は起きなかった、

文明開化は全て大仕掛けだ、ただ後始末がそうなっていない」

 

これは、非常に卓見性のある文明批判です。十分に今でも通じる名言ではないでしょうか。

勝海舟の言葉に原発のことを思い出す人もいるかもしれません。

 

日清戦争について言いはなった勝海舟

勝海舟

 

勝海舟は日清戦争(にっしんせんそう)には反対していました。

日清戦争については以下のように反対の理由を語りました。

「おれは大反対だつたよ。なぜかつて、兄弟喧嘩(きょうだいげんか)だもの犬も喰はないじゃないか。

たとえ日本が勝つてもドーなる。支那(しな)はやはりスフインクスとして外国の奴らが分らぬに限る。

支那の実力が分つたら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。

 

ツマリ欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。

一体支那五億の民衆は日本にとつては最大の顧客サ」

勝海舟は、日清戦争勝利の後、武力で勝っても、経済戦争に負けたら

どうしようもないとも語っています。

そして、日本もこのままではいずれ痛い目を見ると言っています。

 

明治政府、日本国人が、文明開化、近代化で欧米に目をむけ追いつき追い越そうとにまい進する中、

「それはちょっと違うんじゃないかい?」という見方で

勝海舟はこのような今でも通じる多くの名言を残しています。

   

歴史ライター夜食の独り言

夜食の独り言

 

明治政府に対する批判は、このままでは日本という国がどうなるのかという不安が

勝海舟の中にあったのかもしれません。若いときから蘭学を学び、

それこそ欧米に追いつこうと努力していた本人が晩年に行きついた結論が、

行き過ぎた欧米化に対する批判や、近代化のために犠牲になっていく人たちを守ろうとする言葉です。

 

勝海舟は「敵は多ければ多いほど面白い」や

「世の中に無神経ほど強いものはない」などの名言も残しています。

世間が何を言おうか関係ない、そして

「自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも

自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ」という名言を残しています。

 

自分の価値は自分で決めればいい。自分で自分を(おとし)めたところで、

なんのいいこともありません。

現代の疲れた方たち、壁に当たった感のある方たちは、

この勝海舟の言葉で元気が出るのではないでしょうか。

彼の言葉は弱い人に優しく、常に明るく前向きです。

 

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曹操孟徳

 
 

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